▼日常▼ 謎の痛みの原因をいくら医者に聞いても診てもらえない……クリエイター・npckc氏の実話からゲームデザインされた難病診断ライフシム『気のせいだ』
シーズンテーマ『日常』で特集しているテキストです
『気のせいだ(原題:you're just imagining it)』は心をかき乱される一作である。というのも、僕自身が昨年2023年に、本作のクリエイターであるnpckcさんとゲームイベントなどでお話させていただくことが多かったからだ。
npckcさんはさまざまなジェンダーアイデンティティを持つ主人公を描いた『A YEAR OF SPRINGS』や、特殊な開放で切り抜けるホラーの『a pet shop after dark』を代表作に持っている。特に『A YEAR OF SPRINGS』の一編、『one night, hot springs』は、近年のクィア・ゲームへの関心が高くなっていることもあり、プレイされた方も少なくないと思う。
僕自身は物書きをする傍らで、POST COMMERCIALS: ALLIANCEというクリエイティブプロジェクトを立ち上げている。昨年はいくつかのインディーゲームイベントで開発中のタイトルを出展した。そこでnpckcさんと一緒になることがあった。
npckcさんとはいろいろなことを話したり、他のクリエイターを紹介してもらったり、なんというか、クリエイティブの方面では白帯といっていい自分を少しばかり導いてくれるようなことがあった。とても朗らかなで、しゃべっていると元気を分けてもらえるような方だ。だから『気のせいだ』を遊び、クリアするまでのおよそ15分のあいだびっくりした。長い間、こんな痛みを抱えていたなんて知らなかったですよ……。
執筆 / 葛西祝
そんな去年のことを思い出しながら、『気のせいだ』に触れるとnpckcさんが苦痛を見せずにいたことを想像してしまってきつい。本作の主人公は原因がわからない痛みに悩まされており、さまざまな病院にかかる。しかしどの医者も適当な診断で痛み止めの薬を処方するまでだ。
痛みに根本的な解決が示されなくても生活は続いていく。主人公は身体の痛みと気力、金銭を見ながら、日々の仕事をこなしたり、時には休んだりして過ごす。一応、補足みたいになるけど本作では仕事したり休んだりを自由に行えるんだけど、これは主人公が基本的に自宅でデスクワークできるフリーランスだから、というのもある。
『気のせいだ』の体験でかなり嫌な感覚があるのが、メインストーリーの演出以上に病名が診断されないまま暮らしていくことである。気力、お金それぞれの数値を眺めながら生活していくのは他のライフシムでも近いものがあると思うけど、『気のせいだ』では痛みの数値が日々に影を差す。
痛みは仕事で集中しなきゃならないときにも増加するし、休もうが遊びに行こうが日々の苦痛は頭の片隅にある。
苦痛をどうにかするために、仕事でお金を溜めて、また病院に行く。ところが気力を削る対応を何度も何度も繰り返される。病院側のあいまいな診断に遭遇するたびに主人公は痛みを強め、気力がなくし、お金も減っていく。
これが一ヶ月だとか半年だとかの期間じゃない。実に数年に及んで繰り返される。だんだんと痛みが増し、気力もお金もない中で日々を過ごすようになる。
こうして病院をたらい回しにされながら、なおも働きながら誰か信頼できる医者を探しにいくという体験は、実際にnpckcさんが指定難病を診断されたことが元になっているという。
「医者さんによると、生まれつきのもので不治ですが、薬で手術の必要性を遅らせることができます。肉体的・精神的ストレスを避ける必要もあるらしいです」とnpckcさんは語っており、しばらく落ち着いた生活をすることを明らかにしている。
僕が難病だと知ったのは、npckcさんが運営されている「同zine」のDiscordでの連絡だった。あまりに突然のことで驚いたのだが、『気のせいだ』をプレイして初めて普段のやりとりでまったく知らなかった側面を知る形となった。言葉にしにくい体験だったのは確かだ。
なぜなら知り合いの知られざる苦痛を体験するかたちだから。とてもプライベートなことがゲームデザインとなっているから。特に僕もフリーランスの文筆業をやっているのもあって、気力がなくなればすぐに休むしやる気があるときに仕事するって裁量で生活しているのあって、そこに原因の分からない病気があるのはどういうことかも想像がつく。
『気のせいだ』はitch.ioにて公開中。PCブラウザでプレイ可能。itchに送られた、英語圏の他プレイヤーのコメントを観ていると、病院側の曖昧な診断で悩まされるのは日本国外でも変わらない事情がうかがえる。
npckcさんのプライベートな本作に対してこう書くのはよくないのかもしれないけれど、npckcさんが(おそらく)日々を見つめる中で体験した出来事をビデオゲームに落とし込むことで、どこか普遍的な問題を普遍的な体験に昇華していくあたり、初めて『one night, hot springs』に触れたことを思い出す一作なのである。
僕はnpckcさんの苦痛を想像しながら、同時に自分たちのプライベートな日常もゲームデザインに仕上げ、他人に体験させることができる事実について考えている。ここには小さいが確かなビデオゲームの可能性がある。