人はこうやって過ちを繰り返しながら成長していく
過ちをおかさない人なんていません。
人は過ちを繰り返すものです。
そうやって少しずつ成長していくのかもしれません。
最初はそれが過ちということにすら気づかない。
そういうところから始まります。
たとえば、人間関係で普通にコミュニケーションをしているだけなのに、なぜか相手が不機嫌になってしまう。
たまたま相手の機嫌が悪いだけなのかな?
最初はそう思います。
だけど、他の人でも同じように怒らせてしまうことがあることに気づく。
そこではじめて自分を疑います。
もしかしたら自分が間違っているのかも?
ただ、自分の中で何が間違っているのか、どこで過ちをおかしているのかがよくわからない。
落ち込んでる友だちをただ励ましているだけなのに。悩みを聞いてこうしたらいいよって、アドバイスをしているだけなのに。
なぜか、友だちからはあなたは話しを聞いてくれないと言われてしまう。ちゃんと話は聞いているはずなんだけど、さらにはアドバイスまでしているのに・・・
そこで人間関係やコミュニケーションを学んでみると、どうやらアドバイスを求めているのではなく、ただ話を聞いてほしいと思うことがあるらしい。そんなことを学ぶ。
そんなものなのかなぁ、と思いながらも、友だちの話にアドバイスしたくなる自分をおさえ、ただただ話を聞く。
話は同じところをぐるぐるしていて、ちっとも前に進まない。途中、何度も「それはこうしてみたら?」とか「そんなの気にしなくて大丈夫だよ!」と言いたくなるのを堪える。
ただ、話を聞くことに何か意味があるのか?何も解決しないような気がするけど。そう思っているうちに友だちの話が一通り終わる。
何もアドバイスしていない自分のもどかしさとは裏腹に、友だちの表情は明るい。そして友だちが思いがけない言葉を口にする。
「話を聞いてくれてありがとう。おかげでスッキリした」
「ん?何が起きた?」
最初は何を言っているのか意味がわからない。何もしてないんだけど・・・
どうやらただ話を聞くことにも意味があるらしい。そんなことに初めて気づく。これは意外と使えるかもしれない。
しばらくして、また別の友だちと話をしていると、相手が微妙な表情で「話を聞いてくれるだけでいいのに」と言われ、そこでハッとする。
そうだった。ただ話を聞くのが大切なのに、上から目線でアドバイスしてた・・・
そうやって過ちをおかした直後に気づく。
人は同じパターンを繰り返してしまうものです。ただ、前よりも気づくのは早くなっています。そこは成長です。
次に友だちと話しているときは、アドバイスし始めたタイミングで気づき、聞き役に戻り、その次は、友だちの話を遮ってアドバイスしようとしている自分に気づき、そのアドバイスを飲み込む。
そうやって過ちに気づくタイミングが少しずつ早くなっていって、いつか過ちをおかす前に気づけるようになります。
人はこうやって過ちを繰り返しながら成長していくのだと思います。