コロナの禍と、文字の禍
最近、よく目にする言葉「コロナ禍」、これまでなかった新しい単語ですね。
「禍」は、よくないこと、不幸を引き起こす原因、災難を意味していて、
新型コロナウイルスによる災い=コロナ禍 です。
中島敦の短編小説に「文字禍」という作品があることを、最近知り、
文字によってもたらされる災い????
それは、どういうものなのだろう?
なぜ、文字が災いするんだろう?
と思って、さっそく読んでみました。
なかなか、すごい。
この作品、
「文字」があることによって、「人」は幸せになれるのか?
という問いを、投げかけてくる。
今、「新型コロナウイルス」は、災いの原因と位置付けられて、
それがあることで、様々な困難が生じているとされている。
だから「コロナ禍」だ。
でも、「文字」は、何かを意味するものであり、
知識をもたらすものであり、
それをもとに文化や科学が発展してきたものだと思う。
多くの人にとって、「文字」は、災いの原因とはされていない。
それが、この作品では、災いをもたらすものとして描かれ、「文字禍」になっている。
そして、
「文字」は、災いをもたらすものになりうるんだと、思わされる。
読み終えた後、私が
思い当たったのは、SNS、Twitterで生じる「炎上」や「バッシング」だ。
それに巻き込まれた人や、叩かれた人にとって、
それらは、文字によってもたらされる「禍」といってもいいだろう。
「文字」に、どう向き合うのか。
「文字」を、どう使うのか。
「新型コロナウイルス」に、どう向き合うのか。
「新型コロナウイルス」を、どう扱うのか。
かけ離れているようで、実は、つながっていることかもしれない。