『ブゥランジェ将軍の悲劇』と米大統領選の行方
「時代錯誤」の凶行
去る7月14日未明(日本時間)に起きたトランプ元大統領暗殺未遂事件は世界を震撼させた。15日付の東京新聞朝刊は、この事件を一面で「民主主義脅かす凶行」と報じた。僕はといえば、2年前に安倍元総理が凶弾に斃れた記憶を生々しく思い起こすと同時に、幸いにもトランプ氏が一命をとりとめたことに、ほっと胸をなでおろす思いでいる。
「民主主義の現代において、いまさら暗殺沙汰にふけるようなことがあっては時代錯誤も甚だしいと言わねばならぬ」とは、元外交官の加瀬俊一が著作の中で第一次大戦勃発の引き金となったオーストリア皇太子暗殺事件(サラエボ事件)を総括して述べた言葉だが(『現代史の謎』文藝春秋、1963)、21世紀の今日にも、なおこのような「時代錯誤」の凶行が繰り返されるという事実は、結局人間は過去の悲惨な歴史から何も学んではいないということを意味するのだろうか。
歴史に耽溺してきた身としては、なんともやるせない気持ちがする。
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かたや、暗殺の危難をかいくぐったことによって、いまやトランプ氏の声望は絶頂に達しつつある。事件直後の党大会の様子を、東京新聞はこう伝えた。
朝刊を斜め読みしていた僕は、ゾッとするような心持で、昔読んだ『ブゥランジェ将軍の悲劇』というドキュメンタリー小説の内容を脳裏に思い浮かべた。大佛次郎が昭和5年(1930年)に執筆したこの小説は、今なお多くの示唆に富んでいる。
やや長くなるが、ここにそのあらすじを書きとどめておきたい。
「英雄」ブゥランジェ将軍の出現
1880年代のフランス世論は激しく沸き立っていた。
かつて普仏戦争によって祖国に敗北の恥辱を押し付けたドイツ帝国への復讐を叫ぶ声が巷間に根強く残る一方で、近代化に伴う格差の増大が国民に議会政治への不信感を植え付け、社会の分断を招いた。
人々はこの閉塞した状況を打破してくれる英雄の登場を待ち焦がれた。
——そこに陸軍大臣ブゥランジェ将軍が出現した。
大衆は、ドイツに対しては断固とした態度を取りながら、しいたげられた国内の労働者には寛大な度量を示す彼の政策を、狂喜して迎え入れた。
さらに彼は稀に見る美丈夫でもあったから、否が応でもその人気は増幅するばかりだった。まさに彼こそは「三色旗そのもの」であり「護国の英雄」だと喧伝された。
果ては、 欧州随一の策謀家として知られたドイツ宰相ビスマルクさえも、彼の声望に懼れを抱いたという風説まで囁かれるありさまだった。
だが、ビスマルクの慧眼は、しょせんはブゥランジェが単なる「空に揚った風船」でしかないことを、正確に見抜いていた。彼が真に懼れたのは「この風船を空に持上げた仏蘭西人の愛国熱の膨張」に他ならなかったのである。
「エンターテインメント化」する政治
実際、将軍が陸相に就任して半年ほど経つ頃には、いよいよ大衆の彼に寄せるまなざしは尋常ならざるものと化してきていた。
1886年7月14日の閲兵式における将軍の勇姿が市中に伝えられるや否や、「数日間に巴里の町の本屋と云う本屋、新聞の売店と云う売店が、将軍を取り扱った各種のパンフレットで埋」まり、「軍帽をかぶった将軍の首の煙草のパイプが現れ人気を奪うかと思うと、ブゥランジェ将軍印のレッテルで酒が売り出され」るほどの始末だったという。
まるで推しのアイドルに熱狂する現代の若者たちのようである。
余談だが、少し前に僕は何かのニュース番組で、「政治をエンターテインメントにしたい」という石丸伸二氏の発言に、その場にいたコメンテーターの何人かが困惑の表情を浮かべたのを目にした。
おそらく彼らの思考の根底には、「政治とはあくまで厳粛に取り扱うべきものであり、エンターテインメントの浮薄さを持ち込むべきではない」という考え方があるのだろう。それはそれで至極ごもっともな意見である。
だが少なくとも、ブゥランジェ将軍が生きていた時代のフランスでは、政治とは立派なエンターテインメントだったのではないかと思う。でなければこれほどまでに大衆を熱狂させることなどできなかったはずだからだ。
危機に瀕する議会政治
しかし、「政治のエンターテインメント化」は、衆愚政治へと堕する危険と常に隣り合わせである。議会人がブゥランジェ将軍の台頭に眉をひそめる一方、彼らへの不信感に凝り固まった大衆は、いよいよ将軍支持の姿勢を明確にする。
将軍支持派の一人だった愛国詩人デルレエドは、「将軍は議会主義者ではありませんよ」とたしなめる時の大統領グレヴィに向かって、昂然とこう叫んだ。
「今日は最早議会主義の時代ではないのだ!」
——大佛は続けてこう書いている。
1789年のフランス大革命、1830年の七月革命、48年の二月革命と、三度の革命を経てやっと築き上げられた「自由・平等・友愛」を旨とする議会主義の体制が、大衆の狂熱によって巻き上げられた「風船」ブゥランジェ将軍の出現によって危機に瀕しているのだ。同じく愛国主義の高揚によって議会政治が風前の灯火と化していた昭和初期の世相を、やるせない面持ちで眺めていた大佛の嘆息が聞こえてくるような思いがする。
将軍の死
だが、結局のところ「風船」は「風船」でしかなく、一時は民衆はおろか王党派やボナパルティストの支持すら獲得した将軍も、その最期はあっけないものだった。
クーデターの一歩手前で逡巡したために、将軍は国外へと亡命しなければならない羽目に陥った。それから数年後の1891年9月30日、愛人ボヌマン夫人の早逝を嘆いた彼は、その墓前で拳銃自殺を遂げてしまう。よく晴れた秋の日の昼下がりの出来事だったと伝えられる。
——こうして、フランス第三共和政を震撼させた「ブゥランジェ将軍事件」は、ひっそりと幕を閉じたのである。
腐敗政治への怒り
改めて、なぜ将軍が悲劇的な死を遂げなければならなかったのか、その理由を考えてみる。
大佛によればそれは、人々が彼に対してあまりにも過度な期待を寄せてしまったことにある。
将軍は、一軍人としては優れており、部下に対しても親切だったが、人々が彼に望んだのはナポレオンの再来らしく振舞うことだった。フランスに仇為す外敵を蹴散らし、腐敗せる議会政治を破壊して国威を発揚せよと迫ったのだが、そんな偉業はもとより彼のよく成し得るところではない。
にもかかわらず、「国民の熱狂で押上げられて、遂に自己を喪失」してしまったブゥランジェ将軍は、大きな政治的冒険に乗り出し、結局は老獪な議会政治家たちに惨めな敗北を喫して、寂しい死を迎えたのである。
では、大衆はなぜ将軍を英雄視したのだろうか。
実のところ、議会政治が腐敗の極みに達しているというのは大衆の思い込みでもなんでもなく、厳然たる事実だった。将軍の死の翌年には、主だった議会政治家たちが、パナマ運河会社から賄賂を受け取っていたことが新聞紙上に暴露され、政情は再び混沌と化した。例のデルレエドは嬉々として議会人の偽君子ぶりを非難し、大衆の喝采を集めた。このことは、大佛が『ブゥランジェ…』の続編として著した『パナマ事件』に詳述されている。
もはや議会人は大衆から遊離した別世界の人間のようになってしまっていた。困窮し、明日の希望など持ちようもない大衆は、自分たちに代わって議会政治を糾弾し、国家を再建する英雄の到来を待ち望むようになる。
こうして、19世紀後半のフランス政界にブゥランジェ将軍が突如として出現する素地は整えられていったのである。
——同じことが、21世紀のアメリカでも起きてしまった。
悲劇は繰り返すのか?
トランプ陣営の副大統領候補であるバンス氏は、「バイデン氏のような政治家たちが米国の製造業を衰退させた」と述べ、オハイオ州の貧困家庭に生まれ育った自身の生い立ちを語った上で、「自分がどこから来たのかを決して忘れない副大統領になる」と力強く宣言した(7月19日付東京新聞朝刊より)。
彼のような人が、ラストベルトの労働者のことなどろくに考えてもこなかっただろうエリート政治家たちに向ける怒りは、痛いほどよく理解できる。
僕とて「上級国民」の無節操に怒りを覚えたことは、一度や二度ではないからだ。
そういう連中を一掃せんとばかりにアジ演説を繰り返すトランプ氏に、多くの米国民が期待と共感を寄せるのも、十分にうなずける。
バイデン氏が退場した今となっては、トランプ氏の大統領再選出というシナリオは、もはや決まったも同然のものにさえ思えてくる。
しかしどうしても僕は、トランプ陣営を手放しで応援する気にはなれないのだ。今回『ブゥランジェ将軍の悲劇』を再読して、改めてその思いを強くした。
ブゥランジェ将軍にせよ、トランプ氏にせよ、エリート層が見向きもしない大衆の声なき声を代弁する政治家というのは、いつの時代にも必要とされる存在なのではないかと思う。しかし、それが行き過ぎると政治は諸勢力間の利害を調整するという本来の機能を失って、単なる罵りあいのための道具と化す。
大衆の熱狂に巻き上げられた「風船」ブゥランジェ将軍は、本人も意図せぬうちにそういう構図を作り出してしまったが、トランプ氏の場合はどうだろう。はっきり言って、僕には彼がブゥランジェ将軍の何倍も狡猾な人物に見えるのだが、多くの米国民が彼を歓迎したというのもまた事実なのだ。
願わくば、仮にトランプ氏が再び大統領の座に返り咲くような事態になったとしても、彼がよく自制心を保って議会政治を堅持し、国威を輝かそうなどという野心は捨て去ってくれることを祈りたい。
——無理な願いというのはよくわかっているつもりだが、この21世紀にブゥランジェ将軍の悲劇を再演するなどということは、それこそ「時代錯誤」の愚行に他ならないだろう。