霊能者として気持ちを整理してみる
自分たちはお金も取らず、時々、何やってるんだろうと思うことがあります。
忙しい本業の合間を縫って、毎日のように人様の霊障を対処し、それ以外にも術者である師匠の研究や実践を手伝ったり、ネットや本でいろんな情報や知識を収集して・・・ほんと莫大な時間をさいているように思います。
充実しているのかといえば、正直、実生活が充実している自分にとっては微妙だなと思うことも多いです。
本業で頑張れば、必ず誰かは認めてくれるけど、でも霊能者としては地下に潜りすぎていて誰かに認めてもらえる訳でもない。ひたすら孤独との戦いです。
でも師匠が助けたい人っていうのは、お世辞じゃなく本当にいい生き方をしている方が多いんです。地に足をつけてて、地道で。
だから師匠から連絡が来るとやるしかない。
たまに相談者の方から「ありがとうございます!」て言われると、もちろんやってよかったと思います。とにかく余計なことは考えず、一心不乱にやっています。
こんな感じで真っ当な師匠たちに囲まれ、霊能者として純粋培養されてしまった私は、この世の中に50万円で壺を売りつけたり、除霊で何百万もとるような人たちは過ぎ去った過去の産物のように思えていました。
子供の頃はよくワイドショーなどで話題を見かけてたけど、2000年代以降、そのような話題はめっきりみかけなくなっていたからです。
でも最近ネットの様々な記事を読ませていただいたり、テレビを賑わせている問題もあったりで、そういう宗教や霊能者が未だに存在していることを知りました。
とはいえ本当に厄介なのは壺とか除霊より、いわゆる和製英語での意味の「スピリチュアル」なのではないかと思います。
パワーストーン、ヒーリングやチャネリング系の講習、パワースポット巡りなど、世の中には大きなスピリチュアル市場ができていて、山のようにそういったコンテンツが溢れていますよね・・・
自分はこういうものに対するアレルギーがあります。
まともな人たちからしてみたら、霊能者を名乗る自分もそのようなコンテンツでお金儲けしている人たちと同列に見えるんだろうなと思います。
さらに以前に書いた記事「霊能力の開花前夜」でも書きましたが、霊媒師などは中世からずっと賎民の仕事だったと言われていて、この差別と偏見は昨日今日始まった訳ではないことも理解しています。
↓以前の記事
師匠いわく、この世は三千世界の他の場所と比べると特殊であると。
例えば霊界一つにしてみても、魂の種類や質が違うものは徹底的に分けられて存在していると。
ただ、この世はいろんな種類の魂や質の違うものたちが混在している。
だから、自分たちの言葉が通じない、思いが伝わらないものたちは一定数存在する。ましてやここ2000年くらいの間に作られた魂は若くて危うい。霊的な事柄は、ほぼ理解できないだろうと。それは魂の古さと質が違うからどうしようもないことなんだと。
だから、という訳ではないですが、師匠たちは表に出ませんし、自分もあまり表には出たくないという気持ちもあります。
じゃぁ、どうして自分は情報を発してるんだろうかと思って、少し考えてしまいました。
昔は霊的な障りなどは、集落単位の共同体の中で対処られてきたといいます。
共同体で禁じられた事項などは、意外と霊的な理にかなっていたようです。しかし今では、共同体意識もすっかり薄れて、そのような集落内での伝承や禁忌の類も廃れつつあるようです。
思わずこの前、柳田國男のこの本を買っちゃったんですが、スピリチュアルなことを勉強するより、よほど昔の知恵の方が役にやつ場合があるなと思ったんです。
実は私は、本業で里山の復興事業や、それに合わせた民俗学的な集落調査にも取り組んできたのですが、いろんな集落の人たちに「国の規模で人口減少は止められないんだから里山の集落なんて残そうと思っても無駄だ」と言われました。自分たちは諦めてると。
でも自分は「知恵はせめて残さないと」と主張していたのを覚えています。だから民俗学調査を重視していたようにも思います。いま思えばですが、無意識に共同体の「霊的な叡智」も途絶えさせてはいけないと感じていたからかもしれません。
東北のイタコさんはよく知られていますが、実は東北に限らず、霊障が共同体の中で対処されてきた事実は、遠い時代の話ではないんです。現代でも、さまざまな地域で民間信仰などと結びつきながら「霊障」というものが認識され、さまざまな能力を持った人たちによって対処されているという現実があります。私の師匠たちはそのような地域に根ざした人たちです。
このような集落の知恵は、前近代的などと馬鹿にされ、やはり現代社会では必要とされないのではないかと思うし、師匠から自分たちの集団のことはひみつにするように言われているので、すぐにでも情報発信はやめないといけないとは思うんですが。ただ心のどこかで「霊的なもの事を蔑ろにしてはいけない」ということをいろんな人に伝えたいという気持ちもあります。
怖がらせたい訳でもないですし、霊能者に頼るように促したい訳でもない。
ただ、このような霊ごとは、先人たちが大切に守ってきた生きる知恵であったと思うのです。
微力ながら、このような知恵の価値を発信していきたいなと思っています。
自分の体験記が誰かの何かの気づきに繋がれば嬉しいです。
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