哲学・考える事をすると何がいいのか?
哲学カフェ・子ども哲学・子育て哲学をすると何がいいのか?
哲学しますと言っても、
難しい話ではなく、
「考えます」
という事なんですね。
考えるというと、
一見、たくさんの情報から精査する「選ぶ」という行為と一緒に考えがちですが、
どちらかというと、「出口を探す作業」のように感じます。
出口は一つではなく、たくさん。
もうないと思っていた出口も、考えればまだまだ出てきます。
出口の先には道が続きます。
その道はまたいくつも枝分かれします。
ずっと進むと、
今まで抱えていた固定概念や物事の捉え方が、
あれ?とひっくり返る事があります。
目線が変わります。
もう出口がないと抱えていた問題も、
あぁなんだ、突破口があるじゃないか、と。
私、アプリ版の脱出ゲームが好きなんですけど、
必ずどこかでいつも煮詰まるんですね。
でも見方を変えた途端、
あぁ!と気付き脱出できる事も多々あります。
「考えて」いくと、悩みってなくなるんですよね。
悩むと、悩みは増えるんですが^^;
なぜ?
どうして?
もしこうだったら?
逆にこうかな?
これはどんな意味があるのか??
などなど。
特に、自分が必ずこうだ!と思っている事こそ、
疑うと面白い結果が待っています。
例えば「泥棒はダメだ」。
物を盗むと犯罪ですが、
技を盗んだら誉められます。(スポーツとかの邁進します的な。特許やデザインなどは犯罪になりますが)
宗教的には、盗まれても怒るなというところもあります。
それは貧しい者が必要な物だから、持っている人は施しとして与えよ、と。
盗むってどういうこと?
どういうものは盗んでもよくて、どういうものはダメなの?
盗む人が悪いの?盗まれる人も悪いの?
不倫は芸の肥やしだって言われてるけどどう?
盗んでもいい世の中になったらどうなる?
盗んだら即死刑の世の中になったらどうなる?
自然のものは盗む部類に入るの?
盗みがなくなった世の中を考える。。。
泥棒の視点からすると、盗みは生き甲斐でありやりがいのある職だ。
鼠小僧は容認されるの?(悪い事をして得たお金を持っている人のお金を盗み、本人に戻す)
出口が広がります。
思考が枝分かれします。
私は、固定概念が覆ることが、
どうにも楽しく、面白いと思ってしまいます。
あぁ、そんな考えもあったのか!
と知らなかった事を知ることが出来て、
あぁ、そんな考えもあったの!?
と、自分の箱から脱出する出口を探している人と出口を見つけられたら、
それもまた本当に楽しい。
哲学カフェは、
「思考のスポーツ」(勝ち負けはないですが)
「思考のアート」
「思考の生活」
なんて思います。
幅広い考え方ができると、
仕事でも生活でも、
問題の壁にぶち当たった時の突破口が、
探しやすくなります。
人と違うことに不安がなくなり、
孤独を受け入れられ、
自分の足で立てるようになります。
イライラしていた怒りが、
風船の空気が抜けるようにスーッといなくなります。
「人生は長い一人マラソンだ」
とよく例えられますが、
そのお供には、思考の柔軟さというのは必要不可欠です。
何より、ストレスが段違いでなくなります。
考える、という行動、
一緒に楽しんでみませんか??
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