僕は目が悪いことがコンプレックスでした。だけど、目が良い人にも苦労はあるみたい。
家系なのかわかりませんが、僕は子どもの頃から目が悪いのがコンプレックスでした。今でも目が良い人のことをうらやましく思うことがあります。
目が良い人は絶対に幸せだって信じていましたが、この記事を読んで必ずしもそうではないのかもしれないって思ったんです。
僕の大切な友人で仙台で眼科医をされている伊勢屋貴史さんのnoteです。僕は親しみを込めていせやんってニックネームで呼んでます。老眼専門の眼科医なので、いつも楽しみにしています。
いせやんの記事によるとどうやら目が良い人にも苦労はあるみたいなんです。それを知って僕のコンプレックスが癒されたような気がしました。
目が悪いことに対するコンプレックスは子どもの頃の影響なんですが、コンプレックスのせいで、目が良いことがどれだけ良いことなのか拡大解釈していました。
目が良い人というのは、眼科医的には「遠視」というみたいです。文字通り遠くは良く見えるんですが、僕らくらいの年齢になってくると、老眼という症状が出始めるんだそうです。
冷静になってみるとそれはそうですよね。いくら目が良くても、年齢とともに目の調節力は落ちますよね。人は老いには逆らえません。
僕も悲しいことに、小さい文字が以前よりがんばらないと見えずらく感じてますが、遠視の人は近視の人に比べて近くを見るのが不利になるんだそうです。
遠くが見えない不便さはありますが、近くが見えない不便さも同じくらいあります。特に今のスマホ依存の世の中では、遠くを見るよりも近くを見る機会の方が多いかもしれません。
目が良い人はメガネとかコンタクトとかの煩わしさがなくてうらやましいと思っていましたが、年を重ねると老眼鏡というメガネが必要になるので同じなのかもしれないです。
ないものねだりというか、隣の芝生は青いというか、自分にないものをうらやましく思うのは人の性なんでしょうね。
お金を持っていない人より、お金を持っている人の方が幸せかどうかなんてわからないし、結婚していない人より、結婚している人の方が幸せとは限りません。
人である以上、ないものねだりはゼロにはならないのかもしれませんが、それよりも、今あるものに目を向ける方が幸せかもしれないですね。