見出し画像

生活逃避「カラマーゾフの兄弟」感想

6年前に一度読み、登場人物の多さに混乱し、なんにも理解できなかったドストエフスキーの「カラマーゾフの兄弟」を再読し終えた。初めて読んだときに混乱の元になったキャラが多すぎるという点が、今回は逆に多ければ多いほど面白いんじゃないかと思えてきて不思議だった。

この小説はカラマーゾフ一家で起こる父親殺しの事件を軸に、その一家の人々と、その周りの人々の破滅と再生が書かれている。登場人物全員が個性的で、それぞれ違った思想と目的を持ち動いている。その結果、父親殺しの事件が起き、その衝撃で自己の本来の思想が露呈し、破滅する人と、人間を取り戻す人とに行く末が決定されていく。

今回読み返す中で、正直物語の展開云々より、事件にぶち当たることで露呈されていくそれぞれの思想、内面描写がめちゃくちゃ面白かった。なのでキャラが多ければ多いほど読み応えが出てきて、どんどん面白くなっていくんじゃないかと思い、ワクワクしていた。

中でも意外に、脇役キャラのカルガーノフという青年が謎に印象に残った。

強くハッキリとした思想を持つキャラや、何も信じてない嘘つき俗物キャラが沢山出てくる中、このカルガーノフはまだ純粋で、どっちにも振れていない中途半端な人間だと思った。

物語の中盤、カルガーノフはミーチャが父親殺しの犯人だと疑われ拘束される騒動に居合わす。ミーチャや、ミーチャの恋人グルーシェニカの人間に好意を抱いていたカルガーノフは、ミーチャが罪人として連行されていく姿をみて、人間と現実のわけのわからなさに嫌になり、生きていたくないと絶望し、子供みたいに両手で顔を覆って泣いてしまう。

耐えがたい複雑な現実に嫌気が差し、子供みたいに泣いてしまいたい気持ちが結構わかってしまって、ちょっと悲しい気持ちになってしまった。

物語の中には、こんな絶望的な現実の上で、永遠を信じ人生を愛している人たちと、その真逆のイワンやフョードルみたいな悪魔を見る無神論者がでてくる。イワンの大審問官のエピソードの後に、ゾシマ長老の兄との思い出話が始まる。

顛末がどうであれ、自分の思想に従って必死に行動しているキャラの方が読んでいて強烈で面白くて感動できた。

カルガーノフは”生活は退屈で、空想しさえいればずっといい”と思って生きている。自分も現実逃避しまくり生きてきてしまったので、せめて現実をみないとなと思った。以上。






いいなと思ったら応援しよう!

この記事が参加している募集