【ニワトリと卵と、息子の思春期】親は、子どもにとって最大の権力者
親というのは庇護してくれる存在であるが、子どもにとっては最大の権力者。子どもは非力だ。
子どもの多くが、このことを知っているし、感覚的に分かっているものだろう。しかし、子どもから大人になって、さらに結婚や出産して、親になってから、このことにどれほど自覚的にいられるだろうか。
「ニワトリと卵と、息子の思春期」を読んで、まず、興味を魅かれたのは上記の「権力者」に関する指摘だった。
「オレに何が必要か、お母さんには分からない」
この本の著者・繁延あづささんは、ある時、長男からこう言われた。
母親であっても、息子のことで分からないことがある。
長男の指摘は、ある意味、正しい。だから、胸に刺さる。
一方で、長男が必要だという物事をすべて認めることも難しい。未成年の場合、親は、自分の子に何が必要か否か判断する役割を担っている。その役割を放棄するわけにもいかないだろう。
ある意味で正しい、けれど、それを正しいと認めてしまうわけにもいかない。
そんな時、多くの親は「親の言うことを聞きなさい」という態度をとり、親という立場に伴う権力を使ってしまうのかもしれない。
著者の繁延さんは、フォトグラファーとして妊婦の出産などを撮影されている。夫と、息子2人娘1人の5人家族。3人の子どもの母親だ。
このエッセイは、思春期に差し掛かった長男が、「ゲームを買うのをやめるから、ニワトリを飼わせて」と言ったことが起点となっている。
実際に、家族でニワトリを飼い始め、その後の経過を追っていく中で、著者の気づきが盛り込まれている。
母親として息子・娘と接する中で感じたこと。考えたこと。
ニワトリという生き物の命に触れて感じたこと。考えたこと。
東京・中野から東日本大震災を機に長崎に移住し、猟師から分けてもらった猪やキジの肉を食べている。
そんな繁延一家は、食べること、生きること、育てること、死ぬこと、これらが繋がっていることなどを実感しながら生活されている。
こうした生活のスタイルは特殊だろうが、
子どもたちの様子や言動を受けとめて、母親として、どう感じたか。
特に、著者が息子との口論で感情的になった時の自分自身を振り返っている点などは、読み応えがあった。
子育て、教育など、子どもに向き合っている方に、特にお勧めしたい1冊。