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『ぺツェッティーノ』を声に出して読んでみる

だんだんと陽が落ちて来た今
私はとても落ち着いていて
ゆっくり息ができているのですが

ほんの数時間前までは
職場で誰にもわからないであろう
緊張を心いっぱいに溜めていました

息が詰まるって、そうそうこういうやつ…
って久しぶりに体験してしまい、落ち込み気味で帰って来たのだけれど
何かシンプルなものに触れたくて
自分の本棚にある『ぺツェッティーノ』を開きました

この絵本はレオ・レオニの物語で
数年前私の敬愛する方から勧められて買ったもの
それ以来しまわれっぱなしだったのですが
今日手にとってみました
そして初めて「声に出して」読んでみました

すると、始めからなんだかうるっと来てしまう…
語りかけるように読んでいると
まるで懐かしい誰かが私のために読み聞かせをしてくれているみたいで
自分の中にいる小さな子どもがよみがえるような心地がしました

ぼくは誰かの”ぶぶんひん”だと信じてやまないぺツェッティーノは
いろんな人に聞いてみるんだけれど
みんな「欠けた部分があったら今の自分じゃないよ」と言う

最後に、こなごなじまに行くように勧められると
そこで自分がバラバラになる経験をします
そして”ぼくもたくさんの部分からできた立派なぼくなんだ!”
と気づいて急いで家に帰るのです

この物語を読んで初めて目に留まったところがありました


喜んで帰ってくるぼくをみんなが迎えてくれるのだけど
実は彼が喜んでいる理由を知らなかった

なんのことか、よくわからなかったけれど
「ぺツェッティーノが うれしそうだから
みんなも うれしかったのさ。」
という終わり方になんだかほっとしたのです

「その人にはその人なりの悩み方があって
それを分かろう、分かろうとすることが愛です」
この絵本を勧めてくれた人が仰ったことがある

人知れず悩んでいる誰かの顔が
どこかスッキリしたなと感じた時
きっと何かいいことがあったんだなと
いっしょに喜べる人でありたいなと思いました

私は欠けだらけで
新しい職場環境の中で不安や恐れがたくさんあるけれど
みなそれぞれの歪さを持っているのだし
私は私なんだ!と安心して
今与えられていることを大切に過ごしていきたいな

この私で、まるっと私です。



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