【急に具合が悪くなる】いつ死んでも悔いは残る人生
哲学者の宮野真生子さんと、人類学者の磯野真穂さんの著書「急に具合が悪くなる」は、病や治療、人生、死などを題材に2人が交わした往復書簡をまとめた1冊だ。
宮野さんは、医師から「急に具合が悪くなるかもしれない」と言われる。
「念のため、ホスピスを探しておくように」と勧められ、「死」について考えざるをえなくなる。
「死はたしかにやってくる。しかし今ではないのだ」
哲学者ハイデガーは、「存在と時間」のなかでこう語っているという。
医師から「急に具合が悪くなるかもしれない」と告げられる前の宮野さんにとって、「死」は、このハイデガーの言葉のとおりのものだった。
しかし、ホスピス探しを始めて、宮野さんは気がつき、次のように書いている。
私は、この宮野さんの指摘を読んで、90代半ばを過ぎた祖母の言葉を思い出した。
岡山市内で近所の方やヘルパーさんに支えられながら独り暮らしをしていた祖母から、東京で暮らす私に、ある時突然、電話がかかってきた。
特に用事があったわけではなく、互いに近況について話した後、
祖母は吐露するように言った。
「まだ、死にとぉーないんじゃ」
唐突に放たれたその言葉に、私はどう返したらいいのか分からなかった。
それからしばらくして、祖母は亡くなった。
私に電話を掛けてきた時に、何か予感のようなものがあったのかもしれないが、それを確認する術はない。ただ、「まだ、死にたくない」というのは、その時の祖母の本音だったと思う。
「いつ死んでも悔いがないように」という言葉について考えると、
生きていることに価値を感じている人は、
いつ死んでも悔いは残るのではないかと思う。
価値というと大げさだが、ご飯を食べるのが好きとか、誰かと話せるのが楽しいとか、そうした日常の喜びを感じ続けたいと思ったら、生きていたいのではないか。
死んでしまったらなくなる喜びがあるなら、いつ死んでも悔いは残る。
大切にしたいのは、「今を、生きること」なのだろう。
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