バベルの塔を建てていないニムロデ
───ノアの大洪水ののち、はじめて地上で権力を握った狩人ニムロデ。強大な権力により人々を使役して巨大な塔を築かせたが、神の怒りにふれ、塔は破壊された───。
ニムロデとバベルの塔の一般的なイメージはこんなところではないかと思う。
しかし、当の聖書には、このような内容はまったく記されていない。
ニムロデが塔を建てさせたとも、神様が塔を壊したとも、まったく書かれていないのだ。
では、なぜニムロデがバベルの塔を建てたことになったのか?
それは、後世の人間の思い込みが原因である。
大規模建築には人手が必要
⇒⇒たくさん人を雇うにはたくさんの食糧が必要
⇒⇒莫大な富をもつのは権力者
⇒⇒最初に権力を握ったのはニムロデ
⇒⇒じゃあバベルの塔を建てさせたのはニムロデだ!
こんな感じである。
しかしながら、聖書に描かれたバベルの塔が建設された経緯はこうではない。
では、どう書かれているのか、読んでみよう。
さて、全地はひとつの言葉、ひとつの話し言葉であった。そのころ、人々は東の方から移動してきて、シヌアルの地に平地を見つけ、そこに定住した。
彼らは互いに言った。「さあ、レンガを作ってよく焼こう。」彼らは石の代わりにレンガを用い、粘土の代わりに瀝青を用いた。
そのうちに、彼らは言うようになった。「さあ、われわれは町を建て、頂が天にとどく塔を建て、名を上げよう。われわれが全地に散らされるといけないから。」
(創世記11章1~4節)
そう、だれかリーダーがいて建設を命令したのではない。お互いに「やろうよ」「やろうか」「いいね」「そうだね」…といった感じではじめているのだ。
大洪水で生き残ったのはノア一家の8人。
彼らはメソポタミアの地から水が引くのを待っていた。
一家は家族を増やしながら、箱舟が漂着した現トルコ東部のアララトと呼ばれた土地にある山地から出発し、ザグロス山脈を南下した。そして、低地にあるメソポタミア平原が乾いたタイミングで山を下ったのだろう。
その詳しい経緯はこちらの本に書いてある。⇒(『エデンの園の本当の場所』)
バベルに定住した時点では、おそらくまだ洪水から百年もたっていない。
人々はまだ、全員が家族であった。
ノアをはじめ、セム・ハム・ヤペテ、それから彼らの息子たちも健在だった。ニムロデはそのつぎの世代なのである。
ノア──ハム──クシュ──ニムロデ。
当時、ニムロデはほんの若者であったか、下手をするとまだ生まれていなかった可能性すらある。
全員が顔見知りの大家族で、大勢の年長者たちが健在な状況で、はたして若いニムロデが権力を握ることができただろうか?
たぶん、無理である。
権力を得るには、支配されうる他人が必要となってくる。
「他人」が現れるのは、バベルの塔の建設途中に言語が乱されたあとのことになる。
だから、ニムロデが権力を握るのも、もう少しあとのことになる。
聖書には、
彼の王国のはじめは、バベル、エレク、アガデであって、みなシヌアルの地にあった。(創世記10章10節)
とあるが、彼がそれらの町を建設したとは書かれていない。
それに、聖書にはニムロデに否定的なことはとくに何も書かれていない。
ニムロデは狩人であった。それを考えると、彼が権力を握るに至った経緯はこうである。
***
……箱舟から降りた動物たちはすぐに繁殖をはじめ、野生動物は人から離れて地上に散らばった。
百年もたてばかなり増えるし、箱舟に乗せたときは幼体であった巨大生物も、大人になって巨大化した。強大化する生物は寿命も長くなりがちである。
人々が家畜を連れてメソポタミアの地に住みはじめたとき、野生動物の存在が大きな問題になったことは容易に想像できる。
日本でも北海道開拓時代にはヒグマによる人身被害が多発した。これは、野生動物の生息域を人間が切り開き、人間が増えて野生動物が減って互いの境界線が安定するまでつづく。
都会の人は勘違いしてはならない。現在は都市部であるところも、さかのぼれば野生動物を追い払って人間の居住地にしたのである。
それに、現在日本でも熊の被害が増えているが、熊というのはこれではない。
これである。
玄関を開けて、外にこんなのがいたら水汲みにも行けない。なんなら、ワンパンで小屋が吹き飛ぶこともある。
ニムロデの時代にも人身被害が起きたはずだ。
中東には熊のみならず、ライオンやドラゴンもいた。
畑を耕していたら、こんなのや、
こんなのが、
目の前に現れたらどうします?
ちびりますよね。
というわけで、人々の中の勇敢なものたちが、命がけで猛獣駆除に乗り出すことになる。
ニムロデはそういう狩人であった。
彼は家族を守るため、兄弟か友人たちとともに危険な猛獣狩りをはじめる。
彼はひとりではなかった。
より安全に確実に狩りを行うならば、チームで動いた方がいい。
ニムロデは腕っぷしが強いだけではなく、頭も切れたのだろう。
確実に猛獣を駆除できるチームを作り上げ、評判が評判を呼んで、ほかの町からも依頼が来るようになる。
猛獣狩りは命がけである。チームの中から死者も出たことだろう。
人々はそんなハンターたちに感謝して尊敬し、信頼を寄せていった。
一方、ニムロデ猛獣駆除チームのほうとしては、命を懸けて家族と自分の町を守るまでは良かったが、縁の遠い人たちのために命を懸けるとなると、割が合わないと思えてくる。
そこで、依頼があっても行くことをためらいはじめるかもしれない。
すると、猛獣被害にあっているほうとしては、自分たちでやるしかない。しかし、死者がでるかもしれない。それならば、確実に仕留めてくれるチームに命を懸ける対価としての報酬を渡して駆除してもらうほうがいい、となる。
ニムロデの立場で考えても、そうしてもらわないと困るのである。
彼はリーダーである。自分への報酬はなくとも、部下たちには報酬を与えてほしい、と思ったはずだ。
リーダーには部下を養い、何かあったときには保証をするという責任があるのだ。
彼はそういった部下へのケアもしっかりしていたのだろう。
そうなると、どうなるか。
狩人=猛獣駆除は尊敬され英雄視される仕事である。
ニムロデチームは強くて報酬も得られる。
若くて一旗揚げたいと願う元気な男たちが彼のもとに集まってくるのは当然の帰結である。
職業:ドラゴンスレイヤー:かっこいい:モテる
もう、やるしかないじゃん!
…というわけで、ニムロデは図らずして軍隊のようなパワーを手に入れることとなる。
そして、そのパワーはやがて猛獣に対してだけではなく、人同士のトラブルの解決にも用いられたのではないだろうか。
どこにでもしょうもない奴はいるもので、筆者の暮らすド田舎でも昔は畑の境界線をこっそり移動しちゃう輩が何人もいた。古い人ほど土地に執着するのである。
本人に問い詰めてもしらばっくれるので、やられたほうはたまったものではない。役所もぜんぜん当てにならない。
そんなとき、強くて話の分かるやつがいたら、どうします?
「こんなことされたんです~」と言ったら、「それは良くない」と立ち上がって確かめに来てくれる頼れる奴がいたとしたら……。
それで、不正が判明したら、悪い奴をちゃんととっちめてくれるとしたら……。
スカッとする、じゃなくて、助かりますよね。
こういった経緯で、ニムロデは法の守護者、刑の執行者としての権限も手に入れたのではないだろうか。
最初の権力者であるニムロデは、ごく自然な流れで権力者となった。
ニムロデは脳筋の暴れん坊ではなく、クレバーで頼れる兄貴なのだ。
***
そんなこんなで、ニムロデはメソポタミア南部の当時の人口の大部分が集中する地域において、法の執行者として君臨することになった。
彼が治めた範囲にはバベルも入っている。だから、建設の途中で放棄されたバベルの塔を修繕・完成させたというのはあり得る話である。
でも、言語が乱される前にニムロデが権力を行使して塔を建てさせたというのは違うのである。
では、つぎ。
神様が塔を壊したという記述がないのに、壊したような伝承があるのはなぜなのか。
……長くなったので次回につづく。
(⇒⇒バベルの塔を壊していない神様)
大洪水後のノアの行方に関してはこちら⇩
歴史書としての聖書、牧師さんも教えてくれない疑問点に答えるシリーズ⇩