7日間ブックカバーチャレンジ DAY 2
アルトゥール・ショーペンハウアー(1851)『読書について』(『読書について 他二篇』斎藤忍随訳、岩波書店〈岩波文庫〉、1960年/鈴木芳子訳、光文社〈光文社古典新訳文庫〉、2013年ほか)
本を読むとは、自分の頭ではなく、他人の頭で考えることだ。(光文社古典新訳文庫、p.14)
この一文に代表されるように、本書は数ある読書論の中でも読書を批判したものとして有名だ。
「読書文化の普及に貢献する」という趣旨の手前、この本を紹介することは御法度だと思われるかもしれない。しかし、その主眼は読書の否定ではなく、
本を読んでも、自分の血となり肉となることができるのは、反芻し、じっくり考えたことだけだ(同上、p.140)
悪書から被るものはどんなに少なくとも、少なすぎることはなく、良書はどんなに頻繁に読んでも、読みすぎることはない(同上、p.145)
とわかれば、いくらか誤解を解くことはできるかもしれない。
本書は、エッセイ集と言える『余禄と補遺』の中の三篇「自分の頭で考える」「著述と文体について」「読書について」の訳出であり、同著からはほかに『女について』『幸福について』『知性について』『自殺について』が邦訳として出版されている(解説より)。
原著のタイトルから、主著『意志と表象としての世界』の「おまけ」のようにとらえてしまうが、この体裁をとったのはショーペンハウアーが敬愛した物理学者リヒテンベルクの影響かもしれないということが解説から読み取れる。事実として、『余禄と補遺』は『意志と表象としての世界』の30年以上後に刊行されており、まさにショーペンハウアーの集大成といえる作品である。
ショーペンハウアーのおもしろさは、その「生き生きとした厭世観」にあるだろう。漫然とした読書の弊害のみならず、大衆文化に同化する学者や母国語であるドイツ語の文法の乱れをも辛辣な言葉で痛烈に批判している。しかし、不思議なことに不愉快には感じない。巧みな比喩を駆使しており、ふっと笑ってしまうようなユーモアがあるからだ。
理性主義のヘーゲルに立ち向かい、人間の非合理性を受容する「生の哲学」の潮流を生み出したショーペンハウアーの思想は、ゲーテやワーグナーといった同時代を生きた人々や、ニーチェをはじめとする後世の哲学者に大きな影響を与えたという。
舌鋒鋭く耳の痛くなる指摘も少なくないが、引き込まれるように読んでしまう。ショーペンハウアーのペシミズムは、かくも魅力に満ちあふれているのだ。