見出し画像

介護の傍ら畑仕事

 小さいときは畑仕事が大嫌いでした。父が兄を連れて畑に行くとき私は何とか畑仕事から逃れたくて、いつも母を味方にして店当番をしていました。店にはたくさんのお菓子とジュースも置いてましたのでお客様が店に来られる度にお菓子を食べていました。楽な店番ばかりしていたのです。
 そんな私が桜島での農業を経験してから土に触れる喜びを全身に感じ虜になってしまいました。風の香り、木々や草々を通り抜ける音の違い、吹き荒れるエネルギー今まで意識しなかった世界が毎日現れ、毎日変化して、意識をすることで世界が広がったのです。太陽に照らされた山の色が太陽が移動していくうちに段々と深く濃い緑に変化していく様は美しさと程遠く不気味な感じがしました。一人で畑にいるとき不気味な山から何かが出てきそうで怖い思いもしましたがそれ以上に朝焼け、夕焼けの神秘的な色の広がりに心を鷲掴みにされました。自然がこれほど人の心に入ってくるとは知りませんでした。
 そして母の介護の為に奄美大島へ帰りました。意外と母は元気でしたので母の介護の傍ら、遊んでいる畑を耕し家庭菜園を始めました。最初は本を取り寄せ勉強しました。私の性分は何事も徹底的にしなかったら満足しない、凝り性でもあります。折角の貴重な時間と労力を無駄にしたくありません。その為には知識が必要です。完全無農薬の野菜作りです。まず最初に紙にデザイン画を描きます。風が吹いてくる方向を考えて畝たてをします。その前に猪が入らないように畑の回りを余ったトタンで囲みます。トタンが倒れないように木で挟みます。これは男の人の仕事です。耕運機で土を耕すのも男の人の仕事です。アルバイトを雇いました。このアルバイトの人は性格が良く10年以上経っていますがいまだに友達です。
 野菜はコンテナプランツの方法を使いました。相性の良い野菜同士を互々に植えていく方法です。例えばソラマメとキャベツ、イチゴにネギ、野菜を食べにくる虫のけん制です。ソラマメを好きな虫はキャベツが嫌いだから、お互い助けあうのです。農薬は使いません。代わりに食用酢を50倍に薄めて使います。後は唐辛子を粉状にして水で薄めて使います。肥料も油粕を10倍に希釈して2か月後に使います。水は朝と夕方に長いホースを使い円を描くように水をかけます。そして魔法の言葉をつぶやきます。
 気持ちが通じ合い野菜も果物もたわわに実り私は一万人に一人の油手の持ち主と言われました。油手の持ち主という意味は奇跡の人という意味でした。びっくりする話ですけどきゅうり3本の苗から500本のきゅうりが採れたのです。プチトマトも2本しか植えなかったのにこの2本がジャングル状態になり採っても採ってもきりがありませんでした。スイカも12キログラムの大きなスイカが採れました。たくさんの野菜やくだものを子供たちに送ったり村の人たちに珍しい野菜をプレゼントしたりしていました。私の畑が村の人たちの散歩コースになり、交流が生まれました。母も新鮮な野菜や果物を美味しそうに食べてくれました。種を蒔きすくすくと育っていく過程を共有することで畑と目には見えない絆が生まれ収穫の喜びも深く味わうことができました。野菜や果物を美味しく頂くことで人々は健康にさせてもらっているのではないでしょうか。自然は何もものは言わないですけれど、人々がそこに気づくのを待っているような気がします。自然と共存することを。
 村の生活続きます。


いいなと思ったら応援しよう!