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<小説>半夏生(はんげしょう)の男⑥ ~前田慶次米沢日記~

    六
 呉服屋の前に反物が何枚も放り投げられ、店先の水たまりに落ちた。女たちの悲鳴が上がる。もはや売り物にはならないからだ。
 店から出てきたのは案の定、澤ノ岩と乾分たちである。今日は牢人らしき用心棒もついている。
「明日また来るぜ。そのときまでにみかじめ料を用意しときな」
 店の主人は澤ノ岩の脅し文句をただ震えて聞くばかりだ。
「てめえら、見世物じゃねえ!」
 小柄で太った乾分が吠えると、見物人の輪が潮がさっと引いた。そのため慶次郎が自然に前に出る格好になった。
 慶次郎は大脇差に手をかけて仁王立ちになった。相手になるという意思表示である。その姿を認めた牢人が前に進み出た。
「ご老人、怪我をしたくなければ関りを持たぬことだ」
 牢人が押し殺した声で言った。
「年寄り相手の喧嘩に、尻尾を巻いて逃げるつもりか」
 慶次郎が言うと、牢人の顔からさっと血の気が引いた。目に凶暴な光が宿った。これまで何人も人を斬ったことがある目である。
 さっと険しい空気が流れ、町人たちはさらに遠巻きになって息を呑んだ。
牢人が柄に手をかけたまま、身を低くしてすり足で間合いを詰めてきた。その間約二間(三・六メートル)。
「居合か」
 牢人の刀は三尺近い大刀、慶次郎は一尺八寸五分の大脇差である。尋常な立ち合いなら、明らかに慶次郎が不利だった。
 だが慶次郎は無造作に歩を進め、牢人の間合いに入った。皆がはっと息を呑む刹那、牢人の右手がすばやく動いた。
 白刃が煌めき、誰もが慶次郎が抜き打ちに斬られたと思った。だがそれよりわずかに早く、慶次郎が大脇差を抜き放っていた。
 牢人がうめき声をあげて刀を落とした。右手首から鮮血がほとばしっている。
 牢人は血が滴る手首を押さえ、がっくりと膝をついた。思いのほか深傷(ふかで)だった。
 慶次郎が剣を交えるのは長谷堂城の合戦以来である。だが身のこなしは存外錆びついていない。
「この野郎!」
 太った乾分が顔を真っ赤にして懐から匕首を出して身構えた。先日慶次郎が投げた小柄が刺さった腕にはさらしが巻かれている。
 もう一人の背が高い男は、背中の長刀を澤ノ岩に渡した。
 慶次郎は安堵した。いくら乱暴狼藉をはたらいているとはいえ、無腰の者を斬り捨てるのは気分が悪い。斬りかかってくれたほうが遠慮なく相手ができる。
 澤ノ岩は長い刀を鞘から抜いたが、とてもすらりとは言い難く途中でつっかえた。刃長は優に三尺二寸はある。
「爺い、くたばりやがれ!」
 怒声とともにすさまじい太刀風が起こった。澤ノ岩が横を向いたまま不意討ちに刀を振り回したのである。慶次郎はすばやく屈んで刃をかわした。
 続けて突きが襲ったが、慶次郎はわずかに左足を引いてやり過ごした。完全に見切っている。
 だが澤ノ岩は力任せに刀を振り回すだけのように見えて、連続した攻撃はなかなか鋭い。並みの武士なら長い腕と長刀のせいで、間合いを詰めることも難しい筈だ。侮っているとなかなか手ごわい相手である。
 澤ノ岩が上段にふりかぶって真っ向から斬り下ろすと、きんと鋭い音が響いた。慶次郎が左手に持った扇で受け止めたのである。
 ただの扇ではない。薄い鋼を幾重にも重ねた鉄扇である。なまじの剣なら歯こぼれがするほどの硬さと粘りを兼ね備えている。とはいえ全力で振り下ろされた刀を片手で受け止めたのだから、膂力によほど自信がなければ出来る芸当ではない。
 慶次郎の顔に思わず笑みがこぼれた。力がいささかも衰えていないことに満足したのである。
「この野郎、ふざけた真似を」
 澤ノ岩の目が怒りでさらに吊り上がった。
 怒りに任せて澤ノ岩がふたたび刀を振り下ろそうとしたとき、慶次郎は右足を軸にくるりと身を反転させ懐に入った。
 慌てた澤ノ岩が切先を返そうとした。
 だが慶次郎にはその動きがはっきりと見えた。左手に持った鉄扇で澤ノ岩の刀の棟を押さえると、隙だらけになった首筋を右手の大脇差で逆袈裟に斬り上げた。
 次の瞬間、澤ノ岩の胴から首が飛んだ。首の付け根から血が噴き出し、主を失った胴がつんのめって真後ろに倒れた。
 あまりの早業に、二人の乾分は何が起きたかわからない様子だった。
「野郎!」
 それでも気を取り直すと、震える手で懸命に匕首を向けてくる。
 ぎろりと睨んだ慶次郎の目には、火を噴くような殺気が漲っていた。
「首のない男に今さら果たす義理などあるまい。命を粗末にしたくなければ去れ」
 我にかえった乾分どもは刀を放り投げて一目散に逃げ出した。手首を斬られた牢人もいつの間にか消えていた。

 一部始終を見ていた町人に頼み、奉行所まで走ってもらった。
 駆け付けた若い同心は慶次郎の顔を見て驚愕した。
「こ、これは前田様……」
 慶次郎には見覚えがないが、慶次郎の名は藩内に轟いている。
「長谷堂城の戦いの折に最上軍の追撃をみごと退けなさったというご武勇は、我らも繰り返し伺っております」
 若い同心は頬を紅潮させながら感激の面持ちで言った。同心は島貫甚三郎と名乗った。
「申し訳ございませぬが、奉行所までご同行お願いつかまつります」
 島貫同心は頭をこすりつけんばかりに平身低頭した。役目に誠意をもってあたる若者を慶次郎は好もしく思った。          (つづく)


◆<戦国きっての傾奇者>と呼ばれた前田慶次が、晩年を過ごした米沢での暮らしぶりを描いた小説です。親友である上杉家家老の直江兼続との交流や、老いてなお盛んな慶次の活躍を綴っていきます。

↓第一話、第二話、第三話、第四話、第五話はこちら


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