恋愛に興味がないなら、何をしてるの?
恋愛や男女のあれこれに興味がないことを伝えると、「分かるよ」という表情を浮かべ、こんな疑問を投げかけられる。理解しようとするその顔からは明らかな違和感と純粋な興味が滲み出ている。
そもそも自分が恋愛、性愛に関して興味が無いと言うと怪訝な顔をされることもあるから、理解しようとしてくれる人たちは、ありがたい存在だ。
だからこそ、この人たちの「恋愛をしないのだから、なにか凄いことをしているに違いない」への答え探しを無意識に受け入れてしまっている自分もいた。
・自己紹介
本題に入る前に簡単な自己紹介を。
私、れいすいきと申します。
他人に対して恋愛感情を抱くこともなければ、性的に惹かれたなーという経験もない、そんな人生を歩んできました。
性別は男で、20代後半。男性にも女性にも恋愛的な感情で「好き」と思ったことはありません。
そんな私はAセクシャル(アセクシャル、ace)で、おそらくAロマンティック(アロマンティック、aro)だと自分自身を定義しています。
・頭、時間、心を消費するパートナーとの関係構築
そんな自分がこれまで生きてきて、恋愛や結婚などに興味がないと伝えると返ってくる多くの反応が「なぜ?」、そして「じゃあ何をやっているの?」でした。
(なぜ?についてはこの記事で触れています)
頭を使い、時間を使い、そして心もつかう恋愛、パートナーとの関係構築。それをしてないってことは、余分な時間がある。
どうやら異性を好きになって、結婚を希望するヘテロセクシャルの方々はそう考えているようです。
・余分な時間はできていない
しかし、私(Aセク/Aロマ)はヘテロセクシャルから性的指向が「変わった」わけではありません。
なので、「余分な時間ができた!」と喜んだこともありません。
ただ、周りの人たちからの質問と態度からは「恋愛していない分、なにかすごいことをやっているんだろう」という仮説を立て始めているのを感じます。
その期待に沿えないと、もはや「ちゃんとした人」として認められないのではないか。
みんながまん丸の円グラフを描いている中、自分だけ恋愛の要素が"欠けた"円グラフになのか--。
・「恋愛をしていない自分」の正当化を試みる
そう考えて、自分は学生時代は勉強、研究、会社に入ってからは仕事に打ち込むようになりました。
もちろん純粋にそれが打ち込めるものだったというのはあります。
ただ、今振り返るとその熱をよりブーストさせていたのは「恋愛をしていない自分」を正当化させたかった焦燥感があったのかなとも感じます。
みんなが夢中になっている恋愛をしていない自分は「なにか別の"すごい"ことをしていなきゃ」と思っていたんです。
・恋愛でなければ仕事か。
会社に入ってからは、誰から言われたというわけではないのに、こんな言葉が浮かび、時に自分を叱咤、時にこの言葉に落ち込む気持ちになっていました。
意地になって必死に仕事をしました。
職場の周りを見ると、結婚式の参加、出産、育児で休暇をとる人達がいます。
恋愛のその後のライフイベントの多くは休暇が発生します。
対して自分には当たり前ですが、そういった休みは与えられません。
そんな当たり前の休暇制度を目の当たりにして、恋愛をしない自分は仕事人間であろうとし、仕事重視でなくては、と思うようになりました。
当時、自分はAセク、Aロマという言葉は知りませんでした。無意識に「恋愛しないから何か他の凄いことをしている人間」になろうとしていました。
少し前に「ワークライフバランス」という言葉が登場しました。
何かわかりやすく時間を取る趣味などがあれば、ワーク&ライフを主張することもできるでしょう。
ただ自分はアニメを見たり、本を読んだりするだけ。
そんな自分のような存在は職場では家族もなく、人に誇る趣味もないような「ライフ」のない仕事人間として扱われ、バランスを欠いた「ワークライフ」のみが期待されているように感じていました。
・焦燥感も使命感も消してくれた、ある出会い
そんな呪縛をほどいてくれたのが、Aセク、Aロマという単語との出会いでした。
ずっと抱いていた「なにか凄いことをしなくてはいけない」という謎の使命感と「恋愛しなくてもみんなに納得してもらえる人間に、何者かにならなくては」という焦燥感。
それも自分が何者か、ピッタリくるアセクシャルという名前を知ったことで焦りも使命も消えていきました。このままでいいんだ、と。
・アセクシャルは「人生の過ごし方」ではない
恋愛をしない、誰にも性的に惹かれないからといって、何か凄いことをしている必要はありません。なぜならそれは性的指向だからです。どう暮らしたいかという人生の過ごし方ではなく、何が好きか嫌いかという問題だからです。
プロ野球好きの人がプロ野球を見ない人に「プロ野球見ないの? じゃあ試合中継の時の3時間は何をやっているの?」と聞きますか?、聞きませんよね。
「プロ野球見ないなんて人生、損をしている」と言われることはあるかもしれませんが、プロ野球を見ていないからといって、凄いことをしていなくてはいけないということはないと思います。
・「何も特別なことはしていません」
時間は等しく与えられているのに、アセクシャルの人は恋愛、性愛の悩みを持たず、なにか特別なことをやっているのではないか。
ここまで読んだ人には分かってもらえると思うのですが、その答えは「何も特別なことはしていません」ということになると思います。
ヘテロセクシャルの方々が恋愛や性愛に悩むように、アセクシャルは自分は本当に恋愛、性愛に興味無いのかと自問自答したり、周りからそれらを押し付けられどうしようと悩んだりしています。
これは想像でしかないのですが、「恋愛しないなら何をしているの?」の答えを一つあえて挙げるとしたら、恋愛をしないからこそ出てくるあれやこれやの苦しみ、悩みに時間が取られているのではないでしょうか。
・この質問は比較を前提としている
今まで何かしてると言わなきゃと思っていた「何をしているの?」にも今では、胸を張って「特に何もしていません」と言えるようになりました(胸を張るものでもないですが)。
もし同じような疑問を投げかけられて、ヘテロセクシャルのライフスタイルに比べて不足や劣り、焦りを感じ答えを探し続ける人に伝えたいです。
「何も特別なことはしていません」
それでいいじゃないですか。
相手があくまで比較だけで理解しようとするなら、その答えだけ出しておけばいいと思うんです。