見出し画像

私はいつか、あなたと作家同士として話したい

私には幾人か、自分が小説家になったら作家同士として話したい人がいる。これはそのうちのひとりの方へ向けた、ラブレターのような、ファンレターのようなそういうもの。その人に、私の気持ちごと届けばいいなと思いながらこれを書く。

今回私が自分の気持ちを伝えたいその人は、清繭子さんである。

7月、清繭子さんがご自身初となるエッセイを刊行された。私が清さんを知ったのは好書好日で連載されている『小説家になりたい人が、なった人に聞いてみた。』の第一回を読んだときのこと。あれやこれや、励まされてきたことなどはこれまでも書いてきたので過去記事を漁ってもらうとして、今回はそのエッセイ『夢みるかかとにご飯つぶ』の感想を主に書いていこうと思う。

7月18日の発売日後、佐賀でも販売されるようになってすぐに買いに走ったというのに、読み終えたのがつい先日になってしまったのは、言い訳をさせてもらうと7月末の公募〆切に追われていたことと、その後一気に体調を崩したりしたことが原因で本を読めなくなっていたからだ。本を読めない、書けない、何も出来ない……そんな日々の中、勇気をもらうように少しずつ少しずつ読み進めた。

母になろうと、四十歳になろうと「何者か」になりたいと願う清さんのエッセイは、ユニークでありながらも泣ける。読んでいる間中ずっと、私は心の中で「清さんはもう『何者か』になっているよ」と思っていた。だって、あなたはもう、きっとたくさんの人の心を動かしているもの。私はその中のひとりで、清さんの言葉の数々に救われてきた。

帯の文言を見たとき、私はそこに書いてある言葉にも共感した。「何者か」になりたい。私は私に期待していたい。その気持ちは自分の中にずっとある。私はずっと「一廉の人」になることを子どもの頃から夢見ていて、そしてきっと自分はそうなるのだと信じて疑わずに生きてきた。

その自信はどこから来るんだよ、と時々自分でも思うけれどなんとなく自分は「一廉の人」になれるような、そんな気がいつもする。ピアノがあんまり上手くならなくても、クラリネットで挫折しても、教師になる夢を諦めても、それでもどこかで私はそのうち自分が「一廉の人」になる希望を捨てられない。

結婚をして、地元を離れ佐賀にやってきて子どもを産み、子どもを保育園に預けて仕事をしていく中で心身の調子を崩して休職することになったとき、私は救いが欲しかった。初めて小説を書いたのは10代の頃だったけれど、私は長らく書くことから離れていて、休職を機に書くことへ戻ってきたのだけれど、それはどこかで自分は書くことで救われるだろうと思ったからだった。

結果として私は書くことに救われているし、書くことによって知り合った人たちに救われている。清さんもそのひとりだ。

エッセイを読んでいる間、私は結構泣いていた。くすりと笑うときももちろんあったけれど、言葉が自分にどんどん染みこんでいって、それは私の中にある暗い気持ちをデトックスするように涙に変わった。

誰もがすでに「何者か」なのだ

夢見るかかとにご飯つぶより

その言葉が書いてあるページにたどりついたとき、私は嗚咽を漏らすくらいの勢いで泣いていた。そうか、私はもう「何者か」なのか――そう思ったら、私の人生も捨てたもんじゃないなと思えた。そのページにたどりついたときは正直鬱期まっさかりで、そんな鬱期まっさかりの中にやめればいいのに自分のトラウマと真っ向から向き合う小説を書いていたもんだから引っ張られて「もういっそ、消えてしまおうか」とまで思い詰めていたのだけれど、その言葉のおかげで私はちょっと持ち直した。清さん、あなたは恩人です。

本を読み終えてぱたんと閉じたとき、まず思ったのは清さんとお話してみたいということだった。いつかお話してみたい。そして次に、でもそれは清さんと私がどちらも小説家としてデビューしてからがいいなと思った。小説家同士として清さんとお話してみたい。あのとき、清さんの言葉に救われたんですよという話も、なにもかもそこで話したい。

すばらしいエッセイでした。笑えて、泣けて、励まされて。きっと私はこの先しんどくなったとき、この『夢見るかかとにご飯つぶ』をまた手に取ってそして読むと思うのです。そしてまた清さんの言葉に救われながら、書き始めるのだと思います。だから、最大級の感謝を清さんへ。


いいなと思ったら応援しよう!

苑田澪
よろしければサポートお願いします。いただいたサポートは小説を書く際の資料などに使わせていただきます。

この記事が参加している募集