宇宙と「言語」どこの国の言葉?そして思考と哲学と「宗教」
宇宙論は
入ってる
単なる小説、満月
光の速度は一定ではない!
天動説と地動説ぐらい違う
relaxmaxの宇宙論!
ー
古代インドではヴェーダにおいて、「無からの発生」や「原人による創造」といった宇宙創生論が見られ、後には「繰り返し生成・消滅している宇宙」という考え方が現れたという。
古代ギリシャにおいては、エウドクソス、カリポス、アリストテレスらが、地球中心説を構築した。アリストテレスは celestial spheres は永遠不変の世界で、エーテルを含んでいる、と考えた。
−
九つの世界、九つの根を地の下に張りめぐらした名高い、かの世界樹を、わたしはおぼえている。(「巫女の予言」2節)
北欧か、、、
マヤには
マヤの宇宙がある!
−
古代ギリシャ
紀元前700年ころに活動したヘシオドスの『神統記』の116行目には「まず最初にchaos カオスが生じた
−
At the November 22, 1951, opening meeting of the Pontifical Academy of Sciences, Pope Pius XII declared that the Big Bang theory does not conflict with the Catholic concept of creation
ビッグバン
と
カソリック
−
Bereshit ('In the beginning')
−
9天は全て第五元素であるエーテルから構成されており不変であり
イスラーム
宗教と宇宙
イスラム世界にギリシア哲学が伝わったのはシリアを介して
シリア語で
旧約聖書を読んだムハンマドさん
イランにおいては、今でもイスラーム哲学が盛んに研究されている
−
異なる物理法則および物理定数なども含まれる。この語は1895年にアメリカの哲学者で心理学者のウィリアム・ジェームズによって造られたが、異なる文脈においてである[2]。多元宇宙が含むそれぞれの宇宙は、平行宇宙と呼ばれることもある。
宇宙の「並行」
と
並行世界
は
実は
「ちょっと違うふう」
かも!
宇宙ってなんだろう?
を
今
現実の この世界の 地球にある「脳みそ」 物体
として
「考えて」いるからで
光の速度より「早い」
ひらめき
稲妻は「目で見える」
(速度が 地上から 「よゆうで見える」光)
でも!
イナズマ!
ひらめきと
イナズマ
ちょっと似ているのは
「擬似電気信号」としての脳の動きとは違うから!
直感!
計算ではない「動き」=自由
でも!
うつくしい「幾何学的(=計算で 整列しているかのような! でも 地上で見る星と 宇宙空間の どっか「外れ」の方で見る星
その「違い」と同じぐらい
「似ている」けど
違う! もの
並行宇宙?
宇宙は
一つ?
いくつも?
数は「限定」しないと「計算」できない?
無限大と0は
計算できる?
0をかけたら いつも0!
無限大 と 0
その「あいだ」がある
無限大ではないもの
それと
無限というもの
「あいだ」そのもの
まったく計算ではなく
「はかれないもの 数字で言えないもの! 感覚としての「距離」 」
でも合ってる! 時には「数字」より!
他の「誰か」
がヒトの感覚について
「ほんとはなにもいえない」
のに似ている!
スープの冷めない距離
(そのぐらい「近い」
でも「距離があってラク」?
くっつきすぎない? 便利?
感覚というもの!)
それより
「言語」かも!
この表現は
「日本語」で知った
感覚としての距離だけど!
元々 どの言語に「あるフレーズ」?(実はそこを知らないrelaxmax)
−
ヨハネ伝か
(じょん?
−
−
−
Masoretic Text (MT) born in 160 AD at Zippori
グリークとヘブライ!
−
ヨハネ福音書 P2、5、6、22、28、36、39、45、52、55、59、63、66、75、76、80、84、90、93、95、106、107、108、109、119、120、121、122、128、134 125年
使徒行伝 P8、29、33、38、41、45、48、50、53、56、57、58、74、91、112、127 250年
???
−
パピルス写本
125年頃の写本である
ヨハネ福音書の「一部」が、、、
−
ヨハネ福音書 125年
使徒行伝 250年→ 180年
2世紀か、、、
(十字架 磔刑 贖罪
付け加えられたストーリー
イエス
ということは
「一部」
に「なにかを誰かが」
パピルスは「一部」
だから
付け加えられたのかもな
−
第一ヨハネ書簡 250年→ 110年
第二ヨハネ書簡 350年→ 130-140年
第三ヨハネ書簡 350年→ 210-250年
ヨハネ黙示録 150年
以上が、各書簡ごとに遡れる成立年代の下限
−
[言] ギリシャ語のロゴスで「ことば」または「理性」を意味する文字であって、ヨハネはこの語を用いることによって読者がこれを上記の意味に理解することを知っていた。あるいはこの語をもって当時行われしギリシャの哲学(ストア派の)におけるロゴスの思想またはアレキサンドリヤのフィロンの宗教哲学におけるロゴスの思想の影響を受けしものであると論ずる人もあるけれども誤っている。((ヨハネのロゴスとこれらとの間に多くの類似があるにもかかわらず重大なる相違があることを知らなければならぬ。例えばストア哲学においては「世界理性」「世界法則」の意味に解し有機的関連を為している世界に法則と目的とを与うるものをロゴスと呼んでいるけれども、ヨハネの言うごとき神と偕にある人格ではない。またフィロンの場合においてもギリシャ思想と旧約聖書の神学とを調和することによりて彼の哲学的神学系統を形成したのであるが、彼によればロゴスは神と人との間の中間的存在であって神にあらず人にあらず、(ヨハネはロゴスを神となし、その受肉によりて人となり給えりと解す)神と人、神と宇宙との仲介者であってこれを神の長子または第二の神と呼んでいた。また宇宙の秩序運命を支配する法則なりとの意味において「神の人」「天の人」と呼ばれ、また神と人との中間にあるをもって創造、黙示、再生の中保者などと呼ばれていた。これらの点において名称はヨハネのいわゆる「言」の意義に近似しているけれども、フィロンは神の御霊とロゴスとを区別せず、またロゴスとメシヤとの関係なしとするなどの点においてヨハネのロゴスとは異なっている。ヨハネのロゴスは旧約聖書創世記および詩篇(詩33:4-6。詩107:20。詩119:89、詩119:105。詩147:15、詩147:18等)などの思想より転化せるものであった。然らばこの二者は全然無関係なりやというに、然らずむしろギリシャ哲学およびフィロンのロゴス説を彼のロゴス観によって完成することがヨハネの意味であったのであろう。ゆえに彼はイエス・キリストにおいて旧約聖書の「神の言葉」の受肉、化身を見、また同時に人間の思想に表れし真理の片鱗予兆の完成を見たのである。然らざれば彼はキリスト御自身も他の使徒らも用いなかったこの語を用うる必要はなかったのであろう。))
−
ロゴスと哲学
ギリシア語 ギリシア哲学
−
ゆえに彼はイエス・キリストにおいて旧約聖書の「神の言葉」の受肉、化身を見、また同時に人間の思想に表れし真理の片鱗予兆の完成を見たのである。
だから
イエス キリストを「神」って考えるのかもな
多神教の キリスト教
(、、、どっちかっていうと
人の子イエスは人とも思う
イーサーは常人
そう思うrelaxmaxであった)
ギリシア哲学
ギリシア語
だから「ヨハネ」は
新約聖書は
「あのかんじ」!
なのかもな!
−
ことばは神かみと偕ともにあり(き)、
註解: 原語にて神と偕にはプロス、トン、テオン pros ton Theon であって、
単に神と並びて共存するというよりも、
むしろ神に向かって神との不断の交わりにおいて共存することを意味している(G1、Z0)、
またこれによって「言」が神の性質や活動の一部ではなく、別個の個性格(ペルソナ)であることを示している。
ペルソナ!
自身
そして
the same
そういう
言語と「哲学」
そして宗教
ってことなのかもな!
すなわちロゴスは無限の始めより神との間に愛の交わりにおいて存在し給うた。
−
聖霊の示顕
言(ことば)は神なりき
−
https://kurosaki-commentary.com/kurosaki_frame.cgi?43+1+1
なかなか面白い
−
言語と哲学
そして「脳」
ギリシア語、、、
"The Word," a translation of the Greek λόγος (logos), is widely interpreted as referring to Jesus,
哲学
ロゴス
−
ܒ݁ܪܺܫܺܝܬ݂ ܐܺܝܬ݂ܰܘܗ݈ܝ ܗ݈ܘܳܐ ܡܶܠܬ݂ܳܐ ܘܗܽܘ ܡܶܠܬ݂ܳܐ ܐܺܝܬ݂ܰܘܗ݈ܝ ܗ݈ܘܳܐ ܠܘܳܬ݂ ܐܰܠܳܗܳܐ ܘܰܐܠܳܗܳܐ ܐܺܝܬ݂ܰܘܗ݈ܝ ܗ݈ܘܳܐ ܗܽܘ ܡܶܠܬ݂ܳܐ ܀
ヘブライはないの?
グリーク(写本 2世紀)
より古い そして本人書いた
1:1
それを探してみたけど、、、
(見つかっていない?
それとも
「もともと存在しない」?)
最初に
どの言語で
ヨハネは「書いた」?
読んでいたのは旧約聖書はヘブライ
そういう人が
住んでた場所がグリークだからといって ギリシア語で書くものなのかな?
アラム語で話すイエスの言葉を「正確に伝える」なら そもそも聖書用の言葉 ヘブライで書くのでは?
−
どうして
写本 ギリシア語 2世紀
しか見つかっていないのか?
−
キングジェームス
決定版の「英語」「翻訳」
その当時のイギリスで
1番正確な元! はギリシア語の「コレ」って思って学者たちが何年かかけて
「翻訳」(一部ない部分は 「彼らが書いた?」!!!????)
その国ではなくとも
別の
イスラムの国なら
もっと正しい(シリア語 など ヘブライはある?)聖書 伝わって残っていたのかも!
ムハンマドさんの時代に 彼はシリア語で聖書 (ヨハネの黙示録も!)読んでいる
ヨハネ にシリア語
写本で 翻訳(? 元はヘブライ?? どうだったんだろう?)
7世紀に「ある 聖書 ギリシア語ではない」
おそらく写本!(元の本ではなく?)
ヨハネは「どの言語」で元々書いていた?
ヨハネが
虚偽を2世紀に書いたのではないか?
つまり2世紀の「ヨハネ」! 虚偽の部分! 付け加えられたストーリー!
それまでの聖書
言語はギリシア語ではなく 創世記 旧約聖書が書かれたヘブライでは?
それをギリシア語に「翻訳」LOGOSという考え方で「書いた」ギリシア哲学的な三位一体の「キリスト教」多神教の
「2世紀のヨハネ」が付け加えたストーリー!
"The Word," a translation of the Greek λόγος (logos), is widely interpreted as referring to Jesus,
哲学
ロゴス
ギリシア哲学が出ている
1:1 ヨハネ
−
ヨハネ
ヨハネ福音書 125年
使徒行伝 250年→ 180年
2世紀か、、、
(十字架 磔刑 贖罪
付け加えられたストーリー
イエス
ということは
「一部」
に「なにかを誰かが」
パピルスは「一部」
だから
付け加えられたのかもな
−
ヨハネの思考つまり信仰パターンですが罪の悔い改めの洗礼でした
そうなんや、、、
十字架?
罪?
悔い改め?
懺悔?、、、
贖罪を欲していたのは
「誰」?
そして
「どうして」?
なんとなくの理由は、、、
「罪」
悔い改め
つまり
「罪」があるということ!
イエスとの「違い」
そこを離れて、エッセネ派を離れて自分でヨルダン川で洗礼を授ける運動を開始しました。その時の中心的な主張が罪の悔い改めの洗礼でした。これは画期的なことだったのです。
その意味でバプテスマのヨハネはタダの人ではなく、一つの発想から自分独自の世界を切り開いた人なのです。
「独自の世界を切り開いた」?
(独自の聖書も書いちゃった? 新約?!)
主イエスはバプテスマのヨハネから洗礼を受けた
やはり一時期ヨハネ集団に属していたと考えられます。
主イエスは洗礼を授けるというよりも「時は満ち、神の国は近づいた。悔い改めて福音を信じなさい」と言いました。
「神の国」
主イエスの場合は「神の国のための悔い改め」
このところがバプテスマのヨハネと微妙に違うのですが、しかし主イエスも自分独自の発想を持って宣教活動を行ったのです。
ヨハネは
なんというか「贖罪」ぽいかもなー
−
エフェソスに移り住み、エフェソス教会の指導者となる。
51年? エルサレム使徒会議に出席する。
80~98年 『ヨハネの福音書』を執筆する。
90~95年 『ヨハネの書簡 1~3』を執筆する。
95~98年 パトモス島に追放され、そこで『ヨハネの黙示録』を執筆する。
98~100年 余生をエフェソスで暮らす。
100年 エフェソスで死去する。
ヨハネ!
自分で書いたの?^_^
別の「説」も!
−
へブ ラ イ 語 で 「言 葉 」 を あ ら わ す 代 表 的 な 単 語 に ダ バ ル (da bar )がある。ダバルは言葉と出来事の両方の意味を表現する
なるほどな
だって!
言葉があって
出来事がある
−
言葉 と事は切り離すことができないからである。「できごと」の意味を合わせ
持つ「ことば」である。
言葉と
事
切り離されて長い
(嘘 偽 増えた)
−
ヘレニズム
〘 名詞 〙 ( [英語] Hellenism ) ギリシア風であること。広義にはヘブライズムに対立する概念。ヘブライズムとともにヨーロッパ文明の伝統を支えるギリシア精神。狭義には東方的なものとの融合で超民族的・普遍的性格をもったギリシア文明
ヘブライ
対抗
イズム
−
「意と事と言 とはみな相称へる物」(宜長)
かなりいい
古事記の「注釈書」
書いた彼は18世紀の人
本居宣長
江戸中期の国学者・本居宣長(1730~1801)
本居宣長
三重県松阪市生まれ
医業
古典研究
古事記全文の注釈書『古事記伝』
もう聖書
ヨハネ1章1節知ってたの?
ヘブライ!
それを翻訳した?
古事記は
ヘブライ知ってる人なのかな!^_^
彼は
大陸的な考え方の日本書紀よりも
「古事記」の方が本来の日本的で正しいと考えていたという
−
宣長はこのことを、「意ココロと事コトと言コトバとは、みな相称アヒカナへる物」であると言う。
「古事記伝」の初めにある、「抑そもそも意と事と言とは、みな相称へる物にして」云々の文は、其処まで、考え詰められた言葉と見なければならないものだ。
古事記の時代
聖書読んでた人
いたとしたら
「何語」ヘブライかも?
本居宣長の「言葉」
翻訳かと思えるほどに!
ヘブライぽい!
神道!
日本
古事記
−
自分達の力の及ばない、優れたもの、恐ろしいもの、有り難いもの、不思議なものに出会って素直に驚き、声をあげたとき、それらはおのずと「カミ」と呼ばれた。言葉の力によって初めて、見えたがままの物(カミ)の性ア質ル情状カタチが明らかになったのだ。
小林秀雄
(言葉 そして 神
彼は聖書 もう伝わっている時代の人
本居宣長
聖書読んだことあったかな?
ヘブライぽいあの本居宣長の古事記
そして
古事記の時代の
「その言葉」!
なんとなく
ヨハネの1:1
思い出す
でも
キリスト教伝来は
出島!
とか
「あの時代」
−
ザビエル
鹿児島
「マタイ」
なんだ
最初の日本語(歴史の授業で習うこと的には!)
−
『古事記(こじき)』が完成したのが712年(和銅5)。 712年に進上した、と記されています。 帝紀とは、歴代の天皇の系譜。 各地の氏族に口誦で伝えられた様々な伝承のこと。
四天王寺
厩戸の王子
政治家。 593年、推古天皇の摂政となり、蘇我馬子と協力して、 天皇中心の政治を目指しました。 用明天皇の第二皇子、母は欽明天皇の皇女・穴穂部間人皇女。 「聖徳太子」は後世の尊称で、厩戸王と言われています
「593」
−
シルクロードと、またはシリアからイランを横断する古代のキャラバンルートでつながっていました
とさ
シルクロード
イランからの、、、(wikiで読んだけど!)
遣唐使とか遣隋使の時代?
−
仏教伝来
日本書紀
欽明天皇13(552)年
百済(くだら)の聖明王の使者が、この地に釈迦仏の金銅像や経典を献上したとあり、それをもって日本に仏教が伝来したとされ
日本の律令政府が
唐に派遣した使節 遣唐使
630年-894年に停止されるまで続いた
聖徳太子時代の遣隋使
607年 遣隋使 小野妹子
聖徳太子の頃
遣隋使
シルクロードから
もしくは
遣唐使の時代
回教 (ムハンマドさん 610年!)
もしくは
旧約聖書 新約聖書
伝わったこと
「もし」あったとしたら
ムハンマドさんはシリア語で
聖書を読んでいた
日本にもし「ヘブライ」の聖書が
シルクロードを通して
伝わっていたとしたら?
そのぐらい
本居宣長
ヘブライのヨハネ1:1ぽい
(イランからは 漢字の名前で呼ばれる「なにか」が シルクロードを通して 遣隋使遣唐使の時代に伝わっている)
ギリシア語ではなく
「シリア語」(ムハンマドさんは シリア語で 旧約聖書も(おそらく新約聖書のヨハネ黙示録も! 同じ部分はあるから!) 読んでたかな?
シルクロードで、、、
それで
厩戸?(まぁたまたま?
古事記
あの言葉!
ヨハネ1:1のヘブライぽいけどな!
「考え方」!
−
そして、『日本書紀』から読み取れる彼の実名(諱<いみな>)は「厩戸皇子(うまやとのみこ)」です
日本書紀に書いてたのか、、、
本居宣長は、、、「古事記」の方が!
とは書いてたけど
−
たとえば、『古事記』は天皇家のための歴史書であり、『日本書紀』は国家の歴史書であるという考え方です。 両書とも葦原中つ国を天皇が支配することの正当性を述べているのですが、性格に微妙な相違があるというのです。
神話とヘブライ
−
入門
神話入門
8世紀初めにまとめられた両書
『古事記』は712年、『日本書紀』は720年というように、いずれも8世紀のはじめにまとめられた歴史書です。神代から書き始められ、『古事記』は推古天皇、『日本書紀』は持統天皇というように共に女帝で終わっているところも同じです。また、両書とも編纂の出発点が、7世紀後半の天武朝にあるという点も一致しています。
この頃
ヘブライの聖書
「ぽい」
聖書「新約聖書」
が
もし
シルクロードから
日本に伝わっていたとしたら?
ぐらい
本居宣長のあの「古事記」の注釈書の「言葉」
思い出すのは
ヨハネの1:1
−
新しい文字と翻訳
「聖書」とは
そういうものでもあるらしい
−
文字は「肉体」か、、、
言葉は文字という「肉体」をとり
という表現
つまり
はなしことば
口から耳には
書き「文字」がまだない
−
参考文献
file:///private/var/mobile/Containers/Data/Application/20A0B3A5-EB0A-4F39-A77C-C9C10DDC9627/Documents/KJ00004471742.pdf
−
https://1059ch.sakura.ne.jp/asiato/j/j-yohanetoiesu.html
参考
−
新約聖書
言語はギリシア語のみと書いていた人もいたけど、「キリスト教」の人
だからムハンマドさんがシリア語で旧約聖書、そして「シリア語のヨハネ 黙示録 新約聖書」を読んでいた
ということを知らなかったからではないか?(キリスト教徒の 牧師さん などは ムハンマドさんが コーラン書く時に シリア語で聖書を読んでいたと知らないのではなかろうか?)
ヨハネ1:1
ジョン
(ヨハネなんだけどな 日本人は日本語で「ヨハネ」さんと思っているけど 、、、英語で聖書読む人は「ジョン」??)
−
https://www.bible.or.jp/know/know07.html
新約聖書はギリシア語で記された。このギリシア語はヘレニズム時代に地中海世界で共通語となったコイネ-と呼ばれるギリシア語
ここに書いてあったのは
「新約聖書はギリシア語」
ということなんだけど、、、
ムハンマドさんが
シリア語で聖書読んでコーラン書いたとか知らないのではないかな?
(ヨハネの黙示録 シリア語で読んでたムハンマドさんではないかな?)
−
福音書記者はイエスの語られた言葉の中に、ごく少数ではあるがギリシア語と並行してアラム語を保存している
?
新約聖書は
ギリシア語!?
(シリア語でムハンマドさんは聖書読んでた
ヨハネの黙示録も「シリア語」で読んでた?
ムハンマドさんは
アラム語部分はアラム語で読んでたとしても、、、
ヨハネの黙示録
と
同じく
ゴク マゴク
出てくるしなー
コーラン!
−
住んでいる場所
と
伝わっている聖書の「言語」
ギリシア語 キリスト教
シリア語 イスラム
ヘブライとアラム語
(新訳は、、、
−
マタイの福音書はもともとヘブライ語で書かれた後、ギリシア語や他の言語に翻訳されました。 マタイのヘブライ語版は、中世のユダヤ人筆記者によってコピーされた少なくとも28の写本に残っています。 ヘブライ語のマシューの最も重要な写本の1つは大英図書館の図書館に保存されている写本です。
こっちの教会の人は
ヘブライのマタイのこと知ってるけど、、、
−
従来の仮説(アラム語説)を覆し、イエスが話していた言葉はヘブライ語であったことを、さまざまな証拠をもって論証する。イエスの言葉を元のヘブライ語に訳し直すと、難解な部分が明快に理解できる。
ヨハネの1:1
で思ったな、、、
英語から
ギリシア語(キリスト教が三位一体という ギリシア哲学的だということがわかった! 2世紀パピルスの「虚偽」、、、ここからじゃないかな? ヨハネ 磔刑 付け加えられたストーリー)
JESUSと思わず
「神」と思ってthe wordを読んでいたrelaxmax
(つまり英語で)
イエスはどちらかというと「常人」と思っているrelaxmax
(三位一体 ギリシア哲学的な LOGOSの捉え方で 読んでいなかった、、、)
そして
旧約聖書にある言葉
DA BAR
の意味を知って
さらに
その意味を理解出来た
元の言語 ヘブライで理解する聖書
(その方が 「より伝わる」)
キリスト教の「虚偽」とイスラムの人が書いていたあの「内容」の意味がわかった部分が「ココ」かも!
2世紀 パピルス写本 ギリシア語
ギリシア哲学ぽい考え方の
三位一体
そして LOGOSの「翻訳」
一部(かけていてない 誰か イギリスの学者たちが がんばって書いた キングジェームス!)
新訳はギリシア語しかない
と書いてあるところもあるけど
ヘブライも「ある」と知っている人もいる。
4つのうち「3つ」はヘブライも「ある」!
−
では 新約聖書 ヨハネ「も」!
「ヘブライ」が もしあって
遣隋使の時代(厩戸の皇子の時代に!)
ヘブライの聖書が日本に
シルクロードを通して伝わっていたとして
そのヘブライ
の意味を知る
本居宣長が
「あの翻訳( 古事記を現代語(その当時の!)に注釈書」書いたとしたら?
日本に(鞍馬 牛若丸!)アラム語が伝わっているのは
「聖書のカタチ」ではないか?
そして
2世紀のパピルス写本は
許されたかった「ヨハネ」が書いた虚偽を付け加えたストーリー
イエス 磔刑 贖罪 ユダ 会計
その「罪が許されるストーリー」を付け加えた2世紀のパピルス写本(ギリシア語!)
ヨハネ本人が書いた
ヘブライが「もし」あるとすれば
2世紀のパピルス写本
ギリシア語の時に
「キリスト教の 贖罪 磔刑 十字架 会計 許されたかった 人が付け加えた」ストーリーなのかも!
ギリシア語で書かれた
LOGOS という言葉
1:1ヨハネはギリシア哲学ぽい!
三位一体 キリスト教っぽい「哲学 考え方」が ギリシア語という言語とギリシア哲学にあらわれている
言語と宗教
イスラム教と(アラム語 ヘブライ シリア 一神教)
キリスト教( ギリシア語 ローマ帝国 そしてギリシア哲学 三位一体 多神教)
▼ヘブライ人によって書かれ、ヘブライ的な宗教や伝統習慣が背景になっている新約聖書は、ヘブライ的観点によってのみ正しく 理解できる。本書は、福 音書の研究に新しい光を 投じるであろう。
このヨハネ
あるの?
(4つのうち3つはあると ここでは書いていた)
▼著者のD・ビヴィンは、共観福音書のためのエルサレム学派の研究成果を発表する「エルサレム・パースペクティヴ」誌の編集・発行人。
こういう本もあるらしい
イエスは
アラム語ではなく
ヘブライで話していた「説」の本
(、、、たしかに ロゴス より ヘブライの方が より なるほど!
と思ってたけど)
元々は
ギリシア語の写本より
古い ヨハネ本人が「何語? ヘブライ? イエスはアラム語で話していたけど??」書いた本は
見つけてないだけ?
そもそもなくて
「写本時代」にヨハネ(ということ 有名人の 名前) で
ギリシア哲学的な考え方を入れた
新約聖書 ヨハネ 書いた?
説、、、(?
どうなんだろ!
なんで
写本の「元」
見つけてないのかな?
−
「アレッポ写本」(930年)現在ヘブライ大学でこの写本に基づくヘブライ語聖書を作成している
現在って
「どの現在」?
(まだ作成している最中?)
−
イエス・キリストの言葉はアラム語であった、という定説をひっくり返すことである。
ちゃんとヘブライ語を話し、ヘブライ語で祈り、ヘブライ語で教えられた。
当時のエルサレムの人々もそうだった。
これはシュムエル・サフライ元ヘブライ大学の教授から学んだことである。
それに関連して、マタイ伝がもともとヘブライ語原文だった痕跡があるので、紹介したい
新訳は「全部?」ギリシア語って書いてる別の人もいた、、、
ヘブライ語: ギリシャ語聖書で,聖書筆者は「ヘブライ語」という語を,ユダヤ人が話した言語(ヨハ 19:13,17,20。使徒 21:40; 22:2。啓 9:11; 16:16)や,復活して栄光を受けたイエスがタルソスのサウロに話し掛けた言語を指して使った
ヘブライ
ヘブライ語聖書では,以前から「アラム語」と「ユダヤ人の言語」が区別されていて(王二 18:26),1世紀のユダヤ人の歴史家ヨセフスは聖書のその記述を考慮し,「アラム語」と「ヘブライ語」を別個の言語と
別
でも
「述べる」かんじで
アラム語とヘブライ語にはよく似た言葉があり,アラム語からヘブライ語に取り入れられた言葉もあっただろう
これは権威ある初期の幾つかの写本には出ておらず,ヨハネの原文の一部ではないと思われる。(付録A3参照。)ギリシャ語聖書のヘブライ語訳の幾つか(付録C4のJ9,22,23)で,「主の天使」の代わりに「エホバの天使」と訳されている。
?
ギリシア語聖書を
「ヘブライ」?に??
−
父は子に愛情を抱いていて: イエスはここで,創造の当初から自分と父との間にある温かな一致の絆と親しい関係を表現している。(格 8:30)ヨハネはこの関係を述べるイエスの言葉を記した時,ギリシャ語動詞フィレオー(「愛情を抱く」)を使った。この動詞はしばしば,真の友の間に存在するような非常に強い絆を表す。例えば,イエスとラザロの間にあった友情の絆を表すのに使われている。(ヨハ 11:3,36)
ギリシア語か。。。
−
記念の墓: これはギリシャ語ムネーメイオンの訳で,墓を指す。その語は,「覚えている」,「(自分に)思い出させる」という意味の動詞ミムネースコマイに由来
ギリシア語か。。。
−
裁きの復活: 死ぬ前に「悪いことを行った人」は「裁きの復活」を経験する。ここで「裁き」と訳されているギリシャ語(クリシス)は,文脈によって幾つかの意味合いがある。(ヨハ 5:24の注釈を参照。)この節で,「裁き」という語は,評価や観察の過程,あるいは,あるギリシャ語の辞典が述べているように,「行いを精査すること」という意味で使われているようだ。
ギリシア
−
以前の正しくない生き方をやめた人だけが,「命の書」に名前を加えられ,「永遠の命」を得る。(啓 20:15。ヨハ 3:36)
−
ヘブライでは
http://relaxmaxontheroad.com/fullmoon78-da-bar/
だから
英語の聖書は
キリスト教は
三位一体なのだな
ジーザスが 翻訳として「神」
肉
ギリシア哲学 ギリシアの言語があらわれている
英語の「王」「勅令」で翻訳された決定版のキングジェームス!
−
ヨハネ
「欠落」
違う部分の
ヨハネ
はあるけど
ジョン1:1
どこかに
ヘブライあるの?
ギリシア語より「前」
写本の「元」
他の3つはヘブライあると書いている人いたけれど!
ヨハネは「ない」のかも!
2世紀の虚偽 パピルス写本
ギリシア語
ってことかなと
relaxmaxは思った
イエス 磔刑 贖罪 ユダ 会計
そういう「付け加えられたストーリー」
ギリシア語の写本! ヨハネ!
ではないかな?
(イエスは常人と思うrelaxmax
どちらの宗教でもないけれど
神さま=イエス
ってそんなに思わないなー
ロゴスがジーザス? 英語の「翻訳」!
神の子イエス というのはわかるんだけど、、、「お話し」東方の三賢者とか、、、(イーサーの話とは別のお話し!)
−
お墓の話、、、
確か
「いくつもある」
から
それも虚偽では?
と言われていた「部分」でもあるのかな?
−
ヨハネが書いた?
エフェソス時代
(今は トルコ?
古代ギリシア語で書いたの?
(ヘブライではなく?
アラム語ではなく?
ギリシア支配時代以降
ヘブライ語は聖書その他の宗教文書に用いられ、一般にはアラム語が日常化していった。イエス時代のパレスチナではアラム語が用いられていた(、、、聖書はヘブライ?)
それの「写本」
がキングジェームスの英訳?
哲学者ヘラクレイトスはこの町の出身
ギリシア哲学が入ってる
三位一体!
ジーザス=神!(翻訳! 英語!! ギリシア語から!)
一神教との違い!
古代ローマ帝国の東地中海交易の中心
−
使徒ヨハネはパトモス島の流刑から解放された後、エフェソスの教会の主教(司教)を務める傍ら、ヨハネによる福音書を書いたと伝えられる(ただしこの伝承の史実性は疑問視されている)。
らしい
「疑問視」
別のところの「年表」と違う説!
(流刑の時に黙示録
でもその「前」にヨハネの福音書
ジョン1:1
新約聖書は
書くときに旧約聖書を読んだ上で「ヨハネが?」書いた?ギリシア語で書いた?どうしてだろう? ヘブライで旧約聖書創世記を読んでいたなら、ヘブライで1:1書くのでは?
ロゴスは「ギリシア哲学」
言葉! 哲学
そして多神教的!
(ヘブライは「ない」が答え?パピルスの「元」見つけてない? そもそも虚偽だから「ない」 どうしてだろう?)
ヨハネが書いたとすると
でも
「ヘブライ」では「xxxx」みたいな記述が「ある」ヶ所もあるの?
エフェソスに移り住み、エフェソス教会の指導者となる。
51年? エルサレム使徒会議に出席する。
80~98年 『ヨハネの福音書』を執筆する。
90~95年 『ヨハネの書簡 1~3』を執筆する。
95~98年 パトモス島に追放され、そこで『ヨハネの黙示録』を執筆する。
流刑の後
黙示録!ヨハネ
別の説との「違い」!どっちが正しいとかあるの?
−
イスラエル北部ガリラヤのベツサイダにて誕生。若い頃は父・兄とともに漁業に専念。
28~30年 イエスの弟子として宣教活動に仕える。高い山でのイエスの変容を見守る。
30年 最期の晩餐の支度をする。
30年 イエスが磔刑となり、イエスから聖母マリアの身を託される。
30年 刑の3日後に復活したイエスと会う
ヨハネは
イスラエル出身だったら
そこの「言語」で書いた聖書?
古代ギリシア語話す場所、エフェソスで?
古代ヘブライ語
(または聖書ヘブライ語)西暦200年ごろ
に口語として滅亡
−
英語で
ものを考える人は
「それはセオス(神)のこの二度目の用法に形容詞的性質を付しているので,この句は『ことばは神性をそなえていた』という意味になる」。a 他の学者bや聖書翻訳者たちも同じ点を指摘しています。」
らしい
キングジェームスの時代に
ギリシア語
「決定版」の「英語翻訳」!
ギリシア語「写本 一部ない」
から、、、(しかもそれまでの「バビロン捕囚とか「歴史上」のいろいろあって!corrupted もaltered もあったらしい)
で!
その時代(17C 頭のいい大学の「学者たち」)
決定版の「翻訳」
の
元は「ギリシア語」
その写本が「1番古くて 正しい」
と思って
そこから「翻訳」?
でも!
ムハンマドさんの時代
彼はシリア語で聖書読んでたけど!
「その場所」に残ってる聖書!
旧約聖書や
新約聖書(、、、の「何語」!ヨハネの部分!)
あるの?(、、、ないのかも? 宗教が違う ローマ帝国ではない ギリシア哲学ではない キリスト教もある場所だけど、、、)
ムハンマドさんが住んで
「読んでた場所」
「正しい写本 シリア語」で読んで
それでコーランを書いたムハンマドさんだと思うけどな、、、
「多神教」との違い
言語 バベル 翻訳
そして!
一神教と多神教!
ギリシア語で書かれた「ヨハネ 新約聖書」 ギリシア哲学い!「考え方」=それが三位一体 ジーザス=神 言語と哲学からきている
とrelaxmaxは思った
−
メシアつまりキリストが「力強い神」(ヘブライ語はエール ギッボール)
こういう
「ヘブライ」
はあるのか、、、
ヨハネは
ヘブライ語(聖書は! 話すのはアラム語らしい)
の街出身で
エフェソスで
「どっちの言語で書いた?」
「自分でギリシア語でもヨハネが書いた?」
その写本が
キングジェームスの「ギリシア語の 写本 一部ない」
の元の本?
写本!
の元!
本人書いた本は
「ヘブライ」あるの?1:1!
−
やっぱ
ギリシア語しかないの?
ー
新約聖書はギリシア語で記された。このギリシア語はヘレニズム時代に地中海世界で共通語となったコイネ-と呼ばれるギリシア語で、古典ギリシア語とは異なるものである。使徒たちによってキリスト教が伝えられていったのは、このコイネ-・ギリシア語の世界であったので、新約聖書はコイネ-・ギリシア語で記されたのである。ヘレニズム文化の中心はエジプトのアレクサンドリアであったが、この地で翻訳された旧約聖書のギリシア語訳はコイネ-・ギリシア語であった。この聖書はセプトゥアギンタ(70人訳)と呼ばれている。新約聖書に引用されている旧約聖書はこのセプトゥアギンタによっている。
ー
でも
ヨハネは
イスラエル出身
そこの言語は
話すのはアラム語?
聖書用はヘブライ?
そして!
エフェソス!
その場所は「ギリシャ語」
古典ギリシア語ではなく?
ギリシア語(コイネー)で書いていた、、、新約聖書
つまり
ヘブライないの?
ヘブライで書いてた聖書
生まれはヘブライの言語の街、ヨハネは
「ギリシア語」で聖書、旧約聖書はヘブライで読んだ上で!
新約聖書は「ギリシア語」で自分で書いたの?
その写本を
翻訳したのが
キングジェームス??
−
正典(カノン)である。カノーンというギリシア語は尺度・規準という意味である。ヘブライ語ではカーネーとなり、葦の茎のことである。旧約時代の人々はまっすぐな葦の茎を竿尺として用いたので、「測り竿」の意味にも使われる。ここから「尺度」「規準」という意味が出てくる。聖書がキリスト教のカノンであるとは、聖書はキリスト教の信仰内容を正しく理解し伝えるための規準
、、、(基準に虚偽、、、あったり
欠けた部分「誰かが書いた」部分あったりするのが 新約聖書??
−
われわれに伝えられた聖書の本文はすべて写本によるもので、聖書の原本というものは存在していない。旧約聖書全書のヘブライ語写本で現存しているものは紀元10世紀以前のものはない。断片的なものでは1世紀に属する儀式に用いられたと思われる「十戒」と申命記6:4以下の古写本が19世紀末にカイロで発見されている。1947年にいわゆる「死海写本」が発見されて、紀元前1世紀から紀元1世紀に属するヘブライ語聖書写本を手にすることができた。
「写本」
しかほんとにないの??
ヨハネ1:1も!?(ギリシア語オンリー? 旧約聖書はヘブライで読んだヨハネが 本人が? エフェソスで ギリシア語で書いた? その「写本」?
ヨハネ本人はヘブライで書いて(読んでいたのはヘブライの旧約聖書!) そして「ヘブライで書いた」 本!
それを「誰かが翻訳ギリシア語」
その写本?
それを「本人ヨハネがギリシア語でも書いた」
その写本?
どちらにせよ
「一部ない」
そこを「キングジェームスの時代の学者たちは」
「書いた」
なるべく正確な聖書の「翻訳」となるように!!
−
聖書の活字による最初の印刷は1456年ごろのラテン語聖書の印刷で、聖書の普及に大きな役割を果たすことになった。
ラテン語か。。。
−
70人訳の「歴史」
理解できなくなった
ヘブライ
だから
「ギリシア語」
なのか、、、
ー
パレスチナから地中海沿岸世界に移住していったユダヤ人は、次第にヘブライ語を理解できなくなった。こうした事情からヘレニズム文化の中心地であったエジプトのアレクサンドリアにおいて、ヘブライ語聖書のギリシア語訳が行われた
−
ウルガタの
元
ヘブライとギリシア語
ー
紀元2、3世紀にロ-マ支配下の地域にある教会ではラテン語が用いられていた。数種の不完全なラテン語訳が存在したが、紀元382年ごろ教皇ダマスス1世はヒエロニムスにこれらを改訂し新しいラテン語聖書を作ることを命じた。ヒエロニムスはヘブライ語、ギリシア語本文から訳出し、405年に翻訳を完成させた。このラテン語聖書をウルガタと呼んでいる。1546年トリエント公会議においてロ-マ・カトリック教会の公認された権威ある聖書と決定された。
−
9世紀にビザンツ皇帝の命でモラヴィア(現在のチェコ中央部)宣教に派遣されたキュリロスとメトディオスは、聖書と典礼の一部を古代スラヴ語に翻訳した。当時、聖書と典礼の言語はヘブライ語、ギリシア語、ラテン語のみという考えが根強く
ヘブライ
ギリシア
ラテン語!
(そもそも 昔は 「学問」「論文」 まずはラテン語で書くことできないと、、、みたいな時代のイギリスもあった?)
−
ラテン語で書かれた聖書を理解できるのは一部の者だけだった。1381年、ジョン・ウィクリフがラテン語から翻訳した英訳聖書は、母国語訳聖書の先駆けと言える。マルティン・ルターは、彼の進める宗教改革の一環として、聖書を原典からドイツ語に翻訳し、新約聖書は1522年、続編を含む旧約聖書は1534年に出版された
ルター
ドイツ語か。。。
−
宣教活動に伴うもの
欧米列強がアジア・アフリカを植民地化していく帝国主義の動き
日本に来た宣教師は?
そして
アメリカは
キングジェームスの翻訳の「英語の聖書」だったのかな?
−
https://www.bible.or.jp/know/know13.html
勉強になるページだけど
結局私の疑問の答えは
まだない、、、
ヨハネ1:1
キングジェームス英語 翻訳
元はギリシア語
ギリシア語写本
(一部かけてる)
その元は「ない」と書いてある
だけど!
元は発見されていないけど
ヨハネ「本人」が
ヘブライ語の生まれで
聖書はヘブライで旧約聖書を読んでいて
書いたのはヘブライ?
書いたのはギリシア語(翻訳誰か 他人がしたわけでなく!)
そのどっちか「元」の本から
「ギリシア語の写本」???
2世紀は
虚偽多かったみたいだから
ヨハネが
イエスの十字架の「許されたかった」「罪」 ある人だったのかな?
十字架 磔刑の
2世紀までになかったストーリーを書いた
ヨハネが生きた時代の
孫の世代の「写本」?
でも成立年代?
(、、、いくつか 内容の違う記述??)
−
これは権威ある初期の幾つかの写本には出ておらず,ヨハネの原文の一部ではないと思われる。(付録A3参照。)ギリシャ語聖書のヘブライ語訳の幾つか(付録C4のJ9,22,23)で,「主の天使」の代わりに「エホバの天使」と訳されている。
?
ギリシア語聖書を
「ヘブライ」?に??
ってことは
ヨハネは
旧約聖書をヘブライで読んでたけど
住んでた場所がギリシア語の街だから?
ギリシア語で「書いた」の?
パピルス写本の「元」(見つけてないらしいけど!)
写本しかない「新約聖書」!
−
でも
元々ヘブライで伝わった部分も
ある?
「謎」!
−
イエスの言葉や教えがヘブライ的であればあるほど、私たちには(翻訳では)理解しにくくなる。しかし、しばしばもっとも強力なあるいは重要な教えがこれらのヘブライ的な教えなのである。イエスの言葉の多くが事実ヘブライ的慣用句であることから、難解なのだ。
ヨハネ!
ジョン
1:1
は
写本 2世紀
かけてる部分を
「英語で学者ががんばって」
書いたのかなぁ、、、
ギリシア語
パピルス写本から「翻訳」
で!
ヘブライある
その3つは
ヘブライから英語
の方が「正確」なのかな?
-
原ヘブライ語福音書テキストの復元
あるのか、、、
(ではあのページの「ギリシア語のみ 新約聖書」 って書いてるページ、、、間違い??)
-
歴史的でヘブライ的な共観福音書(マタイ、マルコ、ルカ)はほとんど無視している
ということは
ヨハネは
ヘブライないの?
-
共観福音書の基になった最初の福音がギリシア語でなく、ヘブライ語で伝達されたということにある。これは、それ自体翻訳書であるものを、さらに英語に再翻訳されたものを、私たちは聖書として読んでいることを意味する。だから、ギリシア語やそれからの翻訳では意味を成さないような、ヘブライ的表現や慣用句に終始出合うのである。
-
それらはヘブライ語に訳し戻したときにのみ理解できるからである
と彼は書いている
今どきは「オンライン 辞書」もあるから
ヘブライで
自分で
ジョン1:1
読みたいのだけど、、、
(世界のどこかに「存在」してるの?)
あの3つは
ヘブライあるらしい
−
私は二十四歳のとき、ヘブライ大学で学ぶためにイスラエルへ行った。当時は私は福音書を読むことは止めていたに近い。といっても、聖書を読んでいなかったのでなく、無意識に福音書を避けていたのである。福音書の中にこそイエスの真の言葉と教えがあったのに、である
ヘブライ!
−
ギリシア語で書かれた本文は聖書全体の一二パーセントを超えない。しかもその一二パーセントから旧約聖書からの引用、一七六箇所(ヨハネ福音書中に一四、使徒行伝一五・三六以下新約聖書の終わりまでに一六二箇所)を引けば、もともと聖書中のヘブライ語で構成されていた部分の割合は九〇パーセントを超えるのである
ヨハネは、、、
ギリシア哲学
あのギリシア語
、、、ヘブライの方が
なんかしっくりきたけどなー!
−
なんかやっぱ
パピルス写本
しかないのかな、、、?ヨハネ、、、
(他の三つはヘブライがある)
(その「前」 元の本
写本より「前」!
マンチェスター大学にあるらしい
パピルス写本
イエスは、紀元30年にエルサレムで十字架刑に処されました。 罪名は「ローマ帝国に対する反逆罪」です。
ローマ「帝国」か。。。
−
イエスはヘブライ語を知っており時にはそれを使っていましたが、日常の会話や説教においては、通常、アラム語を話していたと思われます。というのもガリラヤ地方のユダヤ人は、日常生活でアラム語を話していたからです。実際、ギリシャ語の福音書の所々で、イエスが口にした言葉や文章がアラム語のままになっています。それらは、talitha qum(マルコ5,41)、corbán(マルコ7,11)、effetha(マルコ7,34)、geenna(マルコ9,43)、abbá(マルコ14,36)、Eloí, Eloí, lemá sabacthaní?(マルコ15,34)、他にも話し相手の言葉として、rabbuni(マルコ10,51)など
結局
ギリシア語写本
より「前」
「ヨセフ本人」が書いた本
あったのかな?
どこかに「どの言語」で書いたもの?
(イエスが語った言語は アラム語 でも他にも、、、)
−
イエスの言葉をアラム語に翻訳すると、その力強さはより明瞭になり、当時のギリシャ語にはないアラム語特有の言葉遣いも見出されるのです。さらに、福音書をセム系の言語に翻訳すると、ギリシャ語では表現できない言葉遊びも見出すことができるのです。
言葉あそび
アラム語で話してた
イエス
それを
本人の「口」からの言葉を聞いていて
ギリシア語で?
ヨセフが「本人が聞いてた言葉を」書いたの?
ギリシア哲学っぽい考え方の
あの言葉!
三位一体。。。
−
その根拠には「ヨハネによる福音書」のロゴスに関する有名な導入部がアラム語による賛美歌のギリシャ語訳ではないかと考えられていること
アラム語か。。。
(この讃美歌は?
どこで
歌われていた?
この讃美歌「場所」!
−
古代ギリシャ
ヘラクレイトスが「万物はロゴスに従って流転する」と言う時、ロゴスは「法則・真理」
そのぐらい
ロゴス
は
ギリシアっぽい
哲学ぽい
(、、、そういうヨハネ?
だって生まれは
イスラエルでイエスはアラム語だけど
「ギリシア語で?
話すのはアラム語
読むのはヘブライの旧約聖書で?最初からヨセフは書いてた?」
ヨセフはヘブライで書いて「誰か」がギリシア語に翻訳した
パピルス写本2世紀??
ヨセフはいない書いていない
写本はギリシア語で最初から書かれた(有名人の ヨセフという名前にしておこう説?)
(有名人の ヨハネ! ということにしておこう?)
2世紀に虚偽が多い理由は?
それまでの聖書になかった
虚偽!
2世紀までなかった聖書の
「付け加えられたストーリー」
ヨハネが
書いちゃった?(聖書になかった 十字架 磔刑のストーリーを?)
どうだろう?
ギリシア語!
ギリシア哲学!的
三位一体!
−
最初の日本語訳聖書は1835年(天保6年)にカール・ギュツラフ(Karl Friedrich Augustus Gutzlaff, 1803~1851)というプロシャの宣教師が翻訳した「ヨハネの福音書」と「ヨハネの手紙」でした。新改訳では「ヨハネの福音書」がタイトルですが、日本ではじめてのギュツラフ訳のヨハネ伝のタイトルは「ヨハンネス、福音の伝え」(『約翰福音之傅』)がタイトルです。
最初のヨハネ?
日本における、、、
(もしヘブライで シルクロードを通して 聖書が伝わっていなかったら?
厩戸の皇子はいるけど!
アラム語が日本語になっているけど?)
−
1832年(天保3年)の10月11日、尾張米を積んだ千石船「宝順丸」に乗って鳥羽港を江戸へ向かって出発しました。ところが、途中遠州沖で遭難してしまい、14ヶ月間の漂流の後に1834年(天保5年)1月、バンクーバーの近くの北米西海岸ワシントン州のフォートバンクーバーのフラッタリー岬に漂着しました
鳥羽から
漂流
そして
「奴隷」?
インディアンの奴隷の日本人???
(そんなこともあったんだ。。。)
−
マカー族のネイティブアメリカンに捕らえられ、奴隷にさせられていました。当時はそこはカナダの貿易会社の植民地であり、そこのハドソンベイ会社の支配人がインディアンを追っ払って彼等を救出
カナダ人が
日本人を
「インディアン」から助けてくれたらしい
アジア人を奴隷にするインディアン??
インディアンを奴隷にする白人?
、、、(はじめてきく話だな
−
ギュツラフは、彼ら3人を日本語教師として、ヨハネによる福音書 とヨハネの第一、第二、第三の手紙を翻訳しました。翻訳は、1835年12月より始まり、翌年1836年11月に完成しました。この聖書は、現存する最初の日本語聖書として有名なギュツラフ訳の「ヨハンネス、福音の伝え」と題されている「ヨハネの福音書」と「ヨハンネスの書簡」です。この本は1837 年シンガポールで発行され、最初の和訳聖書となった。この貴重な翻訳書は、シンガポール大学に
ジョン は英語
ヨハンネス だったのか
最初の日本語の「ヨハネ」
−
「ヨハンネスノツタエ、ヨロコビ。ハジマリニ カシコイモノゴザル。 コノカシコイモノ ゴクラクトモニゴザル。コノカシコイモノゴクラク。」
−
なんかかわいいけどな!
−
言を「カシコイモノ」、神を「ゴクラク」、と訳し、しかも尾張の方言を含んでいます。
「カシコイモノ」(logos)の
−
「な、昔。良参寺の和尚さんな、善悪のわからんもんは、愚か者やと言うたわな」「ああ言うた、言うた、よう言いなさった」
懐かしい良参寺の境内を思い出しながら、音吉が答えた。
「したらな、善悪をわかる者は、愚か者の反対やろ」
「そうや。それで?」「したらな、愚か者の反対は、賢い者やろ。どうや、舵取りさん」今、ギュツラフは、善悪を判断する智恵と、確かに言った。「なるほど、賢い者か。それがええな」岩吉がうなずき、ギュツラフに言った。「かしこいもの」「カシコイモノ?」ギュツラフは、ノートにその言葉を書いた。
これが三浦綾子の「海嶺」からの引用
和尚さんか、、、
言葉
ジョン
ヨセフは、、、
ロゴス 言葉
カシコイモノ 神
和尚さん、、、
岩吉、久吉、音吉はアメリカのモリソン号で日本に送り返されたのにもかかわらず、幕府の「異国船打ち払い令」のために幕府はアメリカの商船を砲撃したのです。その結果三人は上陸することができず、母国を目の前にしながら、涙をのんでマカオに戻らなければなりませんでした。音吉は、その後、日英和親条約の通訳を務めるなど活躍しました
えー
日本に帰れない
撃たれてしまうの?!?!
(そして 奴隷にもなったしな
波瀾万丈な生涯
−
もう一つが黙示録19章13節です。
19:13 その方は血に染まった衣を着ていて、その名は「神のことば」と呼ばれた。
19:15 この方の口からは諸国の民を打つために、鋭い剣が出ていた。この方は、鉄の杖をもって彼らを牧される。この方はまた、万物の支配者である神の激しい怒りの酒ぶねを踏まれる。
15節は、「ことば」(ロゴス)を解明する一つの手がかりです。「この方の口からは諸国の民を打つために、鋭い剣が出ていた。」つまり神の「ことば」であるキリストは、口からみことばの剣を出す、支配者、世界の裁判官なのです
口から
「肉」 言葉
かも!
肉体としての
「書いてある言葉」!
−
キリストは肉体をとってご自分を現された神の啓示者なのです。
「イエス」=肉体を
と
「ギリシア語」「翻訳」「ギリシア哲学的」に
「解釈」
が
それまでの聖書になかった
「虚偽」
イエス 磔刑のストーリーになっていくのではないかな?
口から出たまんま
音 言語
それが
「書かれる」肉体としての言葉
肉体=イエス 神の子
という「考え方」
ロゴスという言葉
ギリシア哲学ぽい!
当時「ロゴス」ということばは、ギリシャ人にもユダヤ人にも色々な形で広まっていた流行語でありました
流行
この「ロゴス」は、ユダヤ的背景としては、旧約聖書や中間時代の「ソロモンの知恵」などの知恵文学があります。例として「ソロモンの知恵」9章1-2を引用しましょう。
−
「ソロモンの知恵」
9章1-2を引用
「先祖たちの神、憐れみ深い主よ、あなたは言によってすべてを造り、知恵によって人を形づくられました。」
ロゴス
−
ギリシャ的ヘレニズム的背景としても「初めにことばがあった」と論じる人たち
−
ギリシャ哲学者ヘラクレートス(Heraclitus, 545-484B.C.)、ストア派哲学(Stoics)、ユダヤ教の哲学者フィロン(Philo, 30B.C.-40 A.D.)そしてギリシャ哲学の影響を受けたキリスト教の異端のグノーシス主義(Gnosticism)などが「はじめにことばがあった」と説いています。
旧約聖書はヘブライ
そもそも
フィロンの哲学を知っていた?
(ユダヤ教の、、、迫害されて十字架? だけど そっちの「考え方」を?)
イエス もしくは
ヨハネ。。。
(ただ旧約聖書に da barという言葉がある)
−
ギリシア哲学って、、、イエスが生きた時代、「その場所」にはあったのか?
そしてアラム語を話しヘブライで旧約聖書を読んでいたイエスが、、、ギリシア語でギリシア哲学「も」?、、、??
−
ギリシャ哲学の教科書を見るとわかるのですが、ギリシャ哲学は、「初め」(アルケー)が何なのかを探求する営みからはじまりました
ギリシア語で書かれた写本しかないの?
ヨハネ!
1:1
はじめの言葉が
そのギリシア哲学ぽい言葉!
の写本 ギリシア語 2世紀 パピルス! からの「翻訳」の 英語の聖書と、、、キリスト教というもの!
−
ヨハネの福音書
ギリシャ哲学が探求していたその「初め」
キリストであるという答え
、、、
とは
実は私思わなかったのは
キリスト教徒ではなく
聖書読む日本人だからかな?
(英語 もしくは もしくは 日本語 または ギリシア語で!)
キリストと「翻訳」されたJesusって思って読んだ?「英語の」「学者」!
−
ロゴスということばは、当時の知識階級が好んだことばでした
、、、知識階級と「聖書」
−
「初めにことばがあった」という言い方の最も直接的な思想的な背景は旧約聖書にでてくることば(ダーバール)
言葉と事
そして
意識の意
意図の意
(古事記 本居宣長)
やっぱり
日本には
ヘブライで聖書伝わっていたと思うけどな。。。
−
厩戸皇子という「名前」
−
アラム語は元々アッシリア人の言語(シリア語)
これ知らなかったな。。。
ムハンマドさんは
かなり正確な聖書の写本
シリア語で読んでいたのでは?
−
古代の日本にアラム語
入ってきてる
っていうことは
「聖書の写本のカタチ」
でも入ってきてた?
麻呂?
厩戸?
牛若丸?(鞍馬でそういや修行してた笑!^_^シリア語??
−
イスラエル聖書協会から発行された、アラム語のペシッタと現代ヘブライ語の対照新約聖書です。
アラム語は、紀元前1000年代から古代オリエント世界において広く使われた言語(Linga Franca)です。旧約聖書のヘブライ語ももともとはアラム語の一方言であり、共通の語根を持つ単語を多く有しております。また、エズラ記やダニエル書などの一部もアラム語で書かれております。捕囚後のイスラエルの人々がヘレニズム以前に主に使ったのはアラム語でして、ヘブライ語で聖書を読み、アラム語で議論するということが広く行われてきました。アラム語に翻訳されたヘブライ語聖書をタルグムといいます。
あれ?
アラム語の一方言であり、地域の名前からシリア語と呼ばれた言語に新約聖書が翻訳されていきました
って
あのページに書いてた?
新約聖書って
ギリシア語のみ、、、(は違うのでは? 3つはヘブライあるとも読んだ そしてイギリスの図書館に「ある」マタイのヘブライ!
写本(キングジェームスは! 英語翻訳)はギリシア語
(ヘブライあるって 本書いてた あの人は、、、)
−
ヘブライはないの?グリーク(写本 2世紀)より古い そして本人書いた1:1それを探してみたけど、、、(見つかっていない?それとも「もともと存在しない」?)
最初にどの言語でヨセフは「書いた」?
読んでいたのは旧約聖書はヘブライそういう人が住んでた場所がグリークだからといって ギリシア語で書くものなのかな?アラム語で話すイエスの言葉を「正確に伝える」なら そもそも聖書用の言葉 ヘブライで書くのでは?
−どうして写本 ギリシア語 2世紀しか見つかっていないのか?−キングジェームス決定版の「英語」「翻訳」その当時のイギリスで1番正確な元! はギリシア語の「コレ」って思って学者たちが何年かかけて「翻訳」(一部ない部分は 「彼らが書いた?」!!!????)
その国ではなくとも別のイスラムの国ならもっと正しい(シリア語 など ヘブライはある?)聖書 伝わって残っていたのかも! ムハンマドさんの時代に 彼はシリア語で聖書 (ヨハネ黙示録も!)読んでいる
ヨハネ にシリア語写本で 翻訳(? 元はヘブライ?? どうだったんだろう?)7世紀に「ある 聖書 ギリシア語ではない」おそらく写本!(元の本ではなく?)ヨセフは「どの言語」で元々書いていた?
ヨセフが虚偽を2世紀に書いたのではないか?
(2世紀の「ヨセフ」 あの写本!付け加えられた虚偽!)
−
聖徳太子時代の遣隋使607年 遣隋使 小野妹子
聖徳太子の頃遣隋使シルクロードから
もしくは遣唐使の時代
回教 (ムハンマドさん 610年!)もしくは旧約聖書 新約聖書伝わったこと「もし」あったとしたら
ムハンマドさんはシリア語で聖書を読んでいた
日本にもし「ヘブライ」の聖書がシルクロードを通して伝わっていたとしたら?
そのぐらい本居宣長ヘブライのヨハネ1:1ぽい
−
ヘブライ語のマシューの最も重要な写本の1つは大英図書館の図書館に保存されている写本です
ヘブライあるのに!
なんで?
マタイをヘブライから「英語」!にしなかった?
キングジェームス時代は
持ってなかったの?
その「写本」
今ならあるなら
ヘブライから「マタイ」
翻訳すると
2世紀のパピルスと「そのぐらい違う」? どこが「いっしょ」?
奴隷貿易と「聖書」印刷技術と布教
キングジェームス!
(マタイのヘブライ「イギリスの図書館」にあるなら それの全文英語訳、、、「どこかに」あるの?)
−
最も重要な写本の1つヘブライのマタイは「あの国の」図書館にいまもあるという
−
ヨハネのヘブライは「日本」にシルクロードを通して!伝わっていたなら「もし」!(アラム語は日本に伝わっている! 言語だけが伝わるかな? 聖書のカタチで言葉は伝わったのでは? そして!本居宣長の「あの言葉、古事記の注釈書」ヘブライぽい! 聖書ヘブライの存在を「日本」に感じる言葉!)
−
偶像破壊(ヘブライで人々は「もっと」!聖書を読もうとする! 電脳空間(サイバースペース)の辞書の現代において!)
それぞれの中で偶像が破壊されていくヘブライという「言葉」
−
キリスト教の原罪を癒す(キリスト教の生まれ! イエスの嘘! イーサーではない 多神教はギリシア哲学的! LOGOS! このギリシア語とギリシア哲学!)そしてイスラムの受難を癒すrelaxmax