愛するということ|エーリッヒ・フロム,鈴木晶

17歳の頃に出逢ったこの本は、今も世界を広げ続けている。一年の始まる頃に一度は読むよう心がけ、その時々の様々な温度を感じながら、長い時間を費やしている。


原題は “The Art of Loving”
それは、人が取得出来る一つの技術。
取得が出来るとは、決して偶然や運命ではなく、また落ちるものでもなく、知と意志、勇気を以て踏み込む、信念の行為と論じている。



いつからか自己と他者の「ありのまま」を見つめ続けていた。それがどこからやってきているもので、どこへ向かおうとしているのか。観念的で長らく答えが出ないままでいた。
いつしか「ありのまま」が、たった一つのかけがえのない実存であると気づきを得たのは、心を開き思考を広げられたからだった。この小さな本が過程で担った部分は、非常に大きいように思う。


実存とは「自己がこの現在に存在する」こと、
実存哲学とは「自己/個人」の人生や存在、価値、選択に焦点をあてること、が一般的な意味合いとされる。
実存しているから、個人として存在しているからこそ、他者の全てを理解することや、自らの全てを理解してもらうことは出来ない。だけれども、だからこそ、それは等身大といえるのだと思う。
それならば最も考えるべきは「いかに同調し合える部分を見つけ、それを認め合うか」
ではないと思う。



踏み込むことで他者の中に何かが生まれる。生まれたものが自分に跳ね返り、互いに繰り返し、相互に芽生えていくような、心が育っていくような連鎖をする。
そのようにして、自己は自己としながらも、個人と全体性とを保ったまま、互いの尊重の上に成り立つものこそが、愛の本質ではないだろうか。
それは決して集団同調の中には見出せず、考えることを止めてしまったらもうその先は無いものだから、時に苦しいともいえる過程なのかもしれない。だからこそフロムは、愛とは技術であり、修練の必要があると説いたのではないか、と考えている。



このようにして、どこかで途切れてしまう側面を持つ、終わりのない問いをしている。思考や自己解釈は時間を経ると変化しているし、出逢う人や言葉、得た知識の数だけそれはあるから、これからも追求は続いていく。約束と同じ、易しいことではない。それをするのには、初めて読んだあの時から、今なお最もな関心事であるから。そして日々を過ごす中で、一人でいても、一人ではなかったと、心を感じられるあたたかな瞬間があったから。だから心を尽くしたい。


最後に、刺さり続けているのか、刺し続けているのか。留めている言葉の記録をする。

ある価値を、これがいちばん大事なものだと判断して、思い切ってジャンプし、その価値に全てを賭ける勇気である。

エーリッヒ・フロム著 鈴木晶訳
“愛するということ 新訳版” 188頁


なんの保証もないのに行動を起こすことであり、こちらが愛せばきっと相手の心にも愛が生まれるだろうという希望に、全面的に自分をゆだねることである。愛とは信念の行為であり、わずかな信念しかもっていない人は、わずかしか愛することができない。

エーリッヒ・フロム著 鈴木晶訳
“愛するということ 新訳版” 190頁

2025/01/05

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