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歴史事典アーカイブ:閃きをあなたに

歴史学の独立研究者が運営しています。専門家の研究書等を用いて、歴史のより確かな知識と魅力をしっかり紹介します。ウェブ上のコスパよい歴史事典アーカイブの構築を目指しています。月額5…
2024年10月末までに、一挙に50記事を追加します。1つの記事につき、10円という破格です。ぜひ…
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#中世

(定期購読)教皇ボニファティウス8世

 教皇ボニファティウス 8 世は中世のローマ教皇(1235ー1303)。在位は1294 ー1303年。国家と教会の関係をめぐって、フランス国王フィリップ4世と激しく対立し、拿捕された挙げ句に憤死した。  ボニファティウス8世はローマの名門貴族出身である。本名はベネデット・ガエタニ。ボローニャ大学でローマ法と教会法を学んだ。その後、ローマ教皇庁で枢機卿などの高職を得た。  1290年には、フランスへと教皇特使として派遣された。その際に、対立していたフランスとアラゴンの間に立

(定期購読) 藤原彰子

 藤原彰子は平安中期の中宮で皇太后(988―1074)。父は藤原道長。一条天皇の中宮の時期には、才色兼備で知られ、紫式部や和泉式部らの優れた女房を従えた。 藤原彰子の生涯:出自と家系  藤原彰子は京都で貴族の家庭に生まれた。父は藤原道長である。母は左大臣の源雅信(みなもとのまさのぶ)の女の倫子(りんし)である。倫子の曽祖父は宇多天皇であり、高貴な血筋だった。彰子は長女として生まれた。両親が20代前半の頃に生まれた。道長はその若さですでに権中納言という高い身分になっていた。