大晦日に見えた魂の進む方向性
「自分に与える」を与えた大晦日
大晦日、両親と過ごす二泊三日の温泉旅行に向かう私の体感は重かった。
何が、という特定の理由などない、と少なくともその時は思っていた。
少なくともその時は、何が原因でこんなに重いのか、わからなかった、宿泊先のサロンでボディ&フェイシャルトリートメントを受けるまでは。
120分3万円強の値段がするトリートメントを受けるまでは、「勿体無いのでは」と躊躇する気持ちの方が大きかった。
でも、施術担当者が現れ、禅をコンセプトにデザインされたサロン空間に案内された瞬間、そのスペースに落ち着いた静謐さ、月光の中を歩くかのような必要最低限の照明にミニマムに施されたインテリア、炭が発するマイナスイオンの中を歩くかのような浄化されたエネルギーに触れ、私の心がみるみる湧き上がってくるのがわかった。
「そうそう、こういう感覚が欲しかったのよ」
魂の底からふつふつと喜びが沸き起こるのを感じた。
当初はボディのみ90分のコースだったが、「自分に与えよう」と決め、ボディと
フェイシャルを合わせた120分のコースに切り替えた。
意思とは無関係に起こる自動思考の気味悪さ
背中から腰、足にかけて施術が進む中、私の中である気付きが起こった。
自分の意思とは全く関係のない自動思考だ。
「今なぜこのタイミングでその思考が現れるの?この思考にはどんな意味があるの?」と思わざるを得ない、文字通り「意味不明」の思考が次々を現れてくるのだ。
心地よいリズムのマッサージとは裏腹に、脈略なく現れる思考は気味の悪いものだった。
ところが、ふと気づくと私の意識はその不気味で脈略のない、全く私の意図とは無関係の思考に囚われてロックオンされていることに気づくのだ。
これほど空恐ろしいものはない。
そして、ずっと悩んできた食いしばりの原因も、この自動思考にあると直感した。
自動思考は即、キャンセル!
自動思考の気味悪さと食いしばりとの因果関係を直感した私は、この思考にどう対処したらいいのかプチパニック状態に陥った。
とにかく、この不気味な思考とは同化したくない、一刻も早く離れたい。
その思いで、自動思考に気づいたら即、「キャンセル、キャンセル」と心の中でつぶやいた。
そして、セント・ジャーメインの紫の炎で細胞の全てを燃やし尽くすイメージをした。
そして、その思考が消えていくと、ホッとして、再び無意味で不気味な思考が現れないよう、今ここに集中するためにも、「ありがとう、ありがとう」とマッサージのリズムに合わせてマントラのように唱えた。
ところが、ふと油断すると、いつの間にかまた、無意味な思考に意識がかっさらわれていくのがわかる。
その思考が描き出す脈略のない人物、状況に戸惑いながら、私は再び、「キャンセル、キャンセル」とその自動思考を打ち消した。
そんなことを繰り返しながら、思考が全く思い浮かばない空の状態が生まれた時、その心地よさに安堵した。
その心地よさは、施術者の手が私の体の筋肉の細胞同士にスペースを空けるように動く時に、より一層強く体感した。
そして、普段、いかに無意味で不気味な思考によって意識という貴重なエネルギー源を浪費しているかが身にしみてわかった。
いかに自動思考を減らしていくかが鍵
「No mind, No judgment 」
禅の思想を通して真我を教える先生の言葉が思い浮かんだ。
そうだ、マインド、思考そのものを消していけばいいんだ。
その度にスペースが生まれ、そこに憩うことができる。
意識にとっての真の憩いの場所とは、思考が介在しないスペース、意識空間。
であれば、普段、無意味で不気味な脈略のない思考に囚われた意識は、牢獄に閉じ込められた牢人のように不自由ではないか。
マインドに囚われた状態の心地悪さと不気味さと
マインドから解放された状態の解放感と心地よさ。
この二つの間を行ったり来たりしながら、120分という施術時間は至極ゆっくりと流れていった。
見えてきた今後の魂が進む方向性
そして、施術が終わった時、私の意識空間には一つのメッセージが現れた。
着替えながら忘れないように、咄嗟にスマホにメモをした。
「脳のクリアリング、自動思考のクリアリング、記憶のクリアリング、脳からアプローチによるリラックス、デトックス、覚醒」
私の進む方向性はここにあるような気がした。
ライティングは、脳のクリアリング、自動思考のクリアリング、記憶のクリアリングの必要性、重要性、素晴らしさを伝えるためのツールとして、私に必要なスキルであることも見えてきた。
休職をしてから持て余していた意識とエネルギーの持って行き場というか、方向性が見えてきたような気がした。
脳(自動思考)のクリアリング
そのツールとしてのアクセスバーズ、レイキ、統合、瞑想
その必要性と重要性と素晴らしさを伝えるためのライティングのスキル
この3本柱が私らしさ、私の強みを生かし、発揮していく道のような気がした。
「何となくそんな気がする」が魂の道
「何となくそんな気がする」
自分の魂の感覚を信じ、行動に一致させていく。
2024年はそういう年にしようと決めた。