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NOと言えない私

嫌われたくない気持ち
まず根本的に日本人は他人との輪を大切にする人種だから、敢えてその場を乱す様なNOとか自分だけ違った意見を言わない。どれだけ自分がNOでも、違った意見を持ってたとしても、言わない確率が高いと思います。(今現在の若い世代の子たちはどうなのかしら?)


それはきっと仲の良い度合いとかにもよると思うけど、
私はどんなに仲が良くても、「NO」とか、「自分は違うなー」とかあまり言いません。
それは、その場の輪を乱したくないのもそうだし、他人から悪く思われたくない、同意していれば”良い人”振りが出来るから。たぶんそんな黒い心情だと思います。


こんな私で、中学の頃にいじめに逢いました。中学2年生の時。
クラスに番長的なちょっと怖い女の子が居て。その時、私はツンツンしてた、と言うか、人生、自分の思い通りになるなんて若い考えを持って居たし、所構わずわがままだったのもあったと思う。

ある事件があり、「なぜあなたに従わなければならないの?」って、その子に言ったら、次の日からクラスの女子みんなから無視されました。みんなその子が怖くて言い返せないし、私と喋るなって言われていたみたいです。

その1年はとても孤独で悲しかった。教科書を取られたり、物を隠されたりもしたし。

でも、横のクラスのフリースピリット的な自由奔放なんだけどすごく大人っぽい女の子が助けてくれました。お弁当も一緒に食べてくれたし、昼休みも一緒に過ごしてくれた。そして、その彼女の友達もクラスが違うから普通に接してくれて。とても助けられました。

でも、その時から、”他人に背くとこう言う結果になる”っていつも脳裏に蘇る様になりました。もし、ここでNOと言ったら、きっとこの子から嫌われるし、その友達にも嫌われる。そんな情景がいつも付きまとって、30年以上たちます。だから、嫌われたくない、疎外されたくない。友達で居て欲しい。そんな気持ちからNOが言えなくなったんだと思います。

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アメリカではのNOなんて簡単に言うし、自分の意見はなんでも言う。自己主張の国。その中で、あまりにも他人に同調しすぎるのも良くないから、自分の意見も私はきちんと持ってるんだけど、それが違う時にすごく言い難い。だから結局、最後は「そうだよね。私もそう思う」って他人の意見に、

”流される”


他人の意見に流されるからって自分の意見がないわけじゃない。

ただ、自分はそう思っていないって事が言えないだけ。そして、嫌われたくないって言うのと、やっぱり意思が弱いのか、そう言われたらそうかも?なんて自分の意見が塗り替えられることもある。でも、自分の本心は違う。

この世の中は十人十色。色んな視点を持って色んな見方をする。だから、他人がこうじゃないかって言ったら、そっちにも目を向けてしまいます。

それが逆効果?


私の課題

上に、アメリカは自己主張が強いって書いたけど、それはその人の意見もかなりゴリゴリ言ってくるってこと。だから、「私これ好きよ?」「あなたもどう?」とかが日常茶飯事。「ごめんなさい、それはちょっと…」が言えない。別に言っても良いし、アメリカ人はそれをアイデンティティーと受け止めるし、気分を悪くすることはないんだけど、やっぱり言えない。日本人との間でも言えないな。

まぁ、その話のトッピックにもよるんだけど。私はチャイティーが飲めないので、美味しいけどどう?って言われたらこればかりは飲めないから飲めないって言うけど、それも心が痛い。以前、「はい」って言ってしまって、結局、作っていただいたチャイティーを飲めなくて失礼だったなって経験があるから。食べれない、飲めない、体力的に出来ない、物理的に無理な物は無理って言うけど、その言い方がかなり無理。

これは?ってのがあれば是非コメントで教えてください。


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