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「本当の私を生きる」という魂の目的を果たすために、リラクゼーションのプロになる

昨日は4ヶ月ぶりの歯のメンテナンスだった。

振り返ると、食いしばりによる顎関節症と歯周病治療を続けて10年強になる。

当初は毎週のように通っていたが、だいぶ症状が落ち着いた今、4ヶ月に一度のペースで、歯科検診とクリーニングを行った後、顎関節症治療のために鍼を打ってもらっているのだ。

先生のゴッドハンドのおかげで、鍼を打った瞬間、痛気持ち良い刺激とともに、みるみる体の力が抜けていった。

全身の筋肉が弛緩し、思考することがほとんどできず、クリニックを出て2、3時間ほどは、水中に漂っているかのような無重力状態が続く。

風呂に入ってから1日を終えようとしたところで、ふと気づきが降りてきた。

「あれ?今日の歯科クリニック通いで、気づくことってなかったっけ?」

その問いかけの方向に意識を向けていくと、ある歯科衛生士の言葉に突き当たった。


スルーできない歯科衛生士の言葉

あの時、私の口の中を一通りチェックし終わった歯科衛生士はこう言った。

「とてもよくメンテナンスできていますね。」

それを聞いてホッとしたの束の間、その後に歯科衛生士が続けた言葉を聞いて、私のモードは一転した。

「ただ、食いしばりの影響で歯茎が下がっているので、引き続き気をつけてください。」

聞き捨てならない歯科衛生士の言葉に、私は思わず聞き返した。

「歯茎は下がり続けているということは、まだ食いしばり続けているということですか?」

私の質問に歯科衛生士は一瞬間を置いて「はい。」と答えた後、こう付け加えた。

「食いしばりは一生治らないと思った方がいいです。」

これを聞いた私は言葉を失ったが、歯科衛生士は淡々と機材の後片付けをしながら話を続けた。

「ストレスのいない人なんていません。

人間、生きている以上、何かしらのストレスを抱えて生きています。

私が診てきた方でも1割くらいですかね、食いしばりのない方って。

誰もいない無人島に行って人間関係のストレスフリーな環境になったとしても、嵐とかでストレスを感じるかも知れないですし。

そのストレスがどのような症状で現れるかが人によって違うだけです。

ストレスが歯に出る人は食いしばることで歯周病になったり、もっとひどいと、目眩やメニエール病になったりします。」

鍼治療の後で思考が働かなかったこともあり、立て板に水を流すような歯科衛生士の言葉を私は一旦受け止めて、診察室を出た。

一晩明けた今になって振り返ると、「一生治らない」という言葉は治療に通っている身にとっては辛辣だった。

感じた辛辣さは、スルーせずに自分の中で統合する必要があることのサインだった。

「病気は治らない」という歯科衛生士の洗脳

歯科衛生士の言葉をまとめると、こうだ。

「病気一生治らない。なぜなら、ストレスのない人はいないから。」

本当にそうなのだろうか?

これもただの信念だったとしたら?

そう思い込んだ人は一生ストレスを抱え込むことになり、症状に悩み続けることになるのではないだろうか?

その信念が望ましいものでないのであれば、創造主の私が簡単に消し、望ましい信念に書き換えることができる。

私は、歯科衛生士の洗脳を真に受けるのをやめ、私にとって望ましい信念に書き換えることにした。

「本来、人はストレスがない。食いしばりは治る。」

私にとっては、こっちの信念の方がしっくりくる。

なぜなら、私は「真のリラクゼーション」のプロなのだから。

「私は臆病で小心者だ」という信念がストレスを生む

意識とは面白いもので、「私は真のリラクゼーションのプロ」と自己宣言したのと同時に、セカンダリー(ブロック)が浮上した。

そして、ふと、先週末にアバターのウィザードコースで学んでフロートランダウンを思い出したのだ。

テーマは、「休職中の職場」。

テーマに関し、自分の中の認識をどんどん洗い出し、思いつくままにノートに書き出していく。

目的は、本当の私に整合しない信念を見つけ出し、消去することだ。

それは、私にとって心地悪く、違和感を感じ、不安や緊張を生み出すもの。

どんどんランダウンしていくうちに、ポロリとある信念が私の口をついて出た。

「私は覚悟を決める勇気がない臆病な小心者だ。」

私は思わず唖然とした。

どちらかと言うと、自分のことを勇気がある方だと思っていた私は、こんな信念が自分の中にあるなんて、にわかには信じられなかったからだ。

だけど、この言葉を口にした途端、みぞおちのところがギューっと締め付けられるように苦しくなった。

そして、みぞおちの中に不安と恐れにビクビク震えている小さな私を発見したのだ。

「え?こんな私がいたの???」

そう戸惑いながらも、容赦無くみぞおちの締め付けられる体感は、私にとっての真実を物語っていた。

ストレスの原因は、外の現実は関係なく、私のみぞおちの中で息を潜めながらうずくまっている不安と恐れの塊なのかも知れない。

臆病で小心者の自分を認めたくない、受け入れたくないから、ずっと見て見ぬ振りをして抑圧していたのかも知れない。

臆病で小心者の私が体の中心で息衝き続ける限り、私の中に真のリラックスは生まれないだろう。

私は、みぞおちの中心の痛みに意識を向け、数回、深呼吸をした。

バディのコーチの元、アバターのツールで統合したが、これを書きながらも、まだ自分の中にエネルギーチャージが残っているのがわかる。

私は書く手を一旦休めて、統合した。

「私にとってストレスのないリラックスした生活とはなんだろう?」

統合した後、私の中で静かな問いが生まれた。

私にとってのストレスフリーな毎日を創り出す

問いを放った後は、キッチンに立ち、午後に交換セッションのためにうちに来る友達のために生玄米パンを焼く。

モーニングルーティーンのグラウンディングとセンタリング、光の瞑想を終わった後だから、気持ちがスッキリ晴れやかだ。

ミキサーのコンテナをデジタルスケールに乗せ、材料を図りながらコンテナの中に入れていくうちに、

「楽しいなぁ、幸せだなぁ・・・」

と感じている私がいる。

なんだ、今ここに、まさにストレスフリーな私がいるじゃないか。

午前中は家のキッチンで料理をしながら、午後はアクセスバーズのセッションをする。

どうやら、このライフスタイルが今の私にとってストレスフリーな生活のようだ。

私は、早速、プライマリーを立てた。

「私は毎日、料理とアクセスバーズを楽しんでいます。」

同時に、心地悪さや違和感がみぞおちのあたりにぐんぐん湧いてきた。

プライマリーを立てるのと同時に湧き上がってくる抵抗波動だ。

私は優しく抵抗波動に意識を向け、アバターツールで統合した。

自分の中の緊張を解き、真のリラックスを取り戻す

昨日の歯科メンテナンスを機に、今朝は2つの信念を統合することができた。

  • 「食いしばりは治らない」という信念

  • 「私は覚悟を決める勇気がない臆病で小心者だ」という信念

こんな信念を持っていたら、緊張して当たり前だし、リラックスなんてしたくたってできない。

道理で、アロマテラピーや温泉や旅行など、好きなことで気分転換し、究極的には休職してストレス要因を取り除いたところで、食いしばりが治らないわけだ。

外の現実をいくら変えても、自分の中に緊張があり続ける限り、根本的な解決にはならず、対処療法でしかないのだ。

逆に言えば、自分の中の緊張さえ解けば、リラックスを得ることができる。

いや、「得る」のではなく、「取り戻す」ことができる、と言い直そう。

なぜなら、本来の私は、リラックスそのものなのだから。

病気になった意味を知る

「食いしばりは一生治りません。」

この歯科衛生士の一言から、私は自分が歯周病になった意味に思いを馳せ、空を仰いで問いかけざるを得なかった。

「私は、何のために食いしばりによる歯周病になったのだろう?」
「この病気は私にとって何を意味するのだろう?」

問いと同時に答えは生まれるものなのだろうか。

私は、この地球に生まれてきた自分の魂の目的を何となく憶ひ出した気がした。

それは、本当の私を生きること。

私は、「リラックス」をテーマに、本当の私を憶ひ出す魂の計画を立てて、この地球に生まれてきたのかもしれない。

リラクゼーションのプロと言うと、誰かのためにマッサージをしたり、ヒーリングをしたりするイメージがあるかも知れない。

でも、私の魂のブループリントを知った今、私ははっきりとこう決意した。

私は、誰のためでもなく、「本当の私を生きる」という魂の目的を果たすために、リラクゼーションのプロになる。

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