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【教育論】教室の机の配置に疑問を持つ
――黒板に向かって列をなす机の配置は少数派ですし、海外の教室では対話が生まれるように机が配置されています。
人生は物語。
どうも横山黎です。
今回は「教室の机の配置に疑問を持つ」というテーマで話していこうと思います。
◆教室の机の配置
普段は創作に関する記事を投稿しているのですが、実は僕は教育学部の大学生でして、現在教育実習中ということもあり、教育に関する記事を投稿しています。
今回は授業の仕方についてでも生徒との関わり方についてでもありません。教室の机の配置についてです。そう聞いてみなさんがぱっと思い浮かべるのは、次のような光景ではないでしょうか。
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黒板に向かって6列に並んだ机が教室の後方まで伸びている、そんな光景。生徒はみんな黒板の方を向くことになります。
今回僕が述べていくのは、この机の配置に疑問を持っているという話です。結論からいうと、コの字の形にするべきじゃない?です。
◆生徒対教師じゃない
どうして、生徒全員が黒板の方を向くようになる机の配置に違和感を覚えるのでしょうか。まずはそこから話していこうと思います。
黒板の方を向く、ということは、それはつまり教師の方を向くということです。基本的に黒板の前に立って教師は授業をするわけですから、当然といえば当然です。
教師の話を聴く。
教師が黒板に書いたことをノートに写す。
そういった活動を行うには適した机の配置かもしれません。しかし、今の教育の目指すべき学びの形を踏まえると、そもそもそういった活動をすることが求められているのか、根本的な見直しをする必要があることに気付かされます。
「主体的・対話的で深い学び」という言葉を聞いたことがあるのではないでしょうか。昨今の教育界に飛び交うキーフレーズです。Wi-Fiよりも飛んでいます(笑)
「生徒が自ら考え、他者と対話し、より深い学びを実現する」
端的にまとめると、こんな感じです。つまり、今の教育は、学校は、教師は、生徒がこの目標に向かって学習に取り組む姿勢を養わなければいけないということです。
ここでいう「他者」というのは、教師だけではありません。むしろ他の生徒と対話することが求められています。生徒たちの間で、自ら考えたことを共有し、それを振り返る活動を設定することで、「主体的・対話的で深い学び」を実現することができるのです。
そう考えるとですよ、机の配置があれでいいはずがありません。従来の教室の配置は、「生徒対教師」を顕著に視覚化しており、生徒間の対話を生みにくくなっていると考えます。「生徒対生徒」を分かりやすく視覚化するには、生徒同士が向き合うコの字型にするべきではないでしょうか。
◆机がコの字型の教室
ちなみに、僕が小学校5年生と6年生の担任を持っていた教師は、机の配置をコの字型にしていました。対話が求められる活動をするときに机を動かしていたわけではありません。日頃からずっとコの字型です。ホームルームも休み時間もずっとコの字型でした。
当時の僕は、「へえ、コの字型か、面白いなあ」くらいにしか思っていなかったと思いますが、今振り返ると、生徒同士が向き合う机の配置にすることで、生徒間の対話を自然と生むねらいが、あの教師にはあったのかもしれないと推察することができます。
もうかれこれ10年近く前のことで、「主体的・対話的で深い学び」が謳われるより前の出来事でしたが、あの教師は次に求められる力を把握していたのかもしれません。
さて、耳にタコができるほど「主体的・対話的で深い学び」が謳われるようになった今、授業の形態やICTの積極的な導入で生徒の主体性や対話に重きを置くようになってきましたが、それでも机の配置は変わりません。
面白い記事を見つけました。海外の教室の机の配置に関しての記事です。黒板に向かって列をなす机の配置は少数派ですし、海外の教室では対話が生まれるように机が配置されています。
冒頭申しました通り、僕は今、教育実習中でして、国語の授業を担当しています。ある説明文を取り扱っているのですが、最後の時間にはその説明文に基づいた自分の考えを生徒間で共有するために、ワイドショーのコメンテーターになろうという言語活動を予定しています。
その言語活動を充実したものにするためにはどんな工夫をすればいいのか、授業の中で生徒たちと考えていくつもりです。
僕の言いたいこと、もう分かりますよね。
日本の教室のように、ある一方向に向かって席が配置されているワイドショーを観たことがありますか?(笑)
教室の配置に疑問を持たせて、対話的な配置になるような流れをつくっていきたいです。そして、「主体的・対話的で深い学び」の実現に向けて、授業を展開していきたいです。
最後まで読んで下さりありがとうございました。
20220909 横山黎