#9:上司にしたい武士?「源範頼」
皆さん、歴活してますか?歴史探偵Qです!
みなさんは毎週の楽しみ何かありますか?
私は日曜日の夜に見る「鎌倉殿の十三人」です。
この大河ドラマは2代執権:北条義時を中心に
源平合戦から鎌倉時代の初期にかけての物語に
なるのですが…
この調査報告書では、
主人公の北条義時ではなく…
鎌倉幕府初代将軍で最凶の源頼朝でもなく、
戦の天才で最強の源義経でもなく…
「源範頼」に注目したいと思います!
え…源範頼?
「確か〜頼朝の弟で義経の兄で…
鎌倉幕府ができてからは…記憶ないな〜」
的な存在じゃないですか?
この源範頼…存在は薄いですが…
結構やり手なんです!仕事がやり方がうまい!
現代のサラリーマンでも通用する様な
仕事の仕方。ビジネス書に書いてある事を
実行する男なんです。
なぜこの様な生き方になっていったのか…
範頼の人生を振り返り、
範頼の活躍を紹介しながら
話を進めて行きたいと思います!
1、源範頼ってどんな人?
源範頼(生没年不詳)は平安時代末期から
鎌倉時代初期に活躍した武将であり、
源義朝の6男(一説には5男)として
現在の静岡県浜松市で生まれました。
源頼朝が挙兵した際に、程なくして参陣…
源義仲や平家一門との戦いに参加し、
頼朝の代官:総大将として結果を出し
鎌倉政権の樹立に尽力した人物です。
2、源範頼の人物像
今回の記事を作成する際に、「源範頼」を
調べていたら、多く出てきたのが…
「凡将」、「無能」と言うイメージ像が多く
散見される結果となりました。
これは「源平盛衰記」で範頼は酷評
されており、この時のイメージが現代でも
続いているのかと思われますが…
この資料に関しては、14世紀頃に書かれたもの
と言われていますので正確性には疑問が残ります。
しかし、他の資料である「吾妻鏡」や
「平家物語」での範頼は
「酒好き、喧嘩好き、女好き」と書かれて
いますので多少ヤンチャな部分が
あったのかなと思います。
3、範頼のマネジメント能力の高さ
先ほどまでは、あまり範頼のいい部分が
出てきませんでしたが…笑
ここでは、範頼が現代のビジネスマンで
あっても優秀と思われる部分を
紹介していきたいと思います。
<1>モチベーターとしての役割
源平合戦の主役は「源義経」と思う方々は
多いと思いますが…
まず抑えておきたいのは、範頼は頼朝の
代官であり総大将でした!
そして大手軍(源氏メインの軍隊)は範頼が
搦手軍(源氏サブの軍隊)を義経が
率いていました。
これは範頼が頼朝から信頼されていたことが
わかると思いますが…御家人達からも信頼が
あったと言われています。
それは義経は戦上手であり、人を指揮する
と言うより自分自身で敵を倒そうとするので
頼朝への報告は、「義経がやりました」と
なり御家人自身に活躍の場がないまま
戦が終わってしまいますが…
範頼の場合、御家人達の技量を見定め
適材適所に配置し、御家人達に活躍の場を与え
報告に関しても、範頼は簡潔に的確な報告を
頼朝にするので御家人達は不満なく
戦うことができました。
範頼に関しては、カリスマ性や戦上手と
言うわけではありませんが…
「モチベーター」として御家人達の
モチベーション維持に関しての才能は
あったのかもしれません。
自分が部下だった際に、義経のワンマンか
範頼のやり方かどっちが自分の成長に
つながるかと考えたら…
絶対「範頼軍」がいいですよね!笑
<2>細やかな「報連相」
上司(頼朝)にとって部下(範頼・義経)
がどの様な状況で戦っているのかは非常に
気になるものですよね?
現代の様にスマホやPCがあるわけでは
ないので全て手紙でのやりとりなので
どうしても時間がかかります。
ですから範頼はこと細やかに頼朝に
手紙(報告)を送っていました。
九州征伐の際にも、鎌倉へ帰還する
タイミングで…
「海が荒れているので遅れます。」
と言う書状を送っていました。
この様に、範頼は細かく状況を頼朝に
報告していたので、信頼を勝ち
取っていきました。
「報連相」はいつの時代も大事!
4、真面目な範頼の唯一の失策
上記の説明でわかっていただけたと
思いますが…非常に真面目で頼朝に従順で
何をするにも「報連相」を欠かさなかった
範頼ですが…
やはり「兄弟」に関しては非情には
なれなかった様で…
今までどんなことがあっても頼朝の命令には
逆らったことはなかったのですが、
奥州への義経追討に関しては逆らった様で
ここから範頼と頼朝の関係は壊れていきました…
この時代の兄弟というのは、自分に取って代わる
存在であるので、権力者にとって1番の敵は身内
だったので一度怪しいと思ったら…
もう終わりです。
範頼のやるべきことは兄弟での争いを嫌がり
義経討伐に行かないのではなく、行くだけ行き
頼朝には絶対逆らわなければ非業な最後は迎え
なかったかもしれません。
5、まとめ
範頼の最後は非常に寂しいものでした…
義経の件で頼朝から目を付けられた範頼…
諸説ありますが、「曾我兄弟の仇討ち」の際に
頼朝も殺されたという情報を聞き、真面目なので
政子に「鎌倉は私がいるので大丈夫です」と
幕府運営はなんとかしますという意味で言った
ことが頼朝の怒りに触れ、伊豆に流されました。
その後も頼朝の許しを得るため、色々行動を
起こしますが、全て裏目に出ます。
結局、伊豆の修禅寺で幽閉中に
殺されたと言われています。
ここから、学べることは…
権力者は非常に疑心暗鬼になりやすく
自分を裏切るのではないかと思われたら最後…
非情になり、自分を守る事も必要な時も
あるのだと範頼から学びました。
以上
調査報告完了
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