<小説>半夏生(はんげしょう)の男③ ~前田慶次米沢日記~
三
翌朝、慶次郎は裃(かみしも)に白足袋の正装で、大小を帯びて馬にまたがった。向かった先は上杉家家老、直江兼続の屋敷である。
白髪交じりの総髪をきちんと結い、背筋をぴんと伸ばした慶次郎の凛としたたずまいに、行き交う郷民たちは道を開けて深々と頭を下げる。慶次郎は笑みを浮かべながらそれにうなずく。郷民との交わりも愉しみのひとつとなっている。
慶次郎は馬に揺られ左右に田んぼが広がる田舎道をのんびり歩いた。稲は隙間なく植えられているが、まだ青々としている。
季節の移ろいは西国に比べればひと月ほど遅く、しばしば凶作に見舞われる。しかし天候に恵まれれば稔り豊かな秋が迎えられる。土の匂いがそのことをうかがわせる。
最上川の支流松川に架かる橋を渡り、職人町を抜けると茶店が数軒並ぶ柳町に出た。この辺りは町人町で、大きな荷物を背負った行商人や職人たちが行き交っている。
この先の大町を抜ければ城はすぐである。
「ふざけるんじゃねえ」
怒声に振り返ると、四つ辻の向こうに人だかりがしていた。
一軒の店先で尻もちをついた老人が、手をわらわらさせて必死で訴えている。
「しかし、約束の期限はとっくに過ぎております……!」
傍らの丁稚は荷を背負ったままぶるぶる震えるばかりだ。
怒声の主は、浴衣に派手な丹前を肩に掛けた巨漢である。大きな身体をいっそう大きく見せるように両足を開いて腹を突き出している。
大男には乾分らしき着物姿の男が二人従っている。一人は小柄だがでっぷりと太り、もう一人は痩せた長身の男で、長い刀を背負っている。横綱の土俵入りというには大袈裟だが、露払いと太刀持ちを気取っているのかもしれない。
「しかし、期限を二度も延ばされては……」
老人のあらがう声に、太った小男が匕首を抜いて老人の首筋に当てた。
「だからもうちょっと待てば、払うって言ってるだろう」
「本当に払っていただけるんでしょうか」
「なんだと」
小男が血走った目で首筋に当てた匕首に力を込めた。老人の皺くちゃの首筋にわずかに血が滲んだ。
その時風を切って何かが飛んだ。
「うっ!」
男の手から匕首が落ち、痛みに苦悶の表情をみせた。男の腕には小柄(こづか)が刺さっていた。慶次郎がとっさに投げたのである。
慶次郎は松風から降り、群衆のなかへ分け入った。
「老人相手に無体なことはせぬがよい」
大男がぎろっと慶次郎を睨んだ。
「お侍さん、余計な口出しすると怪我するぜ」
大男が毒づきながら前に出て肩をいからせた。
「いくら侍とはいえ、無腰の俺たちを斬ったらまずいだろう」
大男の声に勢いづいた乾分たちも、懐に呑んだ匕首を出して身構えた。
「おとなしく引き下がれば斬りはせぬ」
慶次郎が首を振った。
「面白れえ。引き下がらなかったらどうするってんだ、この爺い」
勢い込んだ破落戸(ごろつき)が慶次郎に詰め寄ろうとしたとき、
「役人だ!」
遠くで叫ぶ声がした。
とたんに破落戸どもは顔を見合わせ、その場から足早に逃げていった。
「あーあ、伊達の頃は良かったぜ。芋侍が来てから碌なことがねえ」
「まったくで。上杉が貧乏神まで連れてきやがった」
逃げる際にも口汚く罵るのを忘れなかった。
ほどなくして奉行所の役人数名が駆けつけたが、破落戸たちを追いかけはせず、老人から二言三言聞き取りを行っただけだった。
その様子を遠巻きに見ていた町人たちから、失望のため息と舌打ちが漏れた。
「あいつらの言う通り、殿様が代わっても何もいいことがねえな」
「本当だぜ。領地が削られたくせに一人も暇を出さないもんだから、家来衆も貧乏人ばっかりだしよ」
明らかな当てつけにもかかわらず、役人たちは聞こえないふりをして早々に引き上げた。その場に居合わせた上杉家の藩士たちも、ばつが悪そうに早足に立ち去った。
口さがない町人たちの陰口を耳にしながら、慶次郎は大男がどこから来たものなのか気になった。
出羽国米沢は伊達氏が三代にわたって居住した城下町で、戦国武将として名高い独眼竜政宗が生まれたのも米沢である。
しかし天正十八(一五九〇)年、天下人となった豊臣秀吉の命により伊達氏は陸奥国岩出山に移封された。世にいう奥州仕置である。代わって米沢に入府したのが蒲生氏で、さらに短い期間に蒲生氏から上杉氏に移った。
伊達家の家臣の多くは主君に従い岩出山に移ったが、土豪のなかには米沢に留まったものも少なくない。大男はその土着した一族の者のようだった。
(つづく)
◆<戦国きっての傾奇者>と呼ばれた前田慶次が、晩年を過ごした米沢での暮らしぶりを描いた小説です。親友である上杉家家老の直江兼続との交流や、老いてなお盛んな慶次の活躍を綴っていきます。
↓第一話、第二話はこちら