【主婦勉!】神社のあれこれについて知りたい~熊野編③~
さて、熊野編③まで来ました。
熊野編①では神武東征について
熊野編②では熊野本宮/速玉大社について
をざっと駆け足で見ていった。
つうか神武東征わかんないと
熊野理解できないと思ってたけど、
全然そうでもなかったね笑
まぁ知らないよりは
知っていた方がより良いんだろうけど、
なんであんなにも「神武東征!」って
なったんだろ笑
熊野権現ったって、
いきなりゴトビキ岩に
みんなが降りてくるという
ウルトラCみたいな展開だし、
もう神武東征に出てきた人たち、
全然関係なし!って感じしかない笑
今のところ必要だった情報、
八咫烏と高倉下くらいでした。ハハハ。
まぁいいや。
という訳で、熊野三山のラスト、
【熊野那智大社】
と思ったら、ここ、
神武東征が起源だった!
ありがとう那智大社!
そう、神武東征の際、
神武天皇が熊野に上陸した後、
遠くに光輝く山を見つけて、
その山を目指して進んでいった所に
この那智の滝があったと。
※という話は、神武東征調べた時は
華麗にすっ飛ばしました笑
※ちなみに神武天皇は
ゴトビキ岩のところにも
登ったそうです。
で、その滝の中に
大己貴命(=大国主命、以下ぬー様)を
見出したので、
この滝をご神体として祀ったと。
で、その後317年に仁徳天皇が
社殿を設けたのが
今の那智大社の始まりだそうだ。
那智大社自体は
むっすー(イザナミ)を
主祭神としているんだけれど、
別宮である飛瀧神社の主祭神は
ぬー様です。
そしてここのご神体は言わずと知れた
那智の瀧です。
だけどここで「あれ?」って
なりますよね?
那智大社の主祭神は
ぬー様じゃないんだって。
ぬー様じゃなく、
むっすー(イザナミ)なんだと。
これ、いろいろ説はあると思うんだけど、
むっすーの本名は
熊野夫須美大神(フスミノオオカミ)。
夫須美とはフスミ=むす(結)という意味や、
他に産霊(ムスヒ)、つまり生命の根源を
表す女性神のことで、
全ての生命の源である水=滝的なことから
那智大社の主祭神はあくまでむっすーであり、
滝そのものをご神体としている
飛瀧神社の主祭神がぬー様である、という
まとめるとたぶんざっとこんな
理由からなんじゃないかと思います。
で、熊野編②でも書いたけれど、
”熊野権現”とは、
ミミさん&速玉さん&むっすーの三柱。
それにアマ姉とかニニギとかその他の
神々を九柱入れて熊野十二所権現と呼ぶ。
んだが、那智大社はそういうわけで
ぬー様を外す訳にはいかず、
というかもうむしろ
絶対入れないといけないので、
ここだけは熊野十三所権現でやってます。
(やってるっておかしいか…)
ここには「烏石」というのがあって、
これは神武東征で案内役を終えた
八咫烏が石に姿を変えて休んでいる姿、
だと言われているそうだ。
おつかれさま…
また境内にある那智のクスノキは
ご神木であり、
幹の下方が空洞化しているので、
胎内くぐり(有料)として
護摩木を持って願いごとをしながら
くぐり抜けることができる。
私が行った時は雨だったので、
たしか少し水がたまっていて、
濡れないようにくぐったので、
かなり狭く感じたのを覚えている。
そして、神社とは関係ないけれど、
那智大社には、隣接して青岸渡寺が建っている。
かつては如意輪堂と呼ばれていたお寺だ。
インドから来た裸形上人という僧が、
那智の滝で修行を積んだ結果、
その滝壺で如意輪観音を得て、
それを安置したのがお寺の始まりで、
それから後に正式に本堂が建立された。
熊野詣がさらに盛んになった後、
この如意輪堂は西国三十三所の第一番になり、
多くの参拝者がここをスタートとして、
巡礼の旅に出たのだ。
その後明治に入り、神仏習合が廃止になると、
本宮、速玉にもそれぞれあった仏堂は
すべて廃されたが、
この如意輪堂は西国三十三所の第一番だった
ということもあってか、廃寺を免れ、
後に「青岸渡寺」と名をかえ今に至る。
と、三社についていろいろ見てきたところで、
熊野編②で書いた、
・ミミさん=阿弥陀如来=西方極楽浄土
・速玉さん=薬師如来=東方浄瑠璃浄土
・むっすー=千手観音=南方補陀落浄土
これについて少し解説したい。
熊野はかつて黄泉の国と通じていると
信じられてきたそうだ。
人がたやすく近づけない秘境ですしね。
なので、そこに詣でて帰ってくる、
ということはつまり、
”黄泉がえり”=”蘇り”ということで、
この地は"現世の浄土"だと考えられてきた。
そんな浄土にもいろいろあって、
阿弥陀如来がいらっしゃるのが
西方極楽浄土、
薬師如来がいらっしゃるのが、
東方浄瑠璃浄土、
そして千手観音がいらっしゃるのが、
南方補陀落浄土、という訳だ。
太陽は東から昇って西に沈む。
なので、物事の始まり/スタートの地が
東方の薬師如来が住まう浄瑠璃浄土。
薬師如来は東方(過去世)にいる人を救済し、
阿弥陀如来のいる西方極楽浄土に
送り込んでいると言われているそうなので、
そのスタート地点に立っている人は、
過去世から巡り巡ってきた人たちかな?
で、日が沈む西側、
海の向こう側に極楽があって、
そこに阿弥陀如来がいらっしゃる。
現世で救われない人も、
阿弥陀如来にすがれば
来世で必ず救われるとする
「来世利益」のやつですね。
なので、京都の浄瑠璃寺なんかは
池を中心にして
東側に薬師如来、
西側に阿弥陀如来を配して
いるらしい。
※仏教素人のちょい調べなので、
情報が雑ですみません。
ふんわりイメージわかればって感じです。
そして南方には、
千手観音が住んでいる補陀落浄土がある。
那智の滝から流れ落ちてきたしぶきは、
そのまま那智川へと姿を変え、
まもなく那智湾へと流れ込む。
そしてその遙か南方、海の先が、
補陀落浄土だと考えられていたらしい。
かつてはその那智湾、那智の浜の先から
補陀落浄土を目指す”補陀落渡海”
という宗教儀礼というか捨身業?が
行われていて、
実際に大勢の僧侶が
小舟に乗って太平洋へと旅立っていった。
その出発点になっていたのが、
補陀落山寺なんだが、
あれ?
那智=千手観音=補陀落の話してるけど、
補陀落渡海と言えば補陀落山寺じゃね?
那智って、直接関係なくね?って、なるよね。
と思って調べたら、
補陀落山寺に隣接する形で
熊野三所大神社(別名:浜の宮大神社)があり、
この神社は那智大社の末社なんだそうだ。
でこの神社の守護寺が補陀落山寺だそうなので、
(神社の守護寺って何ー!?)
結局全部点と点で繋がっているっぽい。
こういう所も熊野の奥深さだと思う。
...って、細かい所時々よくわからないけれど。
補陀落渡海って、
要は扉のない(一度入ると出られない)
部屋がついた小舟に乗って大海に出て
そのまま帰らないという宗教儀式?
要はそのまま沈没したり、
衰弱死する運命、修行、
みたいなことだと思うんだけど、
これって東北とかにある、
即身仏と考え方としては似ているというか、
そういうの思い起こさせるよね…壮絶…
あと話は全然変わるけど、
熊野神社で一つ押さえておきたいのが、
島根県の熊野大社だ。
熊野三山との関係性ははっきりしておらず、
社伝によると、
ここの住人が紀伊国に移住した時に
分霊を勧請したのが
熊野本宮大社のはじめである、
としているそうだが、まぁわからない。
主祭神は簡単に言うとスサノオだ。
ここは火の発祥の神社として知られている。
この神社には「鑚火殿(さんかでん)」という
建物があり、その中に”発火の神器”である、
燧臼(ひきりうす)と燧杵(ひきりきね)が
大切に保管されており、
実際に神事の際には
それを使って火を起こすそうだ。
で、面白いのはここからで、
毎年10月15日に行われる「鑚火祭」の日に、
出雲大社の宮司が、
11月に自社で行われる神事のために
その臼と杵を借りに来る
「亀太夫神事」という儀式があるんだが、
これがまた熊野側がいろいろと難癖をつけて
毎年簡単には貸さない。
臼杵を借りるために
出雲側は神餅をお供えするんだけれど、
熊野側はやれ、色が悪い、形が悪い、
つぶつぶがあるだのなんだのと難癖をつけて、
最後には「作り直して来い」と。
その間出雲側(しかも結構偉い人!)はずっと
低頭のまま。
で、最後に「とはいえ時間もないし、
今日の所は許してやろう。
その代わりいろいろちゃんと
皆のためにお祈りしてよ」と言って、
約束させて(言葉はもっと丁寧です)、
やっと臼杵を貸してくれるんだとか。
おもしろーい!
こういうの、あるんだなぁ。
毎年同じことやってるので、
もはや定型文って感じなんでしょうけど、
たぶんそんなピリピリした感じというよりは、
それなりにお互いわかった上で和やかに、
って感じなんだろうな。
機会があれば一度見てみたい。
という訳で、熊野編、駆け足でしたが、
これにて終了!
情報が多すぎて自分でも
さすがにちょっとわかりづらいかもと
思ってます。ごめんなさい。
※あくまで何者でもない素人主婦の
ちょい調べですので、
間違っているところもあると思います。
ざっとこんな感じかな程度でお楽しみください。
※神様のお名前を略したりしてけしからん、
とかあるかと思いますが、
長い名前による知識吸収の挫折を避けたく
このような形にしています。
悪しからず…