誰もが歯車になっている
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タイトル:モダンタイムス
著者:伊坂幸太郎
出版社:講談社文庫
安藤商会とは何なのか…友人で作家である
井坂好太郎が会えなかった重要人物に「私」はあるために岩手に向かう。
5年前に起きた中学校の銃撃事件と関係があると思しきこの会社は何なのだろう。
誰が主犯で誰のせいでこうなっているのか、この世の中には独裁者と呼べる人物はいない。
スターリンもヒトラーも、誰かの損得勘定によってあの場所に立っていたのかもしれない…。
諸悪の根源なんか、誰にも分からない。
どの一つの事柄も、角度を変えて見れば、また違った面が見えてくる。悪だと思っていた人物が、本当は誰かによって『仕事』としてさせられているものだとしたら、その仕事として依頼した側も、また誰かに依頼されているのかも。誰もが一つの歯車として『仕事』という名のもとに、この世を動かしているのだ。たとえそれが殺人だったとしても。
例え社長や政治家という肩書を持っていたって、会社や世の中全てを把握しているわけではないのだから。
この小説には、現代のいろいろな側面を見せているように思う。
絶対的に支配している誰かなどは存在していない。一見そう見えたとしても、実はそうじゃないのかも。
ネット社会にどっぷりつかって考えることも勇気をもって行動に移すこともない私たちは見えているものだけが本当の事なんだと信じ、一度こう言ったものなのだと見せられたものは絶対にこうなのだと疑うこともなく信じ切る。
「勇気」というワードがこの小説には何度も登場する。
上巻では「実家に忘れてきました」とまで言ってしまう「私」が捉える勇気は物語が進むにつれてどんどん変化していく。
超能力なんて、非科学的なものを出してきたときには腹話術なんてどれだけしょぼい(って解説には書いてた)ものでも、困惑したけど、これは国家の秘密に翻弄される「私」と自身の力に翻弄される「私」が同じものだと考えられる。どちらも自身ではどうすることもできないものだから。
この作品は尻切れトンボだと言われることも多く、賛否両論別れるようだが、敵対する相手が国家と超巨大な存在であまりにも壮大なうえ、そもそも答えなんかない。
だって一番トップなんて存在がそもそも存在していなかったんだから。
あとがきでは伊坂幸太郎も「真相は何でもいい」って言っちゃってるし、結果どうなったのかなんて考えなくていいのかも。
この作品は元々青年漫画雑誌で掲載されていたらしくて、相変わらずのスピード感とカッコよさはやはりさすがだなと感じた。
終盤近くなり、妻である佳代子と緒方のあのシーンは、夫を守るために全力で戦うかっこよさと嫉妬深さゆえの強さが描かれている。
浮気を疑って旦那の骨をへし折るほど好きじゃなかったら、そりゃ守れないのよ。