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<小説>半夏生(はんげしょう)の男⑧ ~前田慶次米沢日記~


    八
 翌朝の食膳には里芋の煮つけが添えられていた。初物である。
「これは旨い」
 慶次郎が言うと、きえの顔がほっと赤くなった。
 朝餉を終え、慶次郎がごろりと横になったところへ来客があった。直江兼続である。供を連れず、単身馬を駆ってきたのだ。
「今朝届いたので、せっかくなら早く届けようと思ってな」
 背中に背負った風呂敷包みを上がり框にそっと置いた。
 開いてみると見覚えのある茶碗である。慶次郎が割ってしまった白天目がみごとに修復されていた。割れた部分を結合させているのは金継ぎである。
「ほう、よい景色だ」
 継ぎ目がよい趣を醸して、風雅なたたずまいである。
「それをこしらえたのは、先ごろ足を痛めた大工の見習いだ」
「なんと」
 慶次郎の両目が大きく見開かれた。きえの次兄文次のことである。
 聞けば兼続自らが鍛冶町の漆職人に頼んで弟子にしてもらったのだという。鍛冶町は近江から来た職人が開いた町である。
 文次が漆職人として再出発することになったという話は、きえからも聞いていた。だが壊れた茶碗を修復したという話は初耳だった。
「きえ」
 慶次郎はすぐに水場にいたきえを呼び、茶碗を見せた。
「まだまだ拙いが、親方は見込みがあると言っていた」
 兼続の言葉を茫然と聞きながら、きえの目からみるみる間に涙があふれた。
「おしょうしな。おしょうしな」
 きえは茶碗を押しいただいて、畳にこすりつけるように頭を下げた。
 兼続がこほんと咳ばらいをした。
「ところで、いささか喉が渇いた。ついては茶を一服所望したいのだが」
 兼続がちらっと白天目を見て少し恥じらうように言った。この茶碗で喫してみたいということだろう。
「喜んで」
 慶次郎はにっこり笑うと立ち上がった。
「支度をするので少し待っていてくれ」
 きえに湯を沸かすよう命じた慶次郎は、そのまま隣の書斎に行き、戻ってきたときには掛け軸を手にしていた。
 点前に用いた茶碗は、むろん金継ぎされた白天目である。
「旨い」
 慶次郎が点てた濃茶をひとくち喫んで、兼続は深く息をついた。
「ところで、あれは何の花かな?」
 兼続が目を向けたのは床の間の掛け軸である。先ほど慶次郎が掛けたものだが、一茎の草花が着色で描かれている。白い小さな花が総状(ふさじょう)に付いているが、周りの葉も白いのが目につく。お世辞にも上手いとはいえないが不思議な味がある。どうやら慶次郎の筆になるもののようだ。
「あれは半夏生という草だ」
 慶次郎は得たりとばかりに身を乗り出して語り出した。
「半夏生とは七二候のひとつで、夏至の終わり頃のことだ。この草はちょうどその頃に白い花をつけるのだが、葉っぱも何枚か白くなる。これを見て、やや、枯れたのかと思うが、しばらくすると不思議にもまたつやつやした緑に戻るのだ」
 子供がとっておきの秘密を打ち明けるような勢いで一気に喋った。
「ほう」
 うなずきながら兼続は、慶次郎がわざわざこれを掛けたのも、この話がしたかったからだと気づいて微笑んだ。
「俺は毎年この草を見るたびに、若返ったような気持ちになる」
 慶次郎が言うと、襖の向こうできえがくすりと笑うのが聞こえた。
 兼続は知る由もないが、三月ほど前にきえから聞いた話の受け売りである。それをまるで昔から知っていたように話すところが、よほどおかしかったのだろう。
 ただし茶道の季節感としては、秋風が立つこの時季に半夏生はそぐわない。だが慶次郎にはそんな堅苦しい決まり事は無縁のようで、いかにも慶次郎らしかった。
「よい話を聞かせてもらった」
 兼続はいたく感じ入ったようにうなずいた。武将としての勇猛さに加え、治世においても優れた手腕を発揮した兼続は、すぐれた人格者でもあった。
「ところで、これは返しておく」
 兼続が懐から取り出したのは、慶次郎の致仕届である。
 しかし慶次郎は首を縦に振らなかった。
「一度出したものは受け取れぬ」
「では、あくまでも隠居すると」
「さよう」
「繰り返すが、米沢を去るつもりはないのだな?」
「ああ。俺はこの雪深い田舎が気に入った」
 兼続は心底安堵した。
「ならばよい。だが何が不満なのだ、遠慮なく言ってくれ」
「不満は、することがないことだ。退屈でしようがない」
「それはかねてより言っておるだろう。おぬしが我が家中にいてくれるだけで、どれほど多くの藩士が心強く思うことか」
「それがこそばゆいのだ」
 慶次郎は叔父の前田利家に仕えるまで浪々の暮らしをしてきた。だが慶次郎にとっては、その日暮らしの寒々しさもまた好もしかった。
 前田家を出奔したのも、宮仕えの窮屈さに耐えられなかったからだ。その点は禄を食むことに汲々としている多くの藩士にはうかがい知れぬことである。
 しばらく考えていた兼続が口を開いた。
「ならば気が向いたときでよい、藩内を見廻ってもらいたい」
 慶次郎が不審げに眉根を寄せた。
「見廻りなら伏嗅組がいるではないか」
 伏嗅組は兼続が新たに設置した米沢藩の諜報組織で、家中でも特に武功に優れた者を集めた隠密集団である。領内の見廻りおよび治安維持を受け持ち、のちに犯罪者の捕縛にもあたった。
「おぬしは組とはかかわりなく、好きに動いてもらってよい。領内はいまだ落ち着かず、目の届かぬことも多い。逆に藩士が領民を苛むことがあれば、遠慮なく処断してよい」
「なんと」
 慶次郎は目を大きく見開いた。傾奇者として名高い男が驚くほどの決断である。
「これは働かされそうだな」
 そう言いながら、慶次郎の目はらんらんと輝いていた。半夏生の白い葉が青く戻るように、慶次郎もまた若返ったようである。
「そうだ、最上も伊達もまだまだ油断がならぬ」
 兼続はにこりともせず返した。
 関ヶ原の戦いが終わった後も、北の地ではいまだ戦いの埋み火が燻っている。
 長谷堂城の戦いの翌月には、伊達政宗が二万の兵を率いて上杉領に攻め入った。上杉軍はこれを撃退したが、伊達氏の侵攻は翌年五月まで数度にわたって続いた。伊達政宗の生まれ故郷米沢に対する執着がいかに強かったかを思わせる戦いである。
「その役、謹んでお引き受けいたす」
 慶次郎は居住まいを正し、兼続に深々と一礼した。
 庵の小窓から見上げる北国の空は、晴れ晴れとしてどこまでも澄みわたっていた。

 金継ぎの施された白天目茶碗は、以後慶次郎のお気に入りとなった。
 不思議なことに、あれから信長の夢はぱったり見なくなった。
                             (おわり)


◆<戦国きっての傾奇者>と呼ばれた前田慶次が、晩年を過ごした米沢での暮らしぶりを描いた小説です。親友である上杉家家老の直江兼続との交流や、老いてなお盛んな慶次の活躍を綴っていきます。

↓第一話、第二話、第三話、第四話、第五話、第六話、第七話はこちら


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