こんな時代だからこそ、統計で語れない「N=1の好奇心」のチカラを信じたい
上期が終わったこのタイミングで、仕事の振り返りをする機会も多い。
今回は、(珍しく?)お仕事に関わるnoteを書いていく。
大学教育に携わり6年、企業の人材開発支援に携わり5年。
この上期も、現役の大学生には毎月50〜60名くらい向き合う機会と、複数の業界の人事部門と一緒に仕事する機会に恵まれた。
大学と企業の二足の草鞋を履いている訳だが、実は、同じような課題を取り扱うことが多いのだ。
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例えば、それは「1つの正解や型に収まろうとする思考」
何かの問題にぶち当たったとき、世の中に蔓延る「それっぽい正解」に合わせにいくが故に、思考停止になってしまっているようなこと。
その結果、本人の持っている個性や才能を発揮しきれない、あるいは、発揮するまでにかなりの時間を要してしまう。
これは、博報堂が手がけた『広告|恋する芸術と科学』に掲載された言葉。
自分への戒めも込めて、この言葉が当てはまるシーンは年々増えているように思う。
今現場に起きているのは、こういうことなんじゃないかな。
AIの進歩により、これまで以上に、簡単に知れる・簡単に分かる(つもり)になった今の時代。デバイスを触れば全て完結してしまいがち。
便利だけれど、これにより失われているものにも目を向けておきたい。
便利になり過ぎた結果、
現場に出向く機会が減り、身体を使った体験が減り、知的好奇心への刺激が減り、
自分の興味を掘っていく経験が失われているのではないだろうか?
大学の授業でも、フィールドワークを大切にしているが、課題(宿題)として行うケースが多い。通常授業のなかで、学生自らの意思で街に飛び出すというのはかなりハードルは高そうだ。
タイパ、コスパを重視する現代の考え方も、「出向く」ことを遠ざけてしまっている。
そんな中、ガツンと響く言葉に出会った。
作家 開高 健さんが、週刊プレイボーイ編集部に贈った言葉らしい。
なんだ、この表現。かっこいいわ〜。
この宇宙の全ての事象や物事に好奇心を向けて生きろ!という、力強いメッセージに聞こえる。
かっこええね。
好奇心があれば、すべてのことが自分ごとになって、
新しい世界や知恵に触れる機会が増え、自分自身が進化・変化・アップデートしていくんだろうな。
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先日、渡邉康太郎さんの『TAKRAM RADIO』を聴いていたら、今回のテーマのヒントに出会えた。
その具体例として、次のようなものを挙げている。
・「14歳の栞」とある中学校の1クラス全員を主人公にしたドキュメンタリー
・「わたしは思い出す」東日本大震災で被災した、ある母親の生活史
その他にも、本屋B&Bの内沼晋太郎さんが店主の 日記だけを集めた専門店「日記屋 月日」、社会学者である岸政彦さんが取り組んでいる生活史プロジェクト、人工知能や認知科学の世界で注目されている「一人称研究」などなど。多数の事例が紹介されている。
なるほどー。
この時代の流れは、とても面白いですねぇ。
客観的なデータから分かる「知」”だけ”を集めるのではなく、
N=1の視点からしか分からない「知」”にも”価値を見出し、注目が集まってきている。
ここで大切にしたいのは、どちらか”だけ”に偏らないということ。
二項対立ではなく、二項両立・二項動態的な考え方が重要そう。
N=1と言うある種の「文学的なアプローチ」を、
ビジネスやリーダーシップやキャリアの観点にどのように接続していくのか。
わたしの関わる大学教育や人材開発の仕事において、とても大切な観点になりそう。
下期に向けて、探究テーマはこれで決まりだな。
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ところで、自分で書いていて思うのは、
このN=1という考えは、決して新しいものでもないよなぁということ。
自分の心と直感に従う勇気を持つことの大切さを教えてくれたのは、スティーブ・ジョブズ氏。
見て、触れて、聴いて、嗅いで……全身で五感を使って虫を見続けている養老孟司さん。
最後に 頭に浮かんだのは、生物学者レイチェル・カーソン氏の大好きな一冊。
「センス・オブ・ワンダー」とは、神秘さや不思議さに目をみはる感性のこと。
「N=1の好奇心」のチカラは、
私たち一人ひとりの「センス・オブ・ワンダー」のことなのかもしれない。
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とりとめのない文章でしたが、最後までお読みいただきありがとうございます。
まだ頭の中がごちゃついてはいるけれど、
向かって行きたい方向性は、なんとなく見えつつある。
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