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【製本記】 小川未明童話集 01 | 見上げれば、白い山稜

本をつくってばっかの日々。編集者として本を編みながら、時間を見つけては製本家として本をこしらえている。編集した本は世にでて光を浴びるが、製本した本は暗所に埋蔵するだけの習作も多く、せめてここに記録する。

文庫本の改装は、製本をする人の多くが試みることだ。だいたいは表紙をハードカバーに仕立て直すというもので、それだけでも特別な一冊になる。しかし、今回は糊で固められた本文を解き、糸でかがるところからやろう。できあがってしまえば見えない部分だけれど、あえてそこからはじめたい。

選んだのは、岩波文庫の『小川未明童話集』だ。ジャケットを外し、本体表紙を剥がす。そこからさらに本文を剥がすのだが、レポート用紙をさっと剥ぐようにはいかず、ページを傷めないように1枚ずつ。すると「アジロ綴じ」の化学糊、いわゆるボンドの塊が姿を現した。軟骨のような白い塊。この物体が、文庫本の背骨というわけだ。


小川未明は「おがわみめい」と読む。「未明」は坪内逍遙がつけた筆名で、夜明け前、空が白む前の時間のことだ。逍遙は「びめい」と読ませるつもりだったが、いつのまにか「みめい」が定着したという。明治、大正、昭和にかけて活躍した作家で、とりわけ短編童話の名手として知られる。その作品は童話だけでも1200編を数え、「日本のアンデルセン」との異名もある。

この岩波文庫版『小川未明童話集』には、選りすぐりの短編32話が収められている。未明の童話集はこれ以外にも複数刊行されているが、それは2011年に没後50年を迎え、著作権が切れたことと無関係ではないだろう。そうはいっても没後50年を超える作家はいくらでもおり、こうしていまでも各社がこぞって未明童話を出版するのは、読み手が望むからにほかならない。


わたしが未明童話を知ったのは、大人になってからのことだ。子どもの頃に読んでいたなら、どんなふうに感じただろうか。もはや知りようもないが、おそらくいまとあまり変わらない「景色」を見ていたような気がする。

しばらく前のことだが、本を読むときに頭の中で映像化する人としない人がいると話題になっていた。くっきりとした映像を描く人、朧げな映像を描く人、いろんなタイプがいるらしい。あるいは、本を読むと声が聞こえる人もいるとか。もちろん、文字情報としてそのまま受け取る人もいる。

わたしの場合、物語を読むと無意識のうちに映像になる。境界線をもたない色と影だけで構成されていて、人の顔はよくわからないし、まるで磨りガラス越しのようなひどく頼りないものだけど。それが「見える」というと語弊があって、目で追っているのはあくまで紙の上の文字なのに、眼球の裏側で自然と像が結ばれている、とでもいおうか。そして、稀にその像がとりわけ強く心に焼きつく作品があり、わたしにとって未明童話がそれだった。


胸がちくりと痛むような、懐かしい景色。哀愁を噛み締めるような、やるせない景色……。未明童話が見せる景色は、どうしてこうも胸に残るのだろう。それは、未明の故郷とわたしの故郷の景色が似ているからかもしれない。

未明童話は、具体的な場所が明かされていないものが多い。しかし、そこはかとなく彼の故郷、新潟県上越市の風土が投影されていると思しきものが多い。未明自身「雪の深い高田の、寒い、貧しい士族屋敷に私は生れました。その時分の生活とか、見たり聞いたりしたことが、いつまでも変らぬ私の思想になったのだと思います」と語っている。

例えば「月とあざらし」は、凍てつく北方の海が舞台だ。子を失くした母あざらしが、氷山のいただきでうずくまり、悲しみに沈んでいる。それだけでも痛ましいのに、寒い風がヒューヒューと吹き、白雪が降りかかる。太陽は顔を見せず、青かったはずの海は「死んだ魚の目のよう」にどんよりと曇っている。氷山というからには、北の極地なのかもしれない。しかし、日本海側の雪降る町で生まれ育ったわたしには、鈍い銀色の海、はらはら波間を舞う雪、厚い雲に覆われた空……こうしたディテールがありありと目に浮かぶ。

雪国の長く厳しい冬は、そこにある暮らしを孤独にし、人の心に重石をかける。だけど、低く重く閉ざされた世界にあってこそ感じ取ることのできる命の崇高さ、あるいは心の温度というものが確かにある。未明童話に漂う愁いは、わたしにとって郷愁を誘うものだ。そして、その愁いの間隙に差し込む淡い光は、泣きなくなるほどきれいだ。


高校時代、美術の先生が、窓の向こうに横たわる白い山稜を見上げてこういった。「毎日この景色を目にしている君たちが、どれほど恵まれているか考えてごらんなさい。この景色は、君たちが何を美しいと思うかに深く関わっている」と。当時はピンときていなかったこのことばの意味が、未明童話のおかげで、ようやくわかってきたような気がする。

どんな景色を見てきたか。それは、わたしたちが思っているよりずっと、わたしたちそのものなのかもしれない。そしてまた、そこには、本を通して見る景色も含まれていると信じたい。

さて、剥がした本文の背にはところどころ糊が残っており、アジロ綴じの切れ目も入っている。このままでは作業しにくいので、断裁機で背側の辺を断つ。すると、本はひととき、豆腐のような白い長方体になる。この脆い積層の間に間に、豊かな景色が折りたたまれている。


●『小川未明童話集』小川未明(岩波書店)

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