「概説 静岡県史」第161回:「B-29とサイパン島」
先週から朝が急に涼しくなってきました。日中はそれなりの気温になりましたが、これで秋になっていくのかなぁって思っていますが、どうなるかな?台風17号、18号と続けて来そうで、やや不安ですね。
それでは「概説 静岡県史」第161回のテキストを掲載します。
第161回:「B-29とサイパン島」
今回は、「B-29とサイパン島」というテーマでお話します。
米軍は、戦争を航空兵力とそれを支える生産力の戦いであると見抜いていました。そのため、日本を降伏させるには日本本土の生産地帯への空襲が必要であるとして、戦略爆撃機B-29の開発を急ぎました。その能力は、対空砲火が届かない高度1万メートル上空を飛行、レーダーを搭載し、通常4.5トン(最大9.0トン)の爆弾装備、約6000㎞の航続力(爆弾を多く搭載すれば、航続距離は短くなる)で、まさにスーパーフォートレス(「超空の要塞(ちょうそらのようさい)」)の愛称を与えられた大型爆撃機でした。基地は中国の成都とマリアナに置かれることとなりました。当初、中国での基地は桂林、柳州とされていたため、日本軍は一号作戦(大陸打通作戦)を立案し、その目的を中華民国南西部の飛行場の覆滅による日本本土爆撃の阻止として、1944年1月24日に大本営命令が発令されました。米軍は、日本陸軍の攻撃で中国軍が桂林、柳州を防衛できないと判断して、B-29の基地を成都に後退させることとしました。日本陸軍は建軍以来最大規模となる10個師団40万人の大兵力を動員し、4月にまずは長沙、その後11月には桂林、柳州の飛行場も占領しましたが、既にもぬけの殻であり、作戦自体は日本軍が中華民国軍に多大な損害を与えつつ、目的地域の攻略に成功しましたが、肝心のB-29鹵獲(ろかく)という最大の目的は達成できませんでした。
1944年6月15日に成都から出撃したB-29による日本初空襲が、翌16日の深夜に八幡製鉄所を主目的として実施されました。空襲の主たる目的であった八幡製鉄所の被害は軽微で生産に影響はありませんでした。爆撃隊は日本による灯火管制で目視爆撃ができず、レーダー爆撃を行いましたが、爆撃隊は不慣れもあって大混乱しており、誰も目標の製鉄所への命中は確認できませんでした。製鉄所に命中しなかった爆弾が八幡市街地に落下して市民322名が犠牲となったことの衝撃は、実際の爆撃の効果以上に大きいものがありました。
B-29による日本初空襲が実施された6月15日早朝にアメリカ軍の大船団が殺到して戦いが開始され、静岡の郷土部隊である歩兵第118連隊も守備に加わっていたサイパン島は7月9日にアメリカ軍の手に落ち、同じく豊橋第18連隊などが守備していたグアム島、テニアン島も8月10日までに攻略されて、南部マリアナ諸島はアメリカ軍のものとなり、日本の主要都市のほぼすべてがB-29の攻撃可能範囲内に入ることとなりました。10月には、サイパン島、グアム島、テニアン島に合計5か所の飛行場が完成しました。日本軍は硫黄島より偵察機を飛ばしてマリアナ諸島の飛行場を偵察していましたが、11月6日には飛行場に整列しているB-29の写真を撮影することに成功しました。
また日本軍は、B-29の基地サイパン島に対して空襲を行っています。44年(昭和19年)6月、陸軍中央は戦力の不足を補うため飛行学校5校と1分校、および航空整備学校1校を軍隊化し、航空総監隷下で教育と作戦行動を常時並行して行わせることとなり、浜松陸軍飛行学校は閉鎖され、浜松教導飛行師団と三方原教導飛行団に改編されました。10月に浜松教導飛行師団にて編成された第2独立飛行隊は、11月2・6・27日、12月7日に浜松陸軍飛行場を出撃し硫黄島を経由、B-29の拠点であるサイパン島およびテニアン島のアメリカ陸軍航空軍飛行場を夜間奇襲爆撃し戦果を挙げました。また、10月に浜松教導飛行師団から新たに飛行第110戦隊が編成され、12月よりサイパン島を攻撃する作戦に参加しましたが、硫黄島への攻撃が激化すると、マリアナ諸島への攻撃は不可能となりました。
マリアナ方面の攻撃作戦と前後して1944年初期より、陸軍中央では飛行機が艦船に体当たりを行う特別攻撃の検討を開始し、同年7月、教導航空軍司令部は浜松教導飛行師団に対し、重爆撃機による特別攻撃隊の編成を内示しました。10月、浜松教導飛行師団は隷下の第1教導飛行隊を母隊として四式重爆撃機の改造機を使用する特別攻撃隊を編成し、西尾常三郎少佐が隊長である同隊は「富嶽隊」と命名され、鉾田教導飛行師団から編成された「萬朶(ばんだ)隊」とともに最初の陸軍特別攻撃隊で、フィリピン派遣を命じられます。富嶽隊は10月26日浜松飛行場を出発、11月13日、比島クラーク基地マルコット飛行場より出撃しました。浜松教導飛行師団からは翌年1月、一〇〇式重爆撃機による第47振武隊も編成されました。
次回は、「空襲と敗戦」というテーマでお話しようと思います。