あの頃、桃太郎は戦争に行った。
この時期につくられた『桃太郎』は、戦争プロパガンダとして政治利用されていたのです。
【#170】20211217
人生は物語。
どうも横山黎です。
作家を目指す大学生が思ったこと、考えたことを物語っていきます。是非、最後まで読んでいってください。
今回は、「戦争期の『桃太郎』」というテーマで話していこうと思います。
☆日本初の長編アニメ映画は『桃太郎』
前回の記事でも最後に触れたのですが、実は、日本初の長編アニメ映画はあの『桃太郎』だったことご存じでした?
僕も初めて知ったとき、「ええっ!?」ってなりました。最近『桃太郎』がマイブームの僕からしたら、面白すぎる豆知識です。今日はそんな話からしていこうと思います。
作品のタイトルは『桃太郎と海鷲』。公開されたのは、1943年のこと。ご存じの通り、戦争のまっただなかです。そんな時代につくられた映画ですから、そのときの空気感を詰め込んだ作品となっております。
当時の子どもたちの戦意を高揚させるためにつくられたもので、真珠湾攻撃を題材に扱っています。桃太郎で、真珠湾攻撃ってどういうこと?どういう組み合わせ?と思われるかもしれませんが、この映画では桃太郎、戦闘機に乗っています。敵国――この場合、アメリカですが――を「鬼ヶ島」とし、侵略行為を「鬼退治」と見立てています。
真珠湾攻撃での戦果を切り取って、これからもみんなで頑張ろう!戦争に勝とう!というメッセージが込められています。
このように、この時期につくられた『桃太郎』は、戦争プロパガンダとして政治利用されていたのです。
☆世界の悪魔を払う桃太郎
では、まずは『桃太郎遠征記』という話を紹介します。
『少女俱楽部』という児童雑誌に13回にもわたって連載された物語です。1933年~1934年の頃の作品なのですが、物語にも表現にも、戦争の色に染まっているのが分かると思います。
まず物語についてですが、基本的な構造は変わらないんですが、ところどころ違います。たとえば桃太郎が鬼退治にいく動機がかなりちゃんと説明されます。
「今日頑吉や八蔵の一件で、僕はつくづく考へました。こんな風では今にこの村が亡んでしまひます。それを防がうとして頑吉や八蔵を責めたところで何にもなりません。河には源があります。源を塞げば悪い河はかれます。鬼の国から流れて来る悪い病は先づ源の鬼の国を征伐して、みんな日本風にしてしまはなければなりません。僕はもう十五歳です。男は十五歳になれば、国の為を考へなきやなりません。僕は日本のため大和村のために、どうしても征伐に行きたいのです。」
(引用:佐藤紅緑『桃太郎遠征記』)
ちなみに頑吉や八蔵というのは、村の人で、外国に行ったから悪事に走ってしまった過去を持ちます。それを受け、桃太郎は諸悪の根源である外国=鬼の国を征伐して、日本の色に染めなければいけないと説いているのです。
外国を一方的に悪と決めつけ、侵略行為に正当性を見出していることが分かると思います。
桃太郎の提案を受けて、はじめこそおじいさんは悩みますが、果てにはそれを認めました。そのときのおじいさんの台詞がこれです。
「考へてみると、お前は神様の授かりものだ。日本の国威を輝かし、世界の悪魔を払ふために神様が授けて下すつたのだ。お前に別れるのは辛いが、自分の辛い事などは考へてゐられない。お国のためだ、さうだ。お国のためならどんなことでも忍ばなきゃならん。私はかう覚悟した。」
(引用:佐藤紅緑『桃太郎遠征記』)
言わなくてもひっかかるところがあったと思います。異様なほどに「日本」を強調していますよね。桃太郎は世界を改善していくために神から選ばれた者で、お国のために身を捧げる英雄だと言っているのです。
他にも、至るところでそのような表現が見られます。物語も、世界のあらゆる国を征伐して、全世界に日本の誇りを示してめでたしめでたしという終わりです。
☆桃太郎、大量発生
さらに、狂気的な詩を紹介したいと思います。
百田宗治という作家の書いた『桃太郎出陣』という詩なんですが、読むだけで、えも言えぬ恐ろしさを覚えます。
桃太郎は産まれた。
あちらでも こちらでも
桃太郎が産まれた。
――おぎゃあ、
――おぎゃあ、
(引用:百田宗治『桃太郎出陣』)
以上のようなこんな書き出しから始まるんですが、「あちらでも こちらでも」という言葉に「ん?」って思われたのではないでしょうか。
そうなんですよ。この詩は、いたるところで桃太郎が産まれ、出陣するストーリーが描かれているんです。もうね、読むにつれて気持ち悪くなってきます(笑)『桃太郎』が大量発生して、顔がひきつりました。数えてみたら、詩全体で35回も「桃太郎」が使われていました。決して長くない詩に、35回も「桃太郎」が登場するんですよ。もう、こわいこわい。
「日本ぢゆうの子供が桃太郎になる」とか「あの子も桃太郎になつた。この子も桃太郎になつた。」とか、狂気的なフレーズばかり登場します。果てには、「ガニマタの桃太郎」や「三角頭の桃太郎」が出てきます。
詩を読んで、こんな気持ちになったのは初めてです。
それほど、時代が切迫していたということです。実は、この詩が書かれたのは、1944年。その頃はすでに、日本は敗戦の兆しがちらついていました。というか、かなり危機的な状況でした。どうあがいても負けるしか道がないと分かっていても、目をつぶって、国民を道連れに戦争を続けました。
今の中学生くらいの年齢で「少年兵」として戦場へ駆り出され、小さな命があっけなく散っていくような惨劇が繰り返されていました。どうあがいても負けるのに、どれだけの犠牲を払ってでも、狂うように戦争を続けていたのです。
その狂気的な空気感が、この詩にはパンパンに詰まっているなあと感じました。時を越えて、21世紀を生きる僕の心を脅かすほど、生々しく、時代を綴った詩であると思いました。
☆軍国主義の『桃太郎』
今回は、「戦争期の『桃太郎』」について話してきました。
少ない例しか挙げることはできませんでしたが、インパクトのある作品ばかりだったのではないでしょうか。平和な世界を生きる僕らは戦争という概念からは遠い場所にいて、その輪郭すらとらえることができないけれど、文学をはじめ、形あるものには当時の全てが刻み込まれていて、レガシーとなっていることを再認識しました。
最近は、『桃太郎』についてひたすら調べているんですが、それは、新しい『桃太郎』をつくりたいからです。時代によって桃太郎が担うものは変わってきたし、物語にも変化が見られます。その歴史をふまえて、今後求められる『桃太郎』の物語があるのではないかと考え、自分で書いてみることにしました。
テーマは「共生」
共に生きること、です。
このテーマにも通じるんですが、新しい『桃太郎』をnoteで共同制作しようと考えています。基本的にはコメント欄を通じてやりとりしていこうと考えています。
興味を持たれた方は、是非、下のマガジンを覗いみてください。
最後まで読んで下さりありがとうございました。
横山黎でした。