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歴史探偵エッセイ:京都旅行写真祭り③

皆さん歴活してますか?
歴史探偵Qです。

今回も京都旅行の写真とともに
感じたことを書いていきたいと思います。

今年も6月になり、京都へ行ったのも
もう半年近く前になるんですね…
一年が早く感じるお年頃となりました。笑
もう来年の京都旅行を計画しています。

■二条城ってたくさんあるのね…

皆さんが思う二条城は徳川家康が建て、
現在に伝わるものをイメージされると
思いますが…

その「現二条城」の約33年前に織田信長が
足利義昭の為に建てたものがあったんですね!
最近の研究では信長は義昭をしっかり盛り立てて
室町幕府を支え、日本を安定させようと
考えていたという情報を少し前に見たの
ですかこういうところからも
その背景が見えますよね!

まっ、すぐ解体されて安土城の築城に
再利用されたそうですけど…

■三十三間堂って広いね!

人生で初めて三十三間堂に行ったのですが、
約120mある本堂がまず広い!
ここを弓矢を通すと考えると相当筋力が
ないとできないなと思いました。

本堂の中にある仏像は千体を超えるそうで、
オーラというか、圧力がすごかったです。

余談ですが、本堂の中にいた御朱印を
担当されていたお坊さんが2人いたのですが…
ウトウトされていて笑っちゃいました。

■養源院

三十三間堂の横に養源院というお寺があります。
この養源院は、淀殿が父である浅井長政と
母であるお市の方を供養するために建立した
お寺です。

その後、お寺は焼失してしまいましたが、
淀殿の妹である「お江の方」が
再建したそうです。
そして今回私がここに寄った理由は「血天井」が
あるからです。

血天井とは関ヶ原の戦いの前に
起きた伏見城の戦いで石田三成軍と伏見城を
守っていた徳川方の鳥居元忠の戦いで伏見城で
討死した鳥居元忠軍の討死した際、血の跡が
ついた伏見城の遺構を供養も兼ねて 建築資材として活用した際に天井に討死した人の手形や足形などが残っていたので血天井と呼ばれるように
なりました。

2023年に行った京都旅行で「源光庵」の
血天井を見学した時も恐ろしさと歴史の重みを
感じましたが今回の養源院の血天井も
なかなかな重さでした。

ただ、一つ「ん?」って思ったことは
血天井の説明の際に、この横たわった人の
血の跡は「鳥居元忠公」です。
と話していたのが言い伝えと言わないんかい!
と思ってしまいました。

■京都政治の最前線

平氏・源氏・北条氏の政治の最前線
「六波羅探題」の跡地であり、空也上人
ゆかりの寺として六波羅蜜寺は存在しています。

展示室には「平清盛像」や「空也上人像」など
歴史の教科書に載っている有名な像を
たくさん見ることができました。
空也上人像は学生時代は教科書で
しか見てなくて、口からなんか出してる
木像としか思っていなかったですが…

大人になって、改めて本物をみるとなぜ黒くなっているのか?
それを調べてみると、これはロウソクの火のススによって黒くなっていて、
それだけ多くにお人々がこの像に対して願い、
祈っていたのだと思うと胸にグッとくる
ものがあります。
大人の修学旅行に非常におすすめです!

■建仁寺はすごい

建仁寺は複製品とはいえ、一つ一つの歴史的に
重みを感じます、教科書で見た
「風神・雷神図屏風」や
雲龍図襖など見応えが本当にありました。
天井の双龍図も最近書かれたものでしたが、
相国寺の雲龍図にも負けない迫力でした。

■くろ谷さんは体力がないとキツい

「くろ谷さん」と呼ばれる「金戒光明寺」は
江戸時代末期に京都守護職であった
会津藩の本陣があったところです。

 本堂では映画「燃えよ剣」が
撮影されたそうです。

 なんとこのくろ谷さんには徳川秀忠の正室「江」の供養塔があります。
これを建てた人はなんと「春日局」でした。
また、春日局自身のお墓もありました。

昔、フジテレビのドラマ「大奥」での
松下由樹さん演じる春日局と高島礼子さん
演じるお江与の方のバチバチな戦いは本当に
ドラマとして面白かったですよね。

歴史好きな人間がこのお墓状態を見て…
一見、春日局がお江の静かな眠りを
祈っていると思いながら裏ではどんな
思惑があるのか…女の戦いは恐ろしい。

三重塔の下で見た京都の景色は
本当に綺麗でしたが…
黒谷さんに登るのも、本堂に行くにも
上って大変なのに三重塔へ行くのにも
さらに登るので足がパンパンになりました。

■木戸邸は現在お宿に

 京都で何か商売するときは何かしらの
史跡になりそうで面白いと思いながら、
木戸孝允の家の跡だから宿泊しよう!
と思う人がいるのかな?と不思議に思いました。

■島津製作所って京都発祥なんだ…

角倉了以邸の横に島津製作所創業の
地がありました。
創業者の島津源蔵さんが家業の仏具店で
学んだ金属加工技術を使って創業したのが
「島津製作所」でした。

「島津」という名前だったので
鹿児島(薩摩藩)が関係しているのかな?
と思っていました、関係なさそうです。

■まとめ
今回で京都旅行の写真エッセイを
3回更新しました。
次回で最後だと思います。

本当に京都って奥が深くてまだまだ
いきたいなと思わせてくれるところです。

ここが私のアナザースカイです。


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