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大人っぽく見られたかった22歳の頃の私に

仕事の昼休みにひとりでランチを食べに行った時のこと。近くに座る、女性ふたり組の会話が聞こえた。50代くらいと30代くらいの人だった。

年配の女性のほうが言った。

「20代の頃はよく、自分の年齢を2,3個上に言ってたよ。舐められたくなくてね。30歳をすぎた辺りからは、本当の年齢を言うようになったかな。」

そうか。上にサバを読むという方法もあるのか。

べつに珍しいことではないけど、私は上にサバを読もうと考えたことはなかったので、そんな発想があったのか、と新鮮に感じた。

そういえば私も社会人になりたての頃は、自分の年齢をすごく気にしていた。

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私は大学を卒業して22歳で社会人になったわけだが、同期の多くは院卒、なかには博士卒の人もいたので、自分はみんなより若くて未熟者だという気持ちが強かった。

新人の頃は、学生に見られないように、舐められないようにと必死だった。

仕事着は大人っぽいオフィスカジュアルを着て、髪はきっちりまとめ、客先での打合せにはヒールの高いパンプスを履いて。

その割にいつも自分に自信がなくて、仕事が上手くこなせないことを「私はまだ若くて未熟者だから」と若さのせいにしていた。

「大人っぽく見られたい」という気持ちと、「自信がないから過度に期待されたくない」という相反する気持ちが混在して、自分に対するジレンマを抱えながら悶々と日々を過ごしていた。

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社会人になって5年が過ぎた27歳の今は、ようやくそのジレンマが解消されてきたように思う。

ずっと童顔だと思っていたけど気がつけば見た目に年齢が出てきた。いつまでも美しくありたいと思う反面、これくらいの見た目がなぜかしっくりくる。

それはたぶん、周りから思われたい年齢と自分の見た目が合ってきたからだと思う。

自信のなさはまだ克服できていないけれど、新人のころに比べて周りと比較しないようになった。私には私の良さがあって、自分のやるべきことをきっちりやればそれで良いのだ。

もうひとつ思うことがある。それは、27歳という年齢を自覚して、無意識にそれ相応になろうとしているのではないかということ。

すなわち、「27歳だから相応に大人っぽく、落ち着いて振る舞わないとな。」というように。

新人のころの私も、無意識に”22歳だから”という気持ちがあったのではないか。

そんな無意識の年齢の暗示があるとすれば、上にサバを読むのはもしかすると効果的なのかもしれない。

嘘でも周りに数歳上の年齢を言っていたら、無意識にその年齢として振る舞うようになるのではないか。これは私の単なる仮説にすぎないけれども。

だけど、いまの私には必要ないな。あの頃は葛藤していたけれど、今の私はこれでいい。年齢にとらわれずになりたい自分を目指して、それを追求する私でいたい。

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