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その後のカタツムリ① (冬のカミーノ・番外編)

2019年の12月。初めての冬の巡礼を終え、レオンを発ってマドリッドに戻る日の朝──。キムさんやロベルトや、この先も旅を続ける仲間たちのために、励ましの演奏をしたいと、Miwakoが言い出した。

彼女の思いつきには、これまで何度も痛い目に遭ってきたが、今回はなかなか良い考えだと思えた。早起きは何より苦手だったけれど、早朝のサプライズ演奏に、私も付き合うことにした。
巡礼宿のチェックアウトタイムは朝8時。私たちは宿の前で、みんなが出てくるのを待ったが、一向に誰も出てこない。

真冬のレオンはまだ夜が明ける前で、旧市街は闇に包まれ静まり返っていた。ここでアルトサックスを吹き鳴らそうものなら、住民から苦情の嵐となりそうだった。厚手のダウンを着込んでも震えるほど寒く、おまけに雨まで降ってきた。
仕方がない。カテドラル前のアーケードで、演奏しながらみんなが通るのを待つねとMiwakoは言った。

思えばこの1週間──カタツムリのごとくゆっくり歩くMiwakoを旅の相棒に選んでしまった私は、たびたび不機嫌になったり舌打ちしたりの連続だった。しかし最終的には、通常なかなか得られない「人間的成長」を手にして、彼女には感謝しかなかった。幼なじみというのは、やはり有り難いものだ。

※その詳細については、冬のカミーノ本編をお読みください。

そんな日々が今日で終わったことに、私は正直ホッとしてもいた。冷たい雨の中での待ちぼうけや、巡礼道を力尽きるまで全力疾走なども、今となっては懐かしい思い出だ。

Miwakoにしては急ぎ足で、カテドラルに向かう後ろ姿を見送ったあと、私はしばし感慨にふけりながらそぞろ歩き、ふと手元の市街地マップに目を落として、大変なことに気がついた。

巡礼宿から、レオンの旧市街の門を出るまで、カテドラルは通らないのだ。立ち寄ろうとすると、かなり遠回りになる。

もちろん、正式な巡礼道はカテドラル前を通っているのだが、たいていの巡礼者は、昨日のうちに礼拝を済ませている。カテドラルには寄らず、最短コースで門を出るに違いない。最後にもう一度カテドラルを拝んで……というのは大いに考えられるが、辺りはまだ暗く、しかもこの雨の中ではどうだろう?

巡礼を終えた今、私は丈夫な防水のトレッキングシューズから、町歩き用のスニーカーに履き替えていた。4年前、アヤちゃんと取材で訪れたザルツブルクで買った、お気に入りの革製スニーカーで、私はどこに行くにもこれを愛用していた。

雨は激しさを増していたが、事態は一刻を争う。靴を履き替えにホテルに戻る時間はない。私は迷わずそのまま、旧市街の門めざして駆け出した。どうか途中で、キムさんとロベルトに出会えますように……と祈りながら全力で走った。たしか数日前、同じようなことがあったなと、デジャヴとかカルマという言葉が頭をかすめたが、要は「まだ巡礼は終わっていない」ということなのだ。

道すがら何人もの巡礼者を追い抜き、旧市街の門の前でもしばらく待ったが、キムさんとロベルトを見つけることはできなかった。時計の針は9時を回り、街を出る巡礼者たちのラッシュアワーは終わっていた。彼らはうんと朝早く出発したのかもしれない……諦めて、私はカテドラルに向かうことにした。二人が来ると信じて演奏し続けているMiwakoを思うと、心が痛んだ。

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事の顛末を話すと、Miwakoはもちろんガッカリしていたが、それでも大好きなカテドラルの前で最後に演奏できて、悔いはなさそうだった。立ち止まって耳を傾けてくれた巡礼者も、たくさんいたという。今日この街を発つすべての巡礼者のために、そして私たちを温かく迎えてくれたこの街のために、Miwakoは演奏したことになる。

まだ降り続く雨の中、私たちは一杯のコーヒーを求めて、目についたカフェの扉を開けた。そこに──キムさんとロベルトが居た。二人の甘党男子は、レオンを発つギリギリまで、大都会でしか味わえないスイーツを堪能していたのだ。「プルポのピザ事件」以来、まさに奇跡の再会だった。私たちは喜んで彼らの饗宴に加わり、お互いの旅の無事を祈ったのだった。

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こうして嬉しい奇跡で幕を閉じた、私たちの冬のカミーノ巡礼だったが──水溜まりだらけの雨の街を、なりふり構わず1時間以上走り回った結果、私の革のスニーカーは、水に浸かってすっかりダメになっていた。それは私にとって、とても悲しいことだった。

4年も履き古して、そろそろ寿命だったとも言えるが、何しろ私の会社員時代で最後の海外出張、その最終日に出合った品である。これから先の人生がどう転がってゆくのか、まだなんの保証もなく、私はサイコロを振るような気持ちで靴を買ったのだった。
「新しい靴は、新しい場所に連れて行ってくれる」という言葉通り、その後作家として独立した私は、日本や世界のいろいろな場所をこのスニーカーと共に巡った。

「また、買えばいいんですよ」と、現実的で有能な秘書であるアヤちゃんの声が聞こえた気がした。そう、その通りだ。訪れるべき新しい場所が、そして新しい経験が、きっと待っているということなのだろう。

大げさなようだが、私にとってまたひとつの時代が終わった──そんな気がしていた。

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私とMiwakoはその後、レオンから特急列車でマドリッドへ。それからフィンエアで日本に帰国……したことになっているが、白状すると、実はストップオーバーでヘルシンキに一泊し、巡礼者にあるまじき贅沢な時間を過ごしたのだった。

ヘルシンキで一番高級なホテルに泊まり、本場のクリスマスマーケットを見物し、本場のフィンランドサウナで歩き疲れた足を温めた。昨日までは清貧なる巡礼者だったMiwakoは今や、ホテルの贅沢なカウチに寝そべり、ウェルカムチョコレートをつまんでいた。その豹変ぶりは驚くべきものだった。そういえば、彼女はもともとお嬢様だったということを私は思い出した。

知る人ぞ知るフィンランドのブランドLUMIで、私はバッグを新調したいと思っていた。お買い物には興味のないMiwakoも付き合ってくれたが、結局、新しいバッグを手に入れたのはMiwakoだった。長年封印されていた物欲が解き放たれた瞬間を、私は目の当たりにしている気分だった。

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巡礼の旅は、人の魂を癒し、新たな自分に出会うことになる……というのは、かつて私が本に書いたことだが、あながち嘘ではなかったようだ。Miwakoはあらゆる意味で生まれ変わり、音楽家として新たな地平をめざすことになるのだ。そしてあわよくば私もそれにあやかりたいと、心密かに思った。

あと残すところ200km。次回の旅でレオン〜サリア間を歩けば、Miwakoはカミーノ全800kmを、楽器を背負って踏破したことになる。出発日は、年明けの3月18日と決まった。

カミーノを一気に踏破するには40日間ほどかかるのだが、連日ライブの予定が詰まっているMiwakoにとってそれは難しい。そこで5月、9月、12月、翌3月〜4月と分割して歩き、聖地サンティアゴにゴールする……という計画を立てたのだ。

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奇しくもオリンピックを翌年に控えているということで、私はこのチャレンジを「みわりんピック」と名付けていた。誰よりも足が遅く苦しそうに歩いていたMiwakoが、熊野古道を見事踏破し、さらに姉妹道であるカミーノに挑戦することになるとは、仲間の誰も想像していなかった。

🎦 初めての熊野古道歩きでの、Miwakoの苦しそうな様子(熊野古道女子部 公式チャンネル より)

まさにオリンピック級の無謀なチャレンジといえたが、Miwakoは地道なトレーニングとダイエットで体重を10キロ以上落とし、この企画に人生を賭けているのが感じられた。そんなMiwakoを、熊野古道女子部の仲間たちや、熊野の地元和歌山の皆さん、故郷の富山の同級生や支援者、そして全国のMiwakoファンなど、たくさんの人が応援していた。

私はというと、ここまで関わったら、もう後には引けない……というのが正直なところだった。Miwakoがこんなに歩くのが遅いとは思いもせずに、熊野古道女子部に誘ってしまった責任もある。そしてそもそも、彼女は私の恩人だった。30年ぶりに再会した幼なじみが、音楽家として活躍している姿は、作家として独立したいと思っていた私の背中を押してくれたのだ。

出版社を辞めた私は、2016年の春、アヤちゃんや井島カメラマンや鳥居さんと共にカミーノを歩き、『スペイン サンティアゴ巡礼の道 聖地をめざす旅』を出版した。こんな巡礼の旅は、一生に一度のことだと思っていたが……

サンティアゴ大聖堂前での、「また、来ればいいんですよ」というアヤちゃんの呪文のような言葉通り、私はMiwakoと共に、また最初から巡礼をくり返すことになった。
『星の巡礼』のパウロ・コエーリョのような旅をしているつもりだったのに、いつの間にか、パウロを案内するペトラス的な立場に投げ込まれていたのだ。舌打ちばかりしている私は、賢者ペトラスとは程遠いというのに……まったく想定外の展開だった。

四半世紀近くもの間、私は出版社で書籍の編集者をしていた。平たく言うと、心を込めて著者のお世話をする仕事だ。今度は自分がお世話をされる立場になりたくて、作家になったはずなのに……

気がつけば、また人のお世話をかって出ている(そしてまたブツブツ文句を言っている)。これは私のカルマなのだろうか? それとも前世からの約束なのか? いやいやそんなことは、私にとってこれで4度目になるサンティアゴまでの旅を終え、Miwakoのよみがえりを目にしてから、ゆっくり考えればいいのだ。

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2020年の3月18日。私たちがスペインに旅立つことはなかった。全世界が動きを止め、私たちの知らない物語が始まろうとしていた。

その後のカタツムリ② に続く)

『スペイン サンティアゴ巡礼の道 新装版』 髙森玲子著(実業之日本社刊)

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旅日記エッセイ「冬のカミーノ」の本編は、こちらの書籍に掲載しています。またnoteバージョンも無料公開中です。

その後のカタツムリ② に続く)

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