7日間ブックカバーチャレンジ DAY 7
トマス・モア(1516)『ユートピア』(平井正穂訳、岩波書店〈岩波文庫〉、1957年/『改版 ユートピア』澤田昭夫訳、中央公論新社〈中公文庫〉、1993年)
「ユートピア(Utopia)」——人々に不思議な幻想を抱かせるこの語は、本書の著者トマス・モアが考案したものだ。日本語では「理想郷」と訳されるが、日本人はこの時代、まだ「理想」という語を持ち合わせていなかった。日本語の言葉として概念化され人口に膾炙するまでには、明治時代に哲学者の西周が"idea"の訳語として創り出すまで待たねばならない。
本書は後半(第二巻)が見どころだ。当時のイギリスで行われた農地囲い込みを「人間を食らう羊」と揶揄するなど直接的に社会を批判する前半(第一巻)と対照的に、賢人ラファエルがユートピア島についての話をするという体裁をとっており、著者モアがユートピアに社会への間接的なメッセージを込めているのがわかる。そこには、島の地理、社会風俗や制度、法律、軍事、宗教などユートピアの様々な特徴が描かれている。その中から、いくつか興味深い部分を紹介したい。
家の裏側は、通りの長さにわたる広い庭と接しており、それは別の家並みの裏面で囲まれています。通りに面した玄関のほかに、庭に面した裏口をもっていない家はありません。さらに扉は二枚戸で、手でちょっと触れるだけで開くようになっており、それから自然にまたしまり、だれでもはいれるようになっています。これほどにまで、どこへいってもプライバシーというものがないのです。
(中公文庫版 p.127、太字筆者)
彼ら(ユートピア人)は夜も含めて一日を二十四時間に等分し、そのうち六時間だけを仕事にあてます。
(同上 p.135、太字筆者)
その理由(筆者注:労働時間が短い理由)は、あそこの社会制度がなによりもまずつぎのただ一つの目標を追求しているということにあります。すなわち全市民に対して、公共の必要という点から許されるかぎり最大限の時間を、肉体労役分から解放し、精神の自由と教養のために確保することです。そこ(精神の自由教養)にこそ人生の幸福があると彼らは考えているのです。
(同上 p.141、太字筆者)
つまり彼ら(筆者注:ユートピア人)は、非常に優雅でしかも安い土器やガラスの食器で飲んだり食べたりし、金や銀では、共同ホールでも私人の家でも使われる便器とか、最も汚ない用途にあてるその他の容器を作るのです。[…]彼らは、自分たちの社会では金銀を恥ずべきものするようにあらゆる手段を用いてつとめています。
(同上 pp.156-157)
なお、この作品ではモア自身も登場し、ラファエルの話を聴いている。ユートピアを称揚するラファエルに対して、その話の後にこう述べている。
けれどもその前に、「この問題についてもっと深く考え、そのうえでいっしょにもっとくわしく話しあう時がまたあるでしょうね」といった。[…]彼(筆者注:ラファエル)が語ったことのすべてについて同意することは私(筆者注:モア)にはどうしてもできないけれども、今私が容易に認めるのは、ユートピアの社会には、諸都市に対して、よりただしくいうならば、実現の希望を寄せるというよりも、願望したいものがたくさんあるということです。
(同上 pp.245-246、太字筆者)
「理想」とは何だろうか。何が満たされれば、「理想」と言えるのだろうか。
例えば、本書で奴隷についてのあり方が書かれている。近代になり人権を侵害するいかなる奴隷制度も許さないようになったが、それでは奴隷制度が廃止された近代社会はユートピアなのか。
本書は、通時的/共時的な理想の不在を我々に説いているのではないだろうか。