○○を脱ぎ捨てよう
人は誰でも俳優です
いつも100パーセント素の自分のままです
そう言い切れる人はどれだけいるでしょう?
会社員時代、オフィスで同僚と話をしているときに
電話が鳴り、受話器を取ると
急に声のトーンや話し方が変わって
「お電話ありがとうございます。株式会社○○、アパレル事業部でございます」とまるで別人…なんていうこと、よくありました
日本語教師時代、休日に友達と買い物しているところに
「あ!先生、こんにちは!」と声をかけられて
「★さん、こんにちは!偶然ですね」と答えたら
一緒にいた友達に
「一瞬で人が変わったね!」と驚かれたことがありました
「礼儀正しい社員」や「優しい先生」の役を一瞬で演じているわけです
一人の人が日常で演じている役割は何百もあるとも言われています
そしてそれを演じているときの軸は自分ではなく
ひと なのです
ひとにどう受け止められるか、受け入れられるか…なわけです
いわゆる“いいひと”な役割以外もあります
ひとを困らせたくて、反抗的な態度をとる…役割を演じるみたいなこともあるわけです
素の自分ではないから、役割を演じ続けていると疲れます
わたしは日本語教師時代、「きちんとした先生」の役割に疲れて
あえて違う業種のアルバイトをしてバランスをとったりしていました
疲れるぐらいなら、まだいいのです
この「役割」で生きていると、ものごとが素直に運ぶはずのところがねじ曲がっていきます
電話で声が変わるぐらいのわかりやすく切り替えやすい役割は、まだ浅いのですが、もっと生き方に関わるような根っこの部分で、役割を演じていると、根っこから物事がねじれていきます
わたしも自分で意識せずに演じていた役割がありました
「しっかり者の娘」です
この役割を演じている間は、母との関係性がねじれにねじれていました
不満や愚痴ばかりを口にする母の顔を見ればイライラして、言葉もきつくなって、言葉の攻撃で母を泣かせたこともありました
母が介護の担当者の方と行き違いを起こすと
「しっかり者の娘」の落ち度になると無意識に捉えていたのでしょう
わたしが実家の母のところに通うのは、何よりも「しっかり者の娘」の責務を果たすためでした
片道1時間半、往復3時間かけて実家に出向くたびに
母とぶつかっていました
ところが、思いもかけない出来事で
その役割を手放すことになったのです
それは、母が実家を出て弟のところに引っ越すというタイミングでした
「しっかり者の娘」は当然、引っ越しの手伝いに行かねばなりません
その1週間ほど前に、なんとわたしは手首の骨を折って、引っ越しの手伝いには足手まといにしかならない状態になってしまったのです
当然、弟も母も手伝わなくていいと言ってくれました
そうすると、6歳から育った家で母と過ごす機会は永遠に失われます
何も果たす責務はなく、用事もなく
どうする?
そのとき、はじめて素のわたしに自問自答しました
「わたしはどうしたいの?」
素のわたしは答えました
「あの家でお母さんに会いたい」
実家を出て30年
はじめてわたしの内側から湧き出てきた思い
引っ越し当日は邪魔になるだけなので
その数日前に実家を訪れました
そこで母と過ごした2時間あまりは宝物のような時間でした
母の口からはいつものような愚痴や不満はこぼれてこず
テレビから流れてくる音楽を口ずさむ母の隣にいて
大阪の家の日の当たる廊下(縁側?)で童謡を教えてくれた母に会えた気がしました
それまでも数秘学講座のレベル3クラスで宇宙の法則のひとつとして、役割を脱ぎ捨てて生きることを説いてはいたのですが、これほどまでに、ねじれたものがするすると本来の絆に戻っていくとは…
こういう役割だからこうするのが当たり前、こうしなければならない
その役割を一度脱ぎ捨ててみてください
100パーセント、何の制約もなく、すべて自分の欲するままにできるとなったら、わたしはどうしたい?
親だから、子だから、男だから、女だから、大人だから、年上だから、年下だから…全部外して
わたしはどうしたい?
是非聴いてあげてください