「桃太郎」からみつめる多様性
――現代の「桃太郎」は鬼を退治する物語ではない。鬼と友達になる物語である
人生は物語。
どうも横山黎です。
作家として本を書いたり、木の家ゲストハウスのマネージャーをしたり、「Dream Dream Dream」という番組でラジオパーソナリティーとして活動したりしています。
今回は「「桃太郎」からみつめる多様性」というテーマで話していこうと思います。
🏨『桃太郎は盗人なのか?』
一昨日、カフェで小説を執筆していたら、目の前に並んでいた本のなかに僕の目には一際輝いて見えたものがありました。『桃太郎は盗人なのか?―「桃太郎」から考える鬼の正体―』という本です。
これは、小学5年生の女の子が桃太郎盗人説の真偽を明らかにすべく、全国の様々な「桃太郎」の物語を読み漁り、各時代の桃太郎像、鬼の正体について論述した研究をまとめた1冊です。ちなみにこの研究は社会的にも評価され、なんと文部科学大臣賞を受賞しています。
僕は大学の卒論のテーマに「桃太郎」を掲げるほど、一時期ブームになっていたことがありました。僕も僕で「桃太郎」についてめちゃくちゃ調べていたんです。『桃太郎は盗人なのか?』のことは認知していましたが、大学の図書館に所蔵されていなかったこともあり、手に取って読んだことはありませんでした。
偶然の巡り合わせで今、目の前にあるじゃないか!と歓喜して、その勢いで読破してしまいました。
なんとなく内容は知っていたので、特に真新しい情報を仕入れることはありませんでしたが、特に印象深かったのは、作者による最後の省察が書かれた箇所でした。
🏨大学院で「桃太郎」の授業をする
僕は大学卒業する前に、「BOOK TALK LIVE ”桃太郎”」というトークイベントを開きました。さっき卒論で「桃太郎」を研究したといいましたが、その内容を1時間かけて語りにいくイベントです。個人的に開催した卒論発表会ともいえるでしょう。
そのなかで現代の「桃太郎」の内容を踏まえ、今の時代に求められているヒーローとは多様性を尊重する存在であると語りました。
倉持さんの言葉にあったように、たとえ自分と違う部分があるからといって、排除したり、差別したり、退治するのではなく、その違いを受け止めて、面白がって、認め合う必要があると考えたのです。現代の「桃太郎」は鬼を退治する物語ではない。鬼と友達になる物語であると語ったのです。
このイベントは大学のダイバーシティ推進室の方々の目に止まり、後日取材を受けました。その内容は以下の記事にまとまっているので是非ご覧になっていただきたいんですが、話はここからです。
そのダイバーシティ推進室の記事を読んで下さった大学の教授が、僕や僕のイベントのことを知ってくれて、今度開講する「学校における多様性の受容と活用」の授業のゲストティーチャーとして僕に声をかけてくださったんです。
授業当日が来週の10月31日で、昨日構想を練っていました。もちろんここで題材にするのは「桃太郎」。「桃太郎」からみつめる「多様性」というテーマで、80分~90分の授業を展開しにいきます。
🏨「桃太郎」からみつめる「多様性」
僕は自分が人と違うように生きていきたいと意識しているからか、他人との違いに寛容的な一面があります。僕自身が異なろうとしているわけで、そもそも僕と同じ、似ている考え、価値観の人にそうそう出会えないんだから、違いを受け止めた方がストレスがないよね、という思考の流れです。
中1の時点で「正義はその人の心の中にある」と結論付け、中2の頃にコブクロの「ここにしか咲かない花」のフレーズ「雨上がりの道は泥濘むけれど今ここに生きている証を刻むよ」が座右の銘となり、高2のときにオリラジのあっちゃんが持論を展開する番組の中で言い放った「優れるな、異なれ」という名言が心のコンパスになった僕にとって、「他人と違うこと」は当たり前であって、自分と違うというだけで袋叩きにしたり、汚い言葉を浴びせるのは理解ができなかったんですよね。
あなたと考えることが、感じるものが違っているだけだから、そっとしてあげなよと思ってしまうんですよね。
ダイバーシティが謳われてからもう何年も経ったこともあり、人との違いを受け入れる動きは生まれているし、教育界でもそれが指針となっていたりしています。
ただ、どうして多様性を尊重するという姿勢が大切なのか、ふわっと捉えているだけの人も多いと思うので、僕は「桃太郎」の物語の力を借りて、「学校における多様性の受容と活用」の授業を展開していくつもりです。最後まで読んで下さり、ありがとうございました。
20241025 横山黎
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