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7日間ブックカバーチャレンジ DAY 6

トニ・モリスン(2017)『「他者」の起源:ノーベル賞作家のハーバード連続講演録』(森本あんり解説・荒このみ訳、集英社〈集英社新書〉、2019年)

 トニ・モリスンの小説を初めて手にとったとき、恥ずかしながら彼女がアメリカを代表する黒人文学の作家で、ノーベル文学賞をはじめとする多くの賞を受賞したことを存じ上げなかった。ただ、直截な言葉による現実の告発とその言葉に込められた虚構への安易な逃げを許さない凄みに圧倒されたのを覚えている。

 人種問題に触れずしてアメリカの歴史を語ることはできない。人種差別の撤廃が公民権法や投票権法といった形で明文化されてから半世紀以上が経った。もはや保守・リベラルともに、当然のようにポリティカル・コレクトネス(政治的正しさ)として受け入れられている。それにもかかわらず、今日でさえも人々のしぐさに、言葉に、まなざしに、その名残がある。モリスンの問いはこれだ。

いかにして人間は、非人種的な子宮から人種主義を育む子宮へ移動するのか。愛される側にしろ嫌われる側にしろ、いかにして人種的屈折のある存在になるのか人種とは(発生学的想像力のほか)いったい何なのかなぜ問題なのか?そのパラメーター(助変数)がわかり、定義されたら(可能であればだが)、いったいどのような行動様式が要求され、あるいは奨励されるのか
(pp.42-43、太字筆者)


 「一滴の血」という表現に象徴されるように、カラー(肌の色)が社会的にイデオロギーとして作用するアメリカ特有の現象を指して、モリスンは「カラー主義」という言葉を用いている。そして、それが社会の写し鏡たる文学作品にも反映され、物語の中に「カラー」が取り込まれていることに注目している。

 しかし、モリスンは「非カラー主義」を称賛しているわけではない。むしろ、「カラー」を忌み嫌うものとして過度にこだわる場合、これを「カラー・フェティッシュ(肌の色への病的執着)」として厳しく注意している。
 いわく、こうである。

けれどもわたしは、安っぽい人種主義を骨抜きにして、ありきたりの、お気軽に手に入る「カラー・フェティッシュ」を無化して、信用に値しないものに変えようと決意をしているのだ。それは奴隷制度の名残そのものなのだから
(p.79、太字筆者)


 モリスンは、アメリカ文学の〈ロマンス化〉の背景に奴隷たちによる反抗への恐怖を指摘し、そこに描かれた白人と黒人の関係が美化されすぎていると批判する。一般に、「黒人(black)」は「アフリカ系アメリカ人(African-American)」という呼称が政治的に正しいとされる。しかし、モリスンは自ら「黒人」という表現を用いている

 訳者解説には、リアリストとして奮立するモリスンの主意がつづられている。

文学はそのようなイデオロギーとは関係なく普遍的でなければならない、という批判があるかもしれません。けれどもモリスンは、そのような考えは間違いであると断言します。人種に惑わされないアメリカ文学などはありえない、人種イデオロギーを無視すれば、それは「文学のロボトミー化」(『暗闇』)であり、文学を矮小化することになると批判します。
(p.171、太字筆者)


 本講演ではモリスンの過去の著作からの引用もあり、そのつどモリスン自身による解説が加えられている。まだ作品を読んだことのない方、あるいはチャレンジしたが本意を読み取ることができなかったという方には、ぜひお手にとっていただきたい。


 最後に、このような質問を投げかけてみたい。政治哲学者のハンナ・アーレントは、活動は人間の「多数性」に関係するものであり、政治は多数性に基づくと言った。活動とはすなわち政治的行為であるのだ。
 さて、あなたならどのような選択をするだろうか。

 あなたが入ったレストランでは、席が2つだけ空いていました。1つは2人の白人が座っているカウンター席の隣、もう1つはテーブル席に座っている1人の黒人との相席です。
 あなたはどちらの席に座りますか?それとも、そのレストランを出て新しい店を探しますか?

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