両目洞窟人間以外のビデオゲーム感応小説集 Inspire『龍が如く8』
人は0からものを生み出しているわけではない。自分の体験を元に作り出しているものだ。では、そんな元となる体験はビデオゲームからでも可能なのか? それが両目洞窟人間以外による、ゲームに感応した実験小説集。
今回のゲームは『龍が如く8』。新たなる舞台である熱帯の場所に感応し、不条理な物語が出現する。人が言葉も通じない場所に放置されたとき、どこへ行きつくのか……?
執筆 / 葛西祝
方言監修・全体チェック / 両目洞窟人間
「(聞き取れない言葉)キミヤス アサダ(聞き取れない言葉)」
光がやけに眩しく周りが蒸し暑い。動悸が収まらず呼吸が浅い。女の顔は逆光で影に染まり上手く見えない。影は彼女の細いシルエットを映し出し、ぼやけた輪郭をまとっている。
いま自分の名前が呼ばれた事だけがわかる。浅田は長いあいだアイマスクで目を塞がれていたせいか視界がぼやけており、頬を汗が流れるのを感じている。
「(聞き取れない言葉)」
女の喋る語尾が高い音程で終わった。なにか質問をしているらしい。浅田は反射的に首を横に振る。そして目を上下や左右に動かしてここがどこか探る。高く青い空の下。ビルの前。看板の文字はアルファベットらしいが何が書いてあるのかわからない。
ここがどこで何をすればいいのか。呼吸を整えようと息を吸いこむが空気が焼けており喉が蒸される。アスファルトが熱を持ち、石の鈍い匂いを発し、足が焼けていく。古着のTシャツの下で汗がとめどなく流れるのを感じる。なのに身体の奥が冷える感覚が消えない。浅田の動揺が体温を奪ってゆく。
「(聞き取れない言葉)(聞き取れない言葉)」
女が何かを喋り、右の手首を投げやりに上に跳ね上げる動作を繰り返している。浅田はジェスチャーから何が言いたいかを察した。あっちへ行ってほしい。
目が光に慣れ始め、ゆっくりと女の顔が見えてくる。浅黒い肌。東南アジアの人間だろうか。その表情は工場で出来立てのマネキンのように固い。ふざけるなよ。そう浅田は小さく呟いた。
ーーー
>「ふざけるなよ(怒りの絵文字)」という言葉が画面中央に大きなフォントで表示される。
ノゴマめちゃくちゃ口悪いやん
(スタジオの観覧席から笑い声)
>放映:2028年10月21日 場所:都内の番組スタジオ
>黄色とオレンジで装飾された鮮やかな美術セットが覆う。
>楕円形の白い机に男性2人、女性1人が座っている。3人はモニターを凝視している。
VTRでお母さんに恩返しがしたいとか、あの優しさ何だったの(笑い声)
こういう企画は人間が出ますね(語尾を伸ばす)
ノゴマいきなりホテルのチェックイン断るとか持ってないですね(語尾を伸ばす)
あのレベルの英語わからへんものなの(甲高い声)
>「あのレベルの英語わからへんものなの?」という言葉が画面下で大きなフォントで表示される。
足立さんはわかるんですか
いやいやいやわからへんけど
(スタジオの観覧席から軽い笑い声)
ホテルの女性もどうしよって感じでしたね(笑い声)
>ヤシの木が生えた路上をノゴマが歩いている。
「どうすればいいんだ(悲しみの絵文字)」という言葉が画面に大きなフォントで表示される。
(スタジオの観覧席から軽い笑い声)
ーーー
叫んだあと、この仕事に飛びついたのが間違いだったのかと浅田は思い始めていた。舌が乾ききっている。唾液で口の中を湿らせようとするが舌の真下からはわずかしか出ない。自分の唾液は生暖かく味もしない。
何か飲み物が欲しい。ポケットをまさぐるが財布もスマートフォンも何もない。あるのは「現地の人から芸で金を取って東京に戻れ」とレシートの裏に走り書きされたものだけだ。
レシートを見ると、2028年6月5日にサイダーを買ったらしい。打ち合わせでは初めての東京へのロケだと聞いていたのに。2か月ぶりの芸人の仕事で現地の下調べもしたがすべて台無しになった。
ヤシの木が太陽に照らされた熱によって独特の匂いを放つ。その匂いは、ここはどこでもない、お前のいるところではないと自分を跳ね除けるかのようだ。空の青みもさらに上空では暗いグラデーションがかかっているように見え、明るいのに闇の下へ閉じ込められたように感じる。
浅田は子供の頃、テレビやネットで活躍する芸能人を見ながら、彼らは自分の人生を制御できているものだと思っていた。母親が再婚する前の話だった。
夏、公園で蟻の行列や木に登る蝶の幼虫たちを見ながら「虫は自分たちのいる場所や、自分がやることに自覚なんてないんだろう」と浅田は考えていた。あの頃の暑さと柔らかい風が肌を撫でた感覚をまだ覚えている。学校の授業を聞いたり、母のスマートフォンで人気のYoutuberを見たりしながら、人間こそが自分の意志でやることを決められるものなのだと信じていた。
浅田は夏に外気が土と草木を熱することで生まれる匂いを嗅ぐたびに、子供の時に信じた気持ちを思い出す。しかし年齢を重ねるにつれて、自分の意思で場所や行動を選べる人間は、実は限られているのではないかと思うようになった。
見知らぬ街では黒い肌やブロンドの髪の人間が歩いており、聞きなれない言葉を話している。浅田は彼らに近づかないように歩く。身体の芯が冷え込むのを感じる。外気で肌が焼けるのに反して自分の吐く息がどこか冷たい。ヤシの木の影で身震いする。
15歳の頃に中学校で避妊について教えられたとき、咄嗟に「じゃあ、あれはどういうことだったんだ」と思った。浅田が思い出したのは小学校を卒業する前のことだ。
母が再婚する前後(相手はアパートの3つ隣の部屋に住む建設関係の男だ)で元の父親とどういう経緯で自分が生まれたのかを知った。かつて地元のガソリンスタンドでバイトをしていた母がどこかで元父親と付き合い、なし崩し的に妊娠・出産するかたちになったのが自分らしい。
親族と集まったときの話から、浅田は詳しい状況を断片的に知った。祖父によれば当時の母とは親戚は誰とも連絡がつかず、元父親は妊娠を知ると消息を断ったという。叔母によれば母とようやく話ができるようになったときにはもう産むしかなかったらしい。浅田は20歳を過ぎてから、叔母が言ったことは堕胎が可能な週数を過ぎていたという意味だと気づいた。
浅田は元父親がどういう人間なのか知らないままだ。当時の母の職場の人間か、学校の同級生か。周囲の人間らしいのはわかる。それより一緒に暮らしていたのかどこまで付き合っていたのかすらわからない。母も親族も話したがらない。
「相手のことを思いやったり、将来のことを考えたりするために、性のことは覚えておきましょう」と中学校の授業は締めくくられていた。
その言葉から浅田は母親と元父親のことを思い出し、「人間は成長しても人生をコントロールできないのではないか」という素朴な疑問を抱いた。公園にいる虫が自分自身で生きる自覚なんてないように、その場の生理的な反応で動くのは人間も変わりないのか? いずれにせよ自分の誕生が両親の人生の制御によって行われたものじゃないのは確かだった。
ここは子供の頃に感じた柔らかな夏の暑さと違う。見知らぬ場所の焼けるような熱は浅田がかつて抱いた疑問を陰鬱なかたちで際立たせる。コントロールできない状況下に自分がいる。ただその事実が浅田の鬱屈を深め、体力と気力をさらに奪い、その場に立っているのを難しくした。
ーーー
>「南国の中心でしゃがみ込むノゴマ」という女性のナレーションが流れる。
同じ言葉が大きなフォントで画面に表示される。
映画みたいに言うな(笑い声)
ノゴマは秋田以外を知らないですから
野島くんと同じ東北支部なん?
そうですね 異常な世間知らずとは聞いてます
言うてもノゴマあそこ行けておれより満喫してるまであるし
>「俺より満喫してる」という言葉が大きなフォントで画面に表示される。
足立さんは行ったことないんですか
いやまだ一回も言ったことないねん 円安が続いて
ノゴマのほうが経験あるみたいになってますよ(笑い声)
観光してる暇はなさそうですけど
>ノゴマが肩を落としながら海のほうへ歩く映像がモニターに映る。
>「どこがどうなってるんだよ」という言葉が大きなフォントで表示される。
(スタジオの観覧席から軽い笑い声)
ーーー
浅田のうつむいた顔から汗が何滴も流れ落ち、アスファルトの路上に小さな黒い円をいくつも生みだす。足元の蟻が黒い円を避けて通り過ぎる。
海へ向かう人々が話す聞きなれない言葉の数々。ところがその中で意味がわかる声が聴こえる。浅田の耳が反射的に逆立つ。
日本語だ。
すぐに顔を上げると、スカート型の黄色い水着を着た女の子ふたりが楽しそうに歩くのが見える。すみません、すみませんちょっと大丈夫ですか。ここはどこなんでしょう。浅田は必死で声をかける。ロングヘアを巻いた髪型の女の子が、急に停電にでもなったみたいに明るい声と表情を止めてこちらを振り向く。
「Iタモン・ビーチですけど」
いえすみません、この国はどこなんですか。浅田が質問を重ねると、もう一人のショートボブの女の子が驚いた顔になり、ロングの子に耳打ちする。小さな声だが浅田にも聴こえた。
「この事じゃない? 会議で聞いていたことって」
「あっヤバ。Iって言っちゃった」
ロングの子が苦笑まじりに答える。
「ごめんなさい。ここはグアムですよ」
ーーー
>「ええ~グアム!?(驚きの絵文字)」という言葉が大きなフォントで画面に表示される。
>「日本の事もよく知らないのにわかるわけない」という言葉が大きなフォントで画面に表示される。
どういうリアクション(笑い声)
こいつ秋田のことも知っとんのか不安になってきたわ
足立さん、その通りです
>「すいません。ついでなんですけど芸をやりますので面白かったらお金をもらえませんか」とノゴマが喋っている。
>ノゴマが何かを言いながらリズミカルに左手を上下させている。
顔が死んでる状態であのギャグは辛いですね
いや顔が生きてても辛いわ
(スタジオの観覧席から笑い声)
>「楽園の中で絶望感に打ちひしがれる、ノゴマ」と女性のナレーションが流れる。
>ノゴマが海を見ながら砂浜を歩く姿がロングショットで映される。
ーーー
砂の上に建つ木製のお店の看板にビールの絵が描いてある。スキンヘッドでお腹の出た白人の男が店の柵に寄りかかって笑う。隣では黒い肌の背が高いビキニの女性が小さく踊る。
柵の向こうで人が踊ったり、話したりする風景は小さな舞台を思わせた。浅田は中学の頃、祖父の家でのことを思い出した。祖父は母親が演劇をやっていたときのビデオを見せてくれた。その劇は大学のサークルを舞台にした安っぽい内容だったが、母がそうやって演じている瞬間はなにか人生をコントロールしているように見えたことを覚えている。
劇をやるためにガソリンスタンドのバイトをやっていたな、と祖父は静かに呟いた。なにかを演じたり作ったりする作業は、もしかしたら人生を少し制御することに繋がるのかもしれない。浅田はこの時からやってみたいことの方針を決めた。
中学の終わりから公立高校の2年くらいまでYoutuberやダンスなどいろいろ試した。最終的に芸人をやることに落ち着いた。決め手はネガティブなもので、家にお金もあまりなく、予算をかけずにできそうだと思ったからだ。それから、有名な東京の事務所がこの数年の間に地方にも支部を設立し、応募しやすくなったのも大きかった。
しかし浅田は事務所に入り、芸人になることで人生の制御ができたかというとそうではなく、むしろどんどん混乱を増していくのを感じていた。
ーーー
>「群れからはぐれたアリのように歩き回る、ノゴマ」と女性のナレーションが流れる。
(スタジオの観覧席から笑い声)
ーーー
そもそもトークで誰も笑わない。コントを作っても車で平坦な道を徐行しているみたいに起伏も勢いもない脚本しか書けない。なんとか芸として成立するものを必死に探した結果が、特定のフレーズをリズミカルに喋りながら両手を挙げる動きだった。
周囲の人間も飲み会でお笑い論を熱っぽく語っていた人間からどんどん辞めていき、気が付くとほとんどがコンビニで客に酒類の年齢確認を語りかける側に転向していた。浅田も収入のほとんどが駅近くにある居酒屋のアルバイトばかりになり、依然として人生を制御しきれない実感だけがあった。
それでも近い年齢の優れた芸人を見て、なにか人生を制御する希望を見いだそうとしていた。東京の事務所本部に所属する足立がそうだ。
関西出身の足立は30歳前後の若手の中で特に露出が多い。3か月後に彼がMCを務める新番組が始まる話も聞いた。最近は事務所の繋がりで公共事業のイベントにも出演したニュースもあり、広く活躍している。
ーーー
>(CM・男の声のナレーション)「私たちの暮らす日本を地平まで再生する。SDGsで地方を彩る新たなる道」
>朝焼けの中で、遠くで山が見え草原が広がっているCG映像。
>草の向こうから足立が現れる。
>足立が喋りかける。
>「未来は(強調する)ここからまた始まる(強調する)」
>「かもしれん(自信がないような雰囲気)」
ーーー
足立を悪く言う同期も多かったが、浅田は間違いなく人生をコントロールしている人間ということで注目していた。足立は国とも関わる活動から、自分の人生の先にある社会をもコントロールする可能性に手をかけているように思えた。
「(聞き取れない言葉)」
「(聞き取れない言葉)I(聞き取れない言葉)」
スキンヘッドの白人男性は何かを黒い肌の女と話している。浅田の耳にはほとんどの音が意味を捉えられない。しかし、無意識でひとつの言葉だけを聞き取っている。Iという言葉。
Iとは? 浅田はこの街の人間が喋る言葉から独立するみたいに語られる、たったひとつのアルファベットが気になった。なにかIという言葉を発する前後で、スキンヘッドの男が苦笑している。
「すみません、あの日本人ですか。日本人ですよね」
後ろからいきなり喋りかけられて全身が跳ね上がる。浅田が振りむくと、金髪の日本人の男が青ざめた顔でこちらを見ている。男の頭頂部が黒い。しばらく髪を染め直せていないのだろうか。まるで崩れたプリンみたいだ。
「いまお金もスマートフォンもなくって、どうにもならないんです、そこですみません、芸を見ていただいてお金をいただければと思うんですけど」
こちらが喋りかけるまえに、金髪の男は焦りからか自分の言いたいことを語り尽くす。なんだこれは? 浅田は自分も何も持っていないことを明かした。
「あなたも同じなんですか?」
同じ? 咄嗟に返答できない。ふたりの間で沈黙がしばらく続いたあと、金髪の男は「くそ、ふざけん……すみません」といって街の方へ立ち去って行った。
波の音が聴こえる。音が鳴っているのにずっと気がつかなかった。浅田は呆然としたせいか、むしろ息を整えられていた。日が傾きはじめ、少し涼しい風が肌を撫で、体温を下げる。
だが静かな波の音にまじり、一定のリズムで砂を削るような音が聴こえる。誰かが砂浜を走っている。音がどんどん大きくなる。黄色いニューエラのキャップの男がこちらに向かってくる。
「おい! ちょっと待て」
キャップの男が息を切らしながら吐き出すみたいに言う。浅田は突然のことに身体が固まり、また息が早くなってゆく。
「お前はノゴマのスケジュールとバッティングしてるんだよ! 早くIグアムから出ろ!」
ノゴマ? 名前を聞いた覚えはある気がする。キャップの男が浅田の腕を掴み、海岸から追い出そうとする。男の握力は強く、指が肉にめり込み骨にまで達し、浅田は鈍い声を上げる。
砂浜沿いの道路にオレンジ色のプロボックスバンが停まっている。運転席で四角い黒縁眼鏡をかけた口髭の男がこちらを睨んでいる。さっさと乗れ! キャップの男が浅田の背中を押す。
プロボックスバンのドアが開いた瞬間、タバコの鈍い匂いが鼻孔へ一斉に入る。車内に入ると、まるで全身まとわりついていた生ぬるい何かが一瞬で取れていくみたいな涼しい空気に満ちている。だが浅田の身体は動揺から熱したままだ。内蔵の辺りが煮えている。
「お前、上澄み君だっけ? 芸名これでいいっけ? とりあえずこれ飲んでいいや」
口髭の男が運転席からこちらへ振り向きながら、サイダーの500mlペットボトルを差し出す。その声はずいぶんと低く、感情が見えない。
はい、僕は上澄みという名前でやらせていただいてます。浅田は掠れる声で言った。
ーーー
>ノゴマがスキンヘッドの男と黒い肌の女に向かって、何かを喋りながら両手をリズミカルに上げる動きを見せる。
>「マネー、少しのマネー」とノゴマが放心した表情で言う。
>「マネー、少しのマネー」という言葉が大きなフォントで画面に表示される。
マネーはさすがに知ってんねや
さすがに英語がわからなすぎでしょ
ノゴマの変な金髪のせいで、あのギャグ汚いプリンが揺れてるように見えんねん
(スタジオの観覧席から軽い笑い声)
ーーー
「お前だめだよ。Iグアムは試験的にやってるんでさ。いまノゴマ使ってどこまで番組ができるかやってるんだから」
口髭の男はそう言うが、浅田は今どうなっているのか何もわからない。
「しかし上澄みくんのスケジュール決めたの誰だよ。2人も入れちゃまずいんだよ」
「企画上、こいつには何も知らされていないと思います」
キャップの男がそう返す。
「いいけど早く敷地から追い出さんと。おい上澄み君、それ飲んでいいんだって」
浅田は両手でサイダーを握ったままだ。はい、いただきますと呟き、ようやく蓋を開ける。空気が噴出する高音とともに、プロボックスバンにエンジンがかかる。
窓の外から海岸を見ると、太陽が水平線に近づいている。砂浜を歩く人々がその影を色濃くする。車がしばらく走る間、中では誰も口を開かない。浅田はサイダーを口に含む。すでに冷たさを失っておりその温度は体温に近い。ぬるい炭酸が舌を刺激しながら甘い味が口の中を満たす。ずっと渇いていた舌と喉が水分を吸い、潤うのを感じ、一息に飲み干した。
「はい、関係各社に問題ないとは思います。少々お待ちください」
口髭の男が運転しながら、スマートフォンでどこかへと連絡している。電話を終えると、広告代理店の連中はなんで観光気分でプロジェクトに参加できるんだよ、と吐き捨てるように言った。水着で海岸を歩いてるんじゃねえって。
見知らぬ言葉で書かれた文字が入ったビルや店が通り過ぎていくのを浅田は眺めていた。風景を眺めるうちに、浅田は「あっ」と小さく声を上げた。日本語の看板が見える。だんだんと日本語だけの街へと車が進んでいく。そこは見慣れた地方の枯れた街だ。浅田は窓の外から目線を外せない。
「山口県の海岸がこんな風に変わるとは思いませんでしたね」
キャップの男が小さく言う。山口? 浅田は窓の外を観続けながら、耳は彼らの言葉を聞くことに集中していた。口髭の男とキャップの男が長い話を始める。
ノゴマは本物のグアムだと思ってるんでしょうね。
パスポート無しで外国に芸人を置いてく企画が成立しないことすらわかんない、なかなかのバカは都内であんまりいなくなっちゃったしな。
でもIグアムの作りこみも異様なところあるじゃないですか。泡沫芸人じゃなくても騙されるかもとは思いますよ。
あいつだけじゃないよ。東京で番組作ってるタレント連中も納品する映像を本当にグアムと思っている。
うそでしょう?
ここまでにIグアムを使ったものを5本ほど納品したが、スタジオで疑っている奴はいないって。もう何年もグアムに行ける人間は限られてるんだ。なのに未だに行ける気軽な海外のイメージはこの40年間で変わらねえままだ。このイメージを守る為にやってる。
いくら円安でひどいことになったからって、そんなことあり得るんですか。
いまの芸人でそこそこの立場の奴でも稼げてないの知らない? そういう時代になっちゃったんだよ。足立とかあれ、年収1000万切ってるんだぜ。
夢もなにもないじゃないですか。
あいつらは何も知らないままいろんな仕事をやってる。そして知ろうともしない。
足立の事務所が国と関わるのは意外でしたけども。
それが地方の活性化やら外国人労働者の問題やらインバウンドやらの効果を一気に解決する観光地計画なんだろ。そうした課題解決のハブに芸能を使ってる。Iグアムはその皮切りなんだ。
あそこにいる外人も何かあると?
ハゲデブの白人見なかった?あいつをはじめ観光客兼、エキストラのバイトみたいな立場でより安価で日本に来てんだよ。東南アジアの奴とかもIグアムの運営に集中してるし。
しかしなんで東京のあの事務所が? 国に関わるというのはよろしくないんじゃないですか。
事務所も運営が大変なんだよ。意味不明に見える選択は単純に生存競争の結果なんだ。
(口髭の男がキャメルクラフトのタバコに火をつける)
しかしいくらなんでも茶番に見えますよ。偽のグアムで関係者が観光みたいなことしてるのもそうだし、こんなのがバレないと思っているのもそうだし。
別に国民にバレようが問題ないと踏んでいる。むしろ偽のよくできたグアムが日本で設立されたのって凄いってな。なんかゲームエンジンのUnreal Engineだっけ? それを使って街の図面を作ったのがほぼ100%実現できてよかったですとかこの前の会議で言ってるやつがいたもん。
そんなのコントみたいですよ。
そうだよ。ハコが馬鹿でかいコントなんだよ。脚本に始まりも終わりもなく観客席と演者の境目もない。Iグアム。イミテーション(imitation)のグアム。ある程度は偽のグアムで番組制作を行った後に徐々に「実は日本でリアルなグアムができていました」って解禁。日本各地の観光地の再開発化を加速させ、さらにインバウンドで稼ぐのに舵を切る計画なんじゃないの。言うなれば東京のあの事務所が国と組んで仕掛ける、国民に向けたドッキリなんだよ。
SNSの時代に無理でしょ。
そう無理。俺たちも事前に契約を結ばされたけど、おいおい情報は漏れてくるだろうな。グダグダになるのも織り込み済みなんだろ。
それで日本各地の観光地を再開発しますって絶対に失敗しますよ。
スタートの銃声が鳴った以上ゴールまで走り切る以外の選択肢がなくなったんだろう。
なんでこうなっちゃったんでしょうね。
俺も自分が何をやってるのかわからない。
事務所も国も自分が何してるかわかってないんじゃないかと思います。
「降りて」
プロボックスバンが駅前に停まり、口髭の男が浅田に千円札を二枚渡す。ドア開けたままでいいや、とキャップの男が言う。改札口の隣に浅黒い肌の男性と女性が3人いる。上澄みくん、帰り際にあいつらこっちに呼んできて、と口髭の男に頼まれる。
浅田は空のペットボトルを持ちながら浅黒い肌の男女の方へ歩いていく。目線は暗くなり始めた空に向けられている。足立すらも実際には何もわからないまま、コントロールできずに活動しているのではないかという事実が、なによりも浅田を揺るがしていた。
日本語、大丈夫ですか。あちらの車が、呼んでます。浅田が絞りだすような声で3人に言う。ありがとうございます。わかります。お待ちしていました。男がたどたどしい発音で言う。目や唇の雰囲気。ベトナムあたりの方だろうか。3人がプロボックスバンに乗り込むと、すぐに発車して遠くへと消えた。
太陽が沈み始め、今日最後の光を鈍く放つ。空が紫色と黄色のグラデーションを描く。街の影が色濃くなる。小さな建物の連なりは明確な輪郭を持つ黒いシルエットに変わり、風景と人との境目を消す。
すべては制御不能なまま動き、誰もが自分のやることが何かという自覚を持たない。それでも浅田は少しでもコントロールする手がかりを探す。浅田は駅の壁に寄りかかり、影と自分の区別が付かなくなるまで時が経つのを待った。
ーーー
(スタジオの観覧席から笑い声)
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