ひとりの開発者が、大不況下のゲーム産業の絶望に晒され、アートハウスゲームの祭典で希望を探す——「A MAZE」ドキュメンタリー『Weired Games Manifesto』紹介【アートハウス・ゲームシーン】
いま、ビデオゲーム大手の産業、そして大手の企業は個人にとってどれだけ信用が置けるものなのか?
このメディアはアートハウス・ゲームを扱うことに特化しているので、通常のゲーム産業について言及することを度外視しているようなところはある。だけど、実際には両者は繋がっていて無関係ではない。
インディーが活況となるずっと以前からアートハウスゲームは存在している。ゲーム産業がなんらかのビジネスとしての傾向を強める一方で、産業としての方法から目を背け、ゲームが持つ特異な可能性を追求したり、もしくはゲーム産業の手法に批評性を持たせたゲーム開発を行ったクリエイターたちはいた。
アートハウスゲームの存在とは、言い方を変えればその時点でのゲーム産業が抱える問題に対して、常に批評的な意味を持つものでもある。
その批評性に希望を見出した、フランスのゲーム開発者によるドキュメンタリーが今年、作られた。
執筆 / 葛西祝
● “大手”をどこまで信用できるのか——ビデオゲーム産業は混乱の只中にある
今年も任天堂やSIEをはじめ、各国の巨大企業からハイクオリティで面白い大作がリリースされてしまっていることから忘れてしまいそうになるが、いま、ビデオゲーム産業が世界的に混乱を極めている最中でもある。
“コロナ禍によって在宅する人が増えたので、ビデオゲーム産業は伸びた”などと言っていた時代は本当に呑気だった。いま世界では、コロナ禍によるゲーム産業の後遺症ともいえる事態が起き、企業のレイオフが加速した。
昨年からゲーム産業は混乱が始まっていたが、その混乱は数々の傑作が登場したおかげで一般のゲーマーでも認知し辛いものだった。2023年のThe Game Awardsの会場内では、業界に荒れ狂う嵐をまるで存在しないかのように『バルダーズ・ゲート3』の最高賞を称え、『アランウェイク2』に三冠を与えた。
だがThe Game Awardsの会場内で優れたタイトルを表彰する悦びが溢れる一方、外では違った。
不況の嵐をまともに浴び、レイオフによって生活が揺らいだ開発者の声がとどろいた。職を失った開発者はプラカードを掲げ、世界が注目するゲームイベントの脇で業界の窮状を訴えかけた。
昨年から取り沙汰された不況は、2024年にはさらに加速した。今年11月までにレイオフされた関係者は、なんと13000人を超えるほどだった。2022年にレイオフされた総数が8549人だったことを振り返れば、今年がすさまじい数だということはわかるだろう。
世界的な不況下はどうやら日本でも無縁ではなさそうだ。今年はバンダイナムコゲームスも5タイトル以上の開発を中止するなど、大企業も安定して開発できる状況ではないことが明らかになった。見えない不況はさまざまなニュースからうかがい知れる。
ゲーム産業が陥った不況は、傑作を享受する消費者には見え辛い。だが当の開発者にとっては生身で業界の歪みを感じるものだろう。レイオフは相当に価値が揺らぐほどの打撃を受ける。
巨大産業の不条理な流れに翻弄され、クビになったあとで自分が関わったゲームがきらびやかなイベントで表彰されるのを見るのは虚しい。では別の価値観からゲーム開発を行う可能性は存在しないのだろうか?
●フランスのゲーム産業に関わるクリエイターが見たアートハウス・ゲームイベント
そこで、ゲーム産業の理屈から逸脱したアートハウス・ビデオゲームに触れる意味を見だそうとするドキュメンタリーが登場した。
『Weired Games Manifesto』はそんなドイツ・ベルリンで行われるアートハウスイベントA MAZEを取材したドキュメンタリーである。
フランス語で前編と後編に分かれており、動画時間は合計で3時間半以上にも及ぶ。すごく面白い切り口や情報が多いけれど、日本人が見るのがとても大変なのは確かなので、このテキストでは大事な部分を取り上げてみようと思う。
制作したのはフランスの「Zeph & Ramo」チャンネル。普段から主流から違ったビデオゲームを扱う動画を作っているチームだ。
このチャンネルはゲーム業界にてナラティブディレクターを行っている “Ramo”ことリマ ・アントワーヌ(Antoine ‘Ramo’ Lima)と、映像作家の “Zeph”ことマチュー・オーブリー(Mathieu ‘Zeph’ Aubry)のふたりが運営している。
動画では主にRamoが前に出て、様々なビデオゲームについて語る典型的なYoutube動画ではある。
露天商生活シミュレーター『Cart life』と照らし合わせながら、かつてのプレイステーションで販売されたあのラーメンのゲーム化『チャルメラ』について論じたり、亡くなったデヴィッド・ボウイが主演、『デトロイト:ビカムヒューマン』を作ったクアンティックドリームが開発したADV『Omikron: The Nomad Soul』を始め、ロックスターがメインを張ったゲームについて特集していたりする。
異色の作品を取り扱いはするが、基本的には軽い笑いも交えた楽し気な雰囲気のあるYoutubeチャンネルのひとつといっていい。ただ、注目すべきはゲーム産業に関わる人間でありながら、主流のビデオゲームではないタイトルに注目していることだろう。RamoとZephはすでにゲーム産業の主流とは別の可能性を模索しているスタンスでもある。
ところが今回のA MAZEドキュメンタリーに関しては、冒頭から憂鬱な雰囲気が流れる。
「Weired Game Manifesto」では、冒頭で記したように最近のゲーム産業がひどい状態になっていることを告発するところから始まる。当のRamoはゲーム産業の不況、インディーゲーム開発スタジオの閉鎖、そしてEurogamerやRock Paper Shotgunといったメディアグループを運営するGamer Networkが、IGN Entertainmentに買収されるような、ゲームメディアの崩壊といった悪い状況から、「最近ゲームに興味を持つのに苦労している」と嘆く。
そもそものRamoは、自身が関わるゲーム産業の大手が生み出すタイトルが決まりきったジャンルばかりリリースしたり、決まりきった戦争や対立による物語ばかり作られ続けることにフラストレーションを抱いていた。
さらにイスラエルによるパレスチナ人の虐殺をはじめ、ヨーロッパ各国で右派政党の台頭など世界情勢の急速な混迷も拍車をかけた。ビデオゲームのソフトだけ見れば順調なエンターテインメントとしての体裁を保っているように見えるが、このように崩壊が著しい。信じられる大きな産業や国家の姿が見えなくなってきたこともまた、Ramoの憂鬱を深めているのだろう。
そんなRamoとZephは既存のゲーム産業の価値観にとらわれない、新しい価値を探るために今年のA MAZEに参加する。そこで目にしたのは、ふたりがいまのゲーム産業に対して感じていることと、同じような思いのクリエイターたちだった。
RamoたちはA MAZEに参加したクリエイターたちや、現地で行われたカンファレンスを徹底して取材していく。インタビューとして収録した音源はおよそ15時間。この尺の長さに「なんとか混乱するこの状況から活路を見出したい」という思いがうかがえるかのようだ。
取材するのは『Nuclear Throne』を開発した元Vlambeerのラミ・イスマイル(Rami Ismail)に、今年のA MAZEにて『BlueSuburbia』(Steamのストアページはこちら)を出展したネットアートとビデオゲームを越境する作家、ナタリー・ロウヘッド(Nathalie Lawhead)などいまのアートハウス・ゲームシーンの重要人物ばかりだ。
Ramoは彼らにパレスチナの反虐殺をアピールするゲームをどう作るべきかを質問したり、ゲーム産業から完全に外れたアートハウス・ゲームの試みがいかに変わったかを聞いてみたりしている。いずれにせよ、通常のゲーム産業の価値とは別のゲーム開発の可能性を、A MAZEの現場で模索していく。
●大手プラットフォームやゲームメディアによるキュレーションの機能不全
Ramoによるゲーム産業が硬直化した状況への批判は、現行のSTEAMといった大手プラットフォームやゲームメディアにも及ぶ。
その批判のポイントは「ゲームのキュレーションが機能していないのではないか」というものだ。たとえばsteamのレコメンドは人気ゲームに集中してしまい、その流れに乗れなかったゲームは一切注目されることがなく消えてしまう。
それだけではなく、ゲームメディアも結局チョイスするタイトルは保守的になりがちであり、商業的な成果が上がっているタイトル以外での「いまこうした新しい流れがありますよ」というキュレーションが難しくなっている問題を指摘する。
Ramoの批判は、正直なところ僕がこのメディア、令和ビデオゲームグラウンドゼロを立ち上げた理由そのままだ。
僕はよく言うんだけど、「いま年間で1万本以上も新作のビデオゲームがリリースされているのに、10本か20本くらいのゲームですべてが語られがちじゃないか?」ということがある。
そのレベルの本数が出ている場合、スタージョンの法則のように「SFの90%はクズである。そしてあらゆるものの90%はクズである」みたいな単一のクオリティの高低で語れる次元ではなくなっていると思う。
すでに別のクリエイティブの文脈が発生している可能性があり、それを指摘していくのが重要ではないか。ところがゲームメディアは先述したように企業買収や閉鎖などが頻発し、商業的にリスキーな特集を組むことが難しくなっている。
これは英語圏メディアの話ではあるが、日本のメディアであってもなかなかキュレーションとしての紹介は難しくなっている。断片的にアートハウス・ゲームがGame*Sparkだとか電ファミニコゲーマーとかAUTOMATONでニュースになることはあるが、ページビューを稼ぐための “ネタ”以上の扱いになることはほぼない。
文脈が人繋ぎになった情報としてキュレーションするようにゲームのシーンを語るのが商業メディアでは困難になってきた。(だから僕はここで、ゲームである文脈が発生していることをまとめたほうがいいんじゃないか、とあれこれやっているのだけど)。
ではキュレーションが機能しているとはどういうことか。RamoはA MAZEの現地会場にて、アートハウス・ゲームを上手く集めて展示している状況に対して「これがキュレーションだ」と語る。アントワーヌは、典型的なゲーム産業的な取り上げ方とは異なる可能性をこのイベントで観たというわけだろう。
●Steam、Unity、PS Network…… “世界的サービス”の限界
「Weired Games Manifest」全体に通底しているテーマは「ゲーム産業の大手を信用し続ける限界」だろう。
たとえばゲームエンジンのUnity。世界のゲーム産業の大手から、自主制作ゲームの開発でも活用されているが、昨年、このゲームエンジンを利用する料金体系が変更されたことで、世界のゲームデベロッパーから大反対が起きた。
反対意見があまりにも苛烈になったことで、今年、Unityは料金体系の変更を撤回した。しかし今回の事態から、世界のクリエイターは「ひとつのゲームエンジンを信用して使い続けるのはリスクではないか」と思うようになった。
A MAZEの講演でも、このUnity問題については議論された。ひとつのゲームエンジンやツールを使い続けるリスクとして、Unity料金体系変更問題の他にも、Flashによるゲーム開発とそのサービスの停止についても言及されている。Flashは個人ゲーム開発で活発に使用されたが、2020年末にサービスが終わってしまった。このことも個人開発者にとって大きなダメージとなった。
大手のゲーム開発サービスが世界中の個人作家にゲーム開発の希望を与えたが、同時にそれがずっと続くものではないと、近年は思い知らされるニュースが続いている。
大手をどこまで信用するか? という問題について、そもそもSteamやPS Networkといったプラットフォームがリーチできる国の限界についても語られている。
あらためての話かもしれないが、やはり欧米や日本、中国といった国がビデオゲームの開発・販売からゲームプレイの主流である。しかし、アフリカ各国をはじめ、steamやPS Networkにアクセスしたり、アカウントを作成したりすることが難しい地域が存在している。
Ramoはその現状に対し、「いまはグローバルにゲームをプレイしたり、販売したりできる環境のように思えるが、実質的にはアメリカなど少数の地域がそれを享受しているんだ」という。
ビデオゲームが活発でありながら、ある種の行き詰まりを当の開発者が目の当たりにする背景はこんなところかもしれない。
世界的にビデオゲームが広がっているように見えるが、実際のところは先進国がハンドリングしている。しかも先進国の大手企業の裁量によって、ツールもプラットフォームも一夜にしてなくなったりする可能性もある。その環境では、「個人作家が世界にアクセスする」というスタンスも幻想ではないか。
●様々な表現媒体とリンクすること、作家のアイデンティティに沿ったゲームを作ること
それでは、個人が産業から離れ、自身の世界観を提示するための方法というのはどういうものがあるのだろうか?
ドキュメンタリーが言及するのは、作家のアイデンティティに根差したゲーム開発と、様々な表現媒体を越境しながらさらなる表現を模索することだ。
RamoがA MAZEで注目するのは、演劇や文学など他の表現媒体とビデオゲームをリンクさせるかの試みだ。音楽やインスタレーションアートを越境したステージイベントや、他の表現をベースとしたクリエイターの講演から、ゲーム産業の理屈から離れたクリエイティブの可能性について考えていく。
●大手産業ではなく、個人としてアートハウス・ゲームを作り続けるには
もうひとつの見どころは、やはりアートハウス・ゲームのクリエイターたちは、ゲーム産業からいささか背を向けた立場でいかにゲームを作り続けているかだ。
あるカンファレンスでマイクロソフトが今年Tangoをはじめとしたスタジオを閉鎖した話題に触れる。現行のゲーム産業で、クリエイターによる創造的なゲーム開発をやれる環境であるとはいいがたく、やはりアートハウス・ゲームというのは収入にはなりにくい。
クリエイターによっては副業としてフリーランスの仕事を請け負いながら、ビデオゲーム開発を続けていることを明かしていたり、収入の大部分が寄付(Itch.ioのPWYW式の収益もあるだろう)で成り立っていることを明かしている。
アートハウス・ゲームに可能性を見だしたクリエイターにとって重要なのはコミュニティだという。
アートハウスに限らず、いま自主制作ゲームをやるクリエイターにとってコミュニティが重要な時代ではあるが、より先鋭的なスタンスでのゲーム開発にとっては特に大事になるのだろう。特に、さまざまなアイデンティティを持つクリエイターが孤立しないためにも、近しいアイデンティティを持つ人間が集まるコミュニティの意味は大きい。
Ramoらによる「Weired Games Manifest」は、単なるアートハウス・ゲームの長編ドキュメンタリーというだけではない。本編中に提示された多くの議題には多くのゲーム産業の問題も提示されており、そこからの代替となる価値を模索しようとする試みなのである。
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