「意見を出してください」と言われて、「やめておこう」と思った理由
「意見がある方は、出してください」
そんな呼びかけをした人の顔を見て、 「意見はあるけど、出すのはやめておこう」と思ったことがある。
20代の頃、若手とみられている立場だった。意見はあるけれど、それを出すことで、どうなるか?を想定し、 自分にとって得にならないな、損することになるかもしれないと思ったからだ。「黙っておいたほうが得」という判断だった。
結局、誰からも何の意見も出ずに、その集まりは終わったが、 気持ちのもやもやは残った。
「意見がない」という状態は、「異論がない」ということになり、 意見を求めた人がまとめた原案通りになるだろう。
集まりの参加者の何人かは、変更や改善をしたほうがよい点に気が付いていないはずはなかった。しかし、結局、誰も意見を出さず、 よりより案にまとめていく可能性はなくなった。
では、「意見を出したほうが良かった?」と自問したが、 私の答えは「ノー(No)」だった。
「意見を出してください」と呼びかけた人は、 自分がまとめた原案どおり、進行したい人だった。
だから、もし、私が意見を出したとしても、 「そんなことをしても意味がない」 「一部の人にしか受けない」 などと返されて、理由や根拠をまったく示さずに潰されるにちがいないと思った。
意見を出したら、意見を出さなかったことで感じるもやもやよりも、 さらに不快な気持ちになりそうだった。
『問いかけの作法』(安斎勇樹・著)は、職場のチームで、メンバーの魅力や才能を引き出す「問いかけ」を学べる1冊だ。
「問いかけ」は、質問の仕方だ。
具体的な問いかけの例を見ていると、「ああ、こんなふうに言い換えられたら、話しやすくなるなぁ」と思えるものが多い。
会議の場で、意見を出しやすくなる気もする。
一方で、そもそもこの本を手にするのは、 会議を活性化したいとか、部下やチームのメンバーに問いかけて意見や提案を引き出したい と思っている人に違いないと思う。
そうでない人は、
自分自身の「問いかけ」の作法を疑う、見直す意識を持つことがまず、必要だろう。
問いかけをする人に、自身の問いかけの作法に意識を向けてもらう問いかけとは、どんな問いかけ?