【製本記】 野ばら 03 | 冒険したいけど、まだしない
できあがった本文をパラパラとめくりながら、『野ばら』の表紙について考える。布貼りにすることは当初から決めていて、水浅葱あるいはミントブルーとでもいえばいいだろうか、淡い青緑のブッククロスを取り寄せた。
ところが、いざ手もとに届くと何だか違うような気がしてきた。本文に重ねてみたり、題字を入れたところを想像してみたり、どうにか自分を納得させようとしたがしっくりこない。結局、わざわざ取り寄せたものを脇に押しやり、棚の奥にストックしていた濃茶のブッククロスを使うことにした。
いつもと違うことしたいという冒険心に駆られ、普段は選ばない色や柄の材料を調達し、やっぱりやめる……ということがままある。えいや、と使ったところで無理が生じるとわかっているからだ。「自分らしさ」が定まってきたといえなくもないけれど、定まり切っていないから冒険したくなるわけで。
しかし、そういう冒険の末路は(いまのところ)往々にして冴えない。つくりながら「たまにはこんなのもいいじゃないか」なんて自分にいいわけするようになったらもうダメで、そうやってつくった本は、だいたいが気に入らない。にもかかわらず、しばらくするとけろりと忘れて再び冒険心を膨らませてしまうのは、自分で自分の「いつもの感じ」に飽きているからだと思う。裏を返せば「自分らしさ」を逸脱することに憧れれているから、ともいえる。まるで、あの「ビルボ・バギンズ君」のように。
J. R. R. トールキンによるファンタジー小説『ホビットの冒険』の主人公、ビルボ・バギンズは、冒険ぎらいを表明しながらも心のどこかで冒険に憧れていて、ぶつくさ文句を垂れながらも、いそいそと冒険へでかけていく。そして案の定、旅先でこれでもかというほどひどい目に遭う。
そう、ビルボは自分らしくないことに憧れを抱き、うっかり手をだして後悔しまくるのだ。峠ではゴブリンに襲われ、森ではエルフに囚われ、もうさんざん。壮大すぎる物語がそれこそ大河のようにどうどうと展開する中、ビルボは、あぁ、どうして冒険なんてしちゃったかなぁ……と何度も歯噛みする。
この名作の見どころは神話的な美しさと型破りなスケールにあるのだろうけれど、わたしは、ビルボが噛み締める妙にリアルな「後悔の味」が気になって仕方ない。冒険なんて柄じゃないのに、ちょっとやってみたかった。周囲に押し切られてやってみたら、すごくつらかった。広い世界を目の当たりにしたものの、それでもなお、居心地のいいわが家にちんまり収まっていたいと思ってしまう……。ビルボのこの煮え切らなさ、共感しかない。
とはいえ、ビルボは長い旅路の果てにとても大きなことをする。それは賢者も顔負けの高邁な決断なのだが、ビルボにそのようなことができたのは、彼の軸足が「日常」にあったからだと思う。それは、ビルボが自分の情けなさを知っていて、だからこそ蛮勇に流れることなく、戦乱の内にありながら戦乱を外から眺めることができた、ということなんじゃないだろうか。
最も自分らしくないことに身を投じた結果、ビルボは「自分らしさ」の真価を発見した。こういうことって、本当にあると思う。しかも、そうやってひとまわり大きくなったとき、ビルボはすでに50歳を過ぎていた、というのもまたいい。自分の殻を破りたいという衝動は、子どもや若者の専売特許じゃないのだ(ホビットは長生きで、120歳まで生きたりするんだけど)。
ビルボの冒険と製本の冒険はまったく違う種類のものではあるけれど、われらが中高年の星(?)のビルボにあやかるならば、たまに冒険したくなるのは、たぶん悪いことじゃない。だけど、冒険にでる一歩手前で引き返してしまうわたしは、まだ冒険の準備ができていないということなのだろう。
色や柄やテクスチャーはもちろん大事だけれど、つまるところ、表面的な要素にすぎない。そういう目に見える意匠とは別の次元で「自分らしさ」を見つけることができるまでは、うっかり冒険にでても道に迷うだけだ。
というわけで、今回は、謙虚な気持ちで濃茶のブッククロスと向き合うことにした。黒味の強い濃茶は、肥えた土のようでもある。わたしが「自分らしい」と感じられる、この暗色を生かしてつくることを考えよう。
本のタイトル『野ばら』から素直に発想して、表紙に「野ばら」をあしらおうか。前回の『小川未明童話集』で試した型染め(染色家がやるような伝統的な「型染め」ではなく、自前の型紙を使って絵具で染める、いわゆる「ステンシル」)で、花と葉を染めることにした。
さて、わずかに青を混ぜた白で花を、わずかに白を混ぜた緑で葉を染めた。花といってもただの丸、葉といってもただの楕円。だが、これで完成ではなく、ここからもうひと手間を加えるつもりだ。
白い野ばらが、身を寄せ合うようにして群れ咲いている。濃茶の大地にぽっと明かりを灯すように。やっぱりこれでよかった、と思う。
●『ホビットの冒険』 J. R. R. トールキン/瀬田貞二 訳(岩波書店)