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何事も「まじめな優等生」を前提に考えないほうが良いと思います

今ちょうど大相撲の夏場所が両国国技館で開催されていますので今回も現地で観戦してきました。

国技館では感染対策のために観客にはマスクの着用および声を出しての声援禁止というルールを求めており、先場所までは客席での飲食も禁止でしたが今場所からは緩和されて軽食および飲酒(お一人1本まで)もOKとなりました。

そうなるとどうしても酔っ払った勢いで羽目を外してしまう客が現れ、今回も「声を出しての声援は絶対におやめ下さい」という場内アナウンスがあった直後にも関わらず、応援している力士の四股名を大きな声で連呼する客がいました。

もっとも相撲協会もそこは大目に見ているらしく、叫んだ客を国技館からつまみ出すようなことはしませんでしたので、ある程度は容認していると思われます。
(ついこないだまで元力士だった屈強な親方衆がそこら中にいるので、不届き者を力づくでつまみ出すのは簡単ですが・・・)

さて国技館でもそうですが、世の中は明確にルールを設定しても実際に徹底させるのは至難のわざです。法律ですら平気で破る人がいるので、職場の規則や学校の校則なんて100%守られるはずもありません。

ルールを守る意思がない人もいれば、ルールそのものが理解できない人もいるのが現実です。

逆に言うと、ルールを守れる人は少なくとも以下のような条件を満たす必要があります。

  • ルールの意味が理解できる

  • ルールを守ろうという意思がある

  • ルールを覚えることができる

  • 羽目を外さないよう自分自身をコントロールできる

これってよく見ると「まじめな優等生」の姿そのものです。

ただし、現実は誰もが「まじめな優等生」ではありません。私自身も「まじめな優等生」からは程遠い存在です。そうなると「まじめな優等生」を前提にルールや仕組みを決めてもまず機能しません。

しかし、職場ではよく全員が「まじめな優等生」であるという前提で物事が進んでしまうことがあります。

例えばこんなケースです。

ある職場では業務上のミスが多発したため、本人以外の誰かが二重チェックを行うことをルールとして定め、新たな業務プロセスを示したマニュアルも作成しました。

そのうえで、ただマニュアルを渡すだけではなく、社員向けに説明会も開催して新たなルールの徹底を求めました。

しかし、二重チェックを煩雑を感じた一部の社員はルールを守らずに勝手に業務プロセスを飛ばしてしまったため、結果的に全く徹底されませんでした。

このケースでは無意識のうちに職場の全員を「まじめな優等生」と思っており、次のように考えていました。

  • ルールを決めれば守ってくれる(はずだ)

  • マニュアルを制定すればやり方が分かる(はずだ)

  • 説明会を開催すればルールを意識してくれる(はずだ)

でも現実は誰もが「まじめな優等生」ではないため、このような人も一定数出てきます。

  • ルールなんて面倒くさい

  • マニュアルなんて読む気も起きない

  • 説明会なんて聞いていられない

そうなると、いくら細かいルールや仕組みを考えても実際は全く機能しません。守らない人をいくら責めても徹底はされません。なぜなら守らない人は「まじめな優等生」ではないので最初からできないのです。

もし職場で何かのルールや仕組みを徹底させようと思ったらむしろ「まじめな優等生」じゃない人を基準に考えたほうがうまくいく確率は高まります。

  • ルールを面倒だと思っている人でも実践できる

  • ルールを読もうとしない人でも一発で理解できる

  • ルールを気にしない人でも意識してしまう

世の中には様々な人がいますので、常に頑張っていられる「まじめな優等生」が居る一方で、「不まじめな人」や「だらしない人」も存在しているはずです。

「まじめな優等生」はあくまで素晴らしい個性の一つに過ぎず、誰もが真似できるものでもありません。もし「不まじめな人」や「だらしない人」を排除してしまうと必ずどこかで歪みが生じてしまいますので、様々な人が存在していることを前提にルールや仕組みを考えた方が最善の結果につながると思います。

最後まで読んでいただきありがとうございます。

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