いろんなことにつまずくから、またそこで考えて感じて、動き出すことが生きていること
人から誰かの話を聴いたり、どこかへ行った話を聴いて興味が沸いたら、私は自分の感覚で確かめることにしています。すぐに身についた習慣ではありませんが、人の感覚と自分の感覚は同じではないことや人を介することでフィルターがかかる事を幾度となく体験する事で、自分感覚のアンテナを磨いてきました。
それが正しいのかどうなのかはわからないけれど、人への感覚は情報だけではわからないニュアンスが良く伝わってきますし、言葉だけではわからない雰囲気だったり、仕草だったり、声の調子だったりといろいろなことがわかります。そして直感的に自分にとって歩み寄れるタイプなのか、ちょっと苦手なタイプなのか、なんだかわからないけれどとても魅力的に感じたり、これもなんだかわからないけれどこの人とは関わらない方がいいと感じたりもします。ですから、私にとっては自分感覚で確かめるということはとても大切なことです。
知らない土地への旅も同じです。きっと人様が素敵だという観光名所のポイントがずれているのか、自分感覚のなんでもないものに心惹かれたり、お日様のタイミングで朝日だったり真っ赤な夕日だったりが大事だったり、そこですれ違った土地の人の何かに妙に惹かれたりします。大通りではない、狭い路地の建物の影が魅力的に見えたり、その土地でしか聞けないような音楽や音が妙に気になったりします。
初めての海外がたまたまヨガの勉強のためのインドでした。当時はまだまだ若者旅がそんなには流行っていない頃でした。見るもの聞くもの香るもの全てに衝撃を受けながらも一番美味しかったのは、土地の人が長距離バスのバスストップの屋台のようなお店で食べたカレーでした。日本人が聞くととても嫌がる感覚ですが、ご馳走目当てにハエが飛んでくるのを片手で払いながらもう片方の手で食べたカレーが今でも忘れられません。ヨガは当然できるものという感じで、修行道場のようなところで体験しましたが、朝早くからすぐに頭頂を使っての逆立ちで、「これが当たり前感覚なのね」とびっくりしました。日本のヨガは日本人ようにしっかりとアレンジされてとても親切に流れが作られているのを今でも感じます。
きっと予期せぬ何かがワクワクするのかもしれません。自分の枠を超えて思わぬことに遭遇する中で広がっていく感覚が好きなのだと思います。ですから今でも気になることは、やっぱり生身の人間を持って感じてみたいのです。それが生きているということだし、やっぱり面白いと思うのです。成功体験ばっかりではないけれど、いろんなことにつまずくからまたそこで考えて感じて動き出すことが生きていることだと思うのです。