▼日常▼あのサンフランシスコの電車の中で見た日々は。過ぎ去った日常を情緒的に描く短編『Commute』【月の裏側のビデオゲーム】
シーズンテーマ『日常』で特集しているタイトルです
Star St. Germainによるゲーム『Commute』はサンフランシスコを舞台にしたインタラクティブ・フィクションです。リンク先のサイトにて、ブラウザでプレイできる情緒的な短編です。
本作はbitsyというシンプルなゲームエンジンをベースにしていながら、その枠を超えるようなリッチなアートと、ニュアンスに満ちた語りを魅力としています。操作方法はシンプルでありつつ、ゲームならではの効果もはっきりと感じさせる作品であり、同時にbitsyの持つ表現力のひとつの到達点に触れることができます。
執筆 / 鳥の王国
編集 / 葛西祝
『Commute』は2022年に開催された「公共交通機関」をテーマにしたbitsyジャムの参加作品です。ゲームはサンフランシスコのシンボル、ゴールデン・ゲート・ブリッジを(おそらく)語り手が遠くから眺めているところから始まります。そこに一人称のダイアログが続き、サンフランシスコの市電を使って通勤していたころの思い出がゆっくりと語られていきます。
路線図や乗車券、駅や車窓を描いたピクセルアートを背景に、話者は呼びかけるようにして地下鉄への愛情を語ります。ですが、時間が経過していくにつれてだんだんと回想は自分のことへと移っていき、日々会社に向かいながらどこにもたどり着けないでいるもどかしさが高まります。その声は地下鉄が地下に入って車窓に自分の姿が映ったところでクライマックスに達し、最後は、いまだどこかに行けると思っていた、もう帰ることのできない過去を振り返って終わります。
こういった語りを支えているのが、シンプルでありながら意味のある操作です。ダイアログが出ていない画面では、プレイヤーは画面を進めるために右矢印キーを押す(モバイルなら右へスワイプする)必要があります。そうすることで画面の中の地下鉄が進み、カレンダーの日付が進みます。プレイヤーによる右矢印の連打はやがて、一定のパターンを刻み続ける音楽と一体となり、日々変わらずに繰り返される通勤のリズムそのものとなるのです。リフレインのように繰り返されるダイアログの存在も、この音楽的な効果を強めています。
本作は「サンフランシスコの公共交通機関へのラブレター」と説明されています。しかし、そのラブレターは現在形の恋を書いたものではなく、失われた過去を追想する、決して届かないラブレターのようです。bitsyというローファイなエンジンの持つノスタルジックな性格は、そのような内容を表現するうえでとてもふさわしく感じられます。音楽・映像・操作・媒体、すべてが語られる内容を支えている、稀有な作品と言えるでしょう。
最後に、本作の開発に使われたゲームエンジンのbitsyについて簡単に触れておきましょう。bitsyは2017年に開発者のAdam le douxが公開したツールで、専門的な知識がなくてもブラウザ上でピクセルゲームが作れることを特徴としています。
できあがるゲームは得てして簡素なグラフィックですが、そのミニマルさや手軽さが魅力となり、いまでも多くのゲームが作られています。参入しやすく、小さな作品に向いていることから、bitsyを用いたゲームジャムがたびたび開催されています。
作者のStar St. GermainはiOSゲーム『Holovista』の制作元であるAconiteの創設者のひとり。『80 Days』、『Heaven's Vault』のほか、『A Highland Song』などナラティブデザインの強いタイトルで知られるInkleにも、UI/UX デザインやトレーラーの制作などで関わっています。
Star St. Germainはつい先日の、2024年2月にもbitsyの派生エンジンbipsyを使った新作『Provenance』を公開しています。美術館を舞台に、芸術作品を取り巻く問題を繊細に表現した作品です。使える色が増えているため背景は前作以上に豪華ですが、作りとしてはむしろbitsyらしいウォーキングシミュレータとなっています。こちらも本作同様短い作品ですので、ふたつあわせてのプレイをおすすめします。
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