⑥奥行きのあるものづくり
ものづくりの際に、森羅万象やこの世の神秘も包含した概念としての「自然」、これを代表しているものが、「素材」 。
素材の断片一つ一つの多様な表情、その「個別性」はこの世界の ゆらぎ に依るところが大きい。
この「個別性」は、種々に異なる現実の微細な違いのことを指す。その微細な現実に「素材」の「自然」がある。
素材を活かすという発想により、丈夫で長持ち、壊れにくく、なおかつ肌触りなどの”質”も良く、その結果として美しい、というような洗練された "機能性" が生じるように思う。
そしてその機能性は、天然の素材を素材の特質に沿って使うからこそ生まれるものであり、これは機能性をつきつめた姿に『美』が宿る1つの例と言えよう。
また、『用』について、その機能性をつきつめると、良い 天然の 素材へと行き着くであろうことが、柳宗悦の論の切れ端より伺える。
私たちのもつ個別の感性、つまりわれわれの 身体 がもつ ゆらぎ が表す「好み」や「理想形」によって、繰り返し同じ上質さを再現しようとする性向が生まれる。そしてその個別性の型に沿って、天然の素材たちを、ある程度均一に加工し、自身にとって最上である 『素材 ’ 』をつくる。
そのとき均された『素材 ’ 』は、単純な(例えば無地の色などの)様相を呈していたとしても、そこには、自然のもつ多様な個別の素材の風合いを含んだ複雑性 を持ち、決して "単調" な素材とは言えない。多くの含みを持つ。
この意味深な単純さと向き合うとき、人は自分の内の個別の声と、『素材 ’ 』の含む無数の声を聞き、その関係性の中、そこに『己』を見る。
つくる人と使う人の一致するところ、見るものと見られるものの合一は、人間と自然が【融合】する普遍的な瞬間によって、生まれるらしい。
自然と切り離され、さまようしか無くなった「自我」を、よそよそしい偽りの日々より引き離し、生命力のある、自然の中の繊細な「個別性」と、そして奥行きの世界に潜む「普遍」へと還す。
その目的のためには、 身体 から立ち昇る 個別性( ゆらぎ )と、自然・素材のもつ 個別性( ゆらぎ )の間(あいだ)の中の『己』の存立を見届け、自らの身体性( ここでは 「理由の無い好み」 と言い換えることができる )を自然・素材にさらけ出し、ぶちまけ、そうして野性と神性の邂逅を果たした先の一滴の被造物がそこに無限のいのちをもたらすのでしょう
我々が自然・素材と向き合い、自らと自然の間に立ち現れるものに心を開くとき、己の奥行き、自然の奥行き、その奥行きの世界が滲み始める。 それを普遍と呼ぶ。
参考: 二十一世紀民藝 一 . 直観
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