”わたしの好きなこと。なんだろう?” 好きなことがわからなくなって小さい頃まで振り返っていたら、 ピッピがひょっこり顔を出してきた。 そう、あの長くつ下のピッピ。 スウェーデンが当時の西ドイツと共同で製作したテレビシリーズがあって 子供の頃NHKで放送されていた。 それをビデオに録画しておいて擦り切れるほど繰り返し観ていた。 愉快でたのしくて、ただそれだけ。 当時ピッピがスウェーデンが舞台だなんでまるで意識していなかったけど あの時目に焼き付けていた風景が急に懐かしくな
田辺さん(ぼる塾)見ると適度に力が抜けていい感じになれる。ありがとう田辺さん!!
またもや弥太郎さんシリーズ。 改めて、弥太郎さんの文章は読んでいる感じがしなくてふしぎ。 自分なりの暮らしのルールを持っておくといいよ、といろんなかたちで教えてくださる弥太郎さん。 今日読んだエッセイから、お金の使い方について考えたことを書いておきたい。 結婚してから、お金の使い方が本当に変わった(変わってしまった、とも時々思う)。 服や遊びなど、自分のためだけに使うことはほとんどなくなった。 自分の収入で自分の計画や欲求のためにお金を使う生活から、 退職・結婚して夫
弥太郎さんがゲストに出演したラジオを聴いてみたら、語り口とか日々見つめている方向とか、懐かしくなってきた。 一時期、インスタで連載していた弥太郎さんの投稿を楽しみにしていた。 言葉に棘がなくて聞きやすく、 文章を読んでいるのに弥太郎さんが話しているように感じていた。 タイトルは東京経済だからか堅いんだけど、 これまでぽつぽつと書いてきたエッセイ的なものたちの出どころが言語化されていてすごくうれしかった。 ラジオでも話しておられたんだけど、 日々過ごす中で見つける「秘密」
結婚に伴う退職、引越しをして3週間。 やっと疲れが出てきた。 というか、身体が「疲れてるよサイン」を出してきた。 けっこう痛くてきついんだけど、 私にとっては必要なことなんだろうなと思っています。 ああ、私こうだったなあ。 疲れていても休めないから、身体が教えてくれる体質だった。 身体に出てしまうのが嫌で、 (結局周りに迷惑かけるから) なんでその前に気づいてあげられないんだろう ケアしてあげられないんだろう と自分をよく責めていた。 今は生活が変わったせいもあって、
図書館で偶然、この本を手に取った。 見つけたときの感動といったらすごかった。 開いただけで、あの空気を感じられるようだった。 私の記憶はもうほとんど幻想のようで、現実味はなくなっているのかもしれないと、ふと思うことがある。 帰ってきてからしばらくして振り返る風景や出会いは、どこか美化されていて、そのままの姿を留めてはいないのかもしれないと。 ページと共にその土地を巡りながら、全く同じとは言えないまでも、東山魁夷と同じ空気を味わっていると感じられ、彼が見た風景と私の記憶が
“子どもに自分のことは自分でさせる…のは、子どもに「あなたを信頼しています」というメッセージ。 -朴沙羅「生活の練習」p.102 マリア先生、私も教育して!
自分の経験を振り返ってみた。 確かに、 誰かに心を開くには自分の脆さを認める段階があって、弱さを隠したい欲を下から潜るようにして初めて、心を通わせることができると思う。 この幸福は、若松さんの言う通り、悲しみの経験から始まる。 悲しみは”哀しみ”であり”愛しみ”。 日本人の心には、かなしみの感性と言えるようなものが息づいている。 私にも深い海の底に静かに沈んでいることしかできなかった時間があったけど、 このかなしみが見せてくれた景色があったことを、心の世界に信じられない
司書という職業がもっと専門職として認められるようになったらいいのに…と思う。 と同時に、私が日々専門性を磨いていかなければいけないなとも思うのです。 変化スピードの速い時代にあって、図書館という知識の蓄積の場を守り続ける司書は大切な存在なのです…!
だんだんと陽が落ちて来た今 私はとても落ち着いていて ゆっくり息ができているのですが ほんの数時間前までは 職場で誰にもわからないであろう 緊張を心いっぱいに溜めていました 息が詰まるって、そうそうこういうやつ… って久しぶりに体験してしまい、落ち込み気味で帰って来たのだけれど 何かシンプルなものに触れたくて 自分の本棚にある『ぺツェッティーノ』を開きました この絵本はレオ・レオニの物語で 数年前私の敬愛する方から勧められて買ったもの それ以来しまわれっぱなしだったので
こんばんは。 仕事から帰ってこうしてPCの前にいるというのに、 まだ空が明るくて、窓からは気持ちのよい風が入ってきています。 春ですね。 今朝仕事に向かう車の中で、 今までどうしても直し方の分からないものをいとも簡単に直せてしまいました。 車の時計設定です。笑 そんなに新しい車ではないので簡単なんだろうけど、 説明書読むのも検索するのも面倒で、 ずっとナビの時計を頼りにしてきたこの数年間。 あまりにも簡単すぎてびっくりしてしまいました。 . . . 数年間のモヤモヤ
1日の仕事を終え、家に着いて おなかの調子がいまいちだから簡単にご飯をすませて シャワーを浴びてから今年は最初で最後になるだろうスイカをいただく 「よし、これから司書の勉強するか」と自分の部屋に来たら 静かで、少しひんやりした空気を感じる すると外で鳴いているスズムシの声が聞こえてきて もっと鮮明に聴きたくて窓を開けてみる ・ ・ ・ しずかな秋の夜が好きで、大好きで、 心がすーっと広がるような豊かさを感じています みなさんは今日、どんなしあわせ感じましたか?
このまえ友だちと電話していて、 明日のためのシュミレーションを頭の中でついやってしまうという話で盛り上がった。 私も友人もことばで深く傷ついた経験があって、それがために人に語りかけることばにはとても気を遣っている。 「○○(私)はことばを選んで話すよね」と言われたことも。 この慎重さは相手を傷つけることを避けられるし、お互いにいいことだから大事にしていたいな~とぼんやり思っていた。 シュミレーションしてしまうのはいろんな理由があるけれど、ある程度状況を予想しておくと、相
あたしんちを観ていて、母や姉に抑圧されている(?)ゆずぴに共感する~的なことを弟妹から言われる私。 一番上の重圧やいろんな気疲れを話してもどうせ僻みにしか聞こえないんだろうなー。 私はこんなにやってる!って言ったところで、そんなの誰が頼んだ?って返されたらもう言葉がない。しゅん。
今日職場で、同僚がある人に対して言った言葉に動揺してしまった。 "病気ですよね、あの人(笑)" おそらく同僚はなんの意識もせずに口にしたのだと思うし、深い意味はないのかもしれない。 私もその人の行動には問題があると思っていたけれど、 その瞬間空気が凍ったというか、本人でもないのに私がショックを受けてしまった。 マスクに半分覆われた顔で同僚の言葉を適当に流そうとしても、自分の目が笑っていないのを感じた。 ・ ・ 苦しい体験や、その時期を支えてくれた人たちから学んだことは
感情のクリーンアップ、できてるだろうか? https://studyhacker.net/hsp-note たくさんの情報を日々受け取っているのに、吐き出すことは意識してやらないとできないから不思議。 新しい日常に突入している今、ちょこちょこやっていこう。