【娘について】受け入れることも、拒絶もできない。母娘の関係に大きな変化はなくても、希望を感じさせる1冊。
「毒親」の「毒」とは、一体、何なのか?
気になって、インターネットで検索してみた。
「毒親」とは、学術的な定義がある言葉ではなく、スーザン・フォワード著の「毒になる親 一生苦しむ子ども」(講談社刊、玉置悟訳)が話題になったことから、広く使われるようになったそうだ。
「毒親」の特徴として挙げられているのは、「子どもを管理する」「子どもを支配する」「過保護・過干渉」「虐待」「モンスターペアレント」など。子どもの衣服、食べ物、友だち関係など、ありとあらゆる物事を決めて管理する親、子どもに暴力をふるったり罵声を浴びせたりする親、子どもに大人の役割を求める親など、さまざまなケースがあるようだ。
子どもに過度なストレスを与える親は以前から存在していただろうが、「毒親」という言葉が普及したことによって、その存在や行為が可視化されやすくなったに違いない。
では、「毒親」の反対語は、何だろうか。
「毒」の反対語として「薬」が浮かんだが、「薬親」は聞いたことがない。
子どもにとって「薬」になる親の特徴を挙げるなら、「子どもの気持ちに寄り添うことができる」「子どもを理解しようと努める」「安らぎのある家庭環境を整える」などだろうか。
しかし、これらの行為が実践できたとしても、その行為と子どもに対する好影響を立証するのは難しそうだ。「薬」といえるほどハッキリした効果がもたらす、子育ての方法は存在しないのかもしれない。
「娘について」(キム・へジン著、古川綾子・訳、亜紀書房)は、母親の視点から、娘に対する様々な思いを綴っている小説だ。
娘は、不当解雇を訴えて雇用者に立ち向かう活動を続けている。同性愛者であり、「恋人」と一緒に生活している。そのような娘の生き方や価値観を、母親は受け入れられない。
一方で、母親は自分が産み育てた娘を、誰よりも理解してあげなければと思ってもいる。理解しようと思いながら、受け入れることができなくて、もがいている。
娘の状態を自分の子育ての結果だとすると、育て方が悪かったのかと考えたり、そうではないと思ったり。母親の思いは、娘に寄り添うように近くなったり、娘から遠く離れたり、大きく揺れ動く。母親の心の機微の描き方が、きめ細やかな作品だ。
物語の終盤、母親が、ケアの仕事で関わった認知症の高齢女性をほおっておくことができず、ある行動を起こす。その時の母親の姿は、不当解雇を訴えて闘っている娘の姿に重なり、「この母あっての、この娘」だったのだと気がついた。母と娘の対立ばかりではなく、2人の共通点、接点も描かれている。
「毒親」という言葉について改めて考えると、虐待や暴力などの酷い行為は「毒」と言えるが、「管理」「干渉」は程度に依るかもしれない。
同じ行為でも、子どもの性格によって受けとめ方は異なるとすれば、「こうしたら、うまくいく」という、絶対正解の方法はないだろう。
小説「娘について」に登場した母と娘の今後を想像すると、互いの生き方や価値観を受け入れられないまま、日々を重ねていくように思う。
母親は今後も、「毒」でも「薬」でもない範囲で、娘に関わり続けて、「ほどよい」関係を探り続けていくに違いない。母娘の今後の関係に、希望を感じさせる作品だった。